13年目(1192)
一月×日
「色つぼむ梅の木の間の夕月夜 春の光をみせそむるかな」
姫様から文が届いた。
まだ梅の木は蕾のままだ。
しかしその蕾の中には、もうすでに春の色が含まれている。
その色を想像している呆っとしている間に、夕方になり木の間に月が浮かぶ。
まだ何処にも春の色彩はないけれど、梅の色の想像と相まって、その夕焼けの月の光が、何か春の訪れを感じさせる色に思えた。
そんな感じだろうか。
あのお姫様は相変わらず、梅が好きである。
現在の住居も、梅があるか否かで選んだとか。
母のとりなしで、姫様との文のやり取りをするようになっている。
「あなたが死人のような顔をしていて見苦しいという話をして、やっと筆を取る気になってくださったの」
と母はドヤ顔で語る。
二月×日
今日も姫様から文があった。
だいぶ健康になってきたらしい。
一首添えられていた。
「春くれば心もとけてあは雪の あはれふりゆく身をしらぬかな」
鬱屈していた私の心も、春が来たので淡雪が解けるように和らいでいく。
ああ、年甲斐もなく。自分が年老いて行くことを忘れてしまう。
年老いて行く、か。
俺も今年で32。
出会った頃の姫様の齢になった。
あの頃、姫様は俺の子供をまだまだガキだと思っていたのかな。
いや、じっさいガキであった。
何でもかんでも反発しなきゃ気が済まなかった。
姫様は俺のそういうところを見抜いて、色々からかって、心を和らげようとしてくれたのだろう。
......いやあれは本心から俺をおちょくって楽しんでいたのか?
三月×日
院が崩御なさった。
40年以上に渡る院の治世は、後世どう評価されるだろうか。
すでに「暗君だった」という意見が多い。
兼実殿は「凡君」と評する。
少なくとも名君と呼ばれることは無いだろう。
なにはともあれ、これで一つの時代の幕が閉じる。
次の時代を牽引するのは、公家ではなく武家であろう。
既に源頼朝に征夷大将軍の地位を授けることで、話がまとまっている。
ほとんど形骸化しているとは言え、独自裁量権の強い役柄だ。
その上、守護と地頭の任命権も持っている。
この都を除く全地域の武力は、鎌倉殿の支配のもとに置かれることになる。
とは言え、一応形式上は、鎌倉殿も帝の配下という形をとる。
あれだけの国難を乗り越え、こういう形にまとまったことに、ひとまず安堵してもよかろう。
四月×日
最近は六条藤家に挑発されることが増えた。
以前俺のことを小馬鹿にしてきた連中だ。
俺が出世しているのが気にくわないのだろう。
曰く、かの内親王殿下の閨房術に骨抜きにされ、良妻賢母を捨てた云々。
俺のことを怒らせて、宮中で暴行事件を起こさせる算段だろう。
しかし俺も二の轍を踏んだりはしない。
予め挑発と分かっていれば耐えることも容易い。
......姫様にも手紙で「絶対の絶対に喧嘩を買ってはいけません」と厳重に注意を受けてるしな。
五月×日
院の薨去後、帝を擁した兼実殿は、まさに今がこの世の春であろう。
道理の分からぬ輩に肘鉄を喰らうこともなくなり、名実ともに朝廷の支配者となった。
本人は「不敬ながら院がもう少し長生きであったら、失脚しておりました」という安堵感でいっぱいらしい。
なんでも院の寵妃であった丹後局にかんする件で、院を大激怒させたらしい。
「笑い事ではなく虎の尾を踏んだ心地であった。謀反者として首をとられるかと思うと夜も眠れなかったですよ」
そうとう怒らせたらしい。
何を言ったのか。
「しかし」と兼実殿は続ける。
「あの丹後局は、危うい。未だに政治に介入してくる上、通親殿と何やら企んでいる様子。皆の者、ゆめゆめ注意を怠るなかれ」
六月×日
また宮中でくだらない挑発を受ける。
聞いたところ良経殿や家隆殿ら、御子左派閥の者はみな多かれ少なかれ、六条藤派閥の連中に絡まれているらしい。
良経殿曰く、
「今代の帝は、和歌狂いであらせられるからな。まだ若く実権もないに等しいが、あと数年もすれば人事の差配もなさるだろう。その時に歌の巧拙で判断して、人を侍らすことも十分に考えられる。特に帝は、お主の歌をエラく愛好しているらしいから、六条藤家が焦るのも当然だろう」
寝耳に水である。
俺の歌を?
「まぁ何はともあれ、このままではちとまずいな。下手に権謀術数を張り巡らされるよりも、面と向かってコテンパンにしてやった方が良かろう」
良経殿に、何か考えがあるようであった。
七月×日
今代の帝は4歳の頃に即位なされた。
口さがない者達はそれを「神意なき即位」と嘲笑う。
即位式には三種の神器が不可欠だが、当時神器は平家の手中にあった。
神器なき即位など、本当に正当な即位と呼べるのか。
そのような陰口が至る所で叩かれる。
幼かった帝にとって、そのような陰口は耐え難いものであったであろう。
帝は、虚構の世界にお逃げになった。
公務以外の時間を、和歌に費やす日々。
10年毎日、来る日も来る日も歌に興じられる。
その有り様は、姫様に似ているなと、思った。
八月×日
姫様から愚痴を認めた文が届く。
姫様が他人の愚痴を言うのは珍しい。
あの人は基本的に、他人に興味がないから。
まぁしかし愚痴りたくなる気持ちもよくわかる。
姫様のところには最近、丹後局が頻繁に訪れるらしい。
内容は「一緒に九条家を打倒しよう!」という、かなりキナ臭い内容らしい。
話は面倒なことになっている。
後白河院の遺言で、姫様にも土地と家屋が遺産分与されたのだが、その土地が実は九条家に無期限貸与されてることが判明したのだ。
残された遺産はすべて、実質上九条家のものであった、という形になる。院は丹後局の娘御以外には無関心だったから、姫様のことなどどうでもよかったのだろう。
一応、俺から兼実殿になんとかできないか伺ってみたのだが、色々利権が絡みに絡んでいて現状維持せざるを得ないらしい。
とにかく丹後局はその件を引き合いに出し、九条家打倒を共に目指しましょう、と言ってきたらしい。
しかもどうやら人の話を聞かないで自分の言葉に酔う人種らしい。
「私が反対するわけがないという前提でお話になる上、長時間居座るので大変迷惑しております。あなたが我が家の門戸を泣きながら連打していた時と、同じくらい迷惑です」
相変わらず俺のことを小馬鹿にする女性だ。
過去のことを蒸し返さないでくれ......。
しかし。
この場合、俺にもできることはあるんじゃないか?
九月×日
「来年、御子左と六条藤合同で、六百番歌合を催す」
良経殿は、みなの前で高らかに宣言した。
ざわつきが広がる。
歌合とは、歌の試合である。
二人が互いに歌を一首ずつ披露し、その優劣をもとに判者が勝敗をくだす。
それが一番勝負。
六百番とは、それを六百回行うことだ。
全1200首の歌が詠じられる計算になる。
大規模な歌合としては村上帝の天徳内裏歌合などが有名だ。
しかし大規模といっても、20番勝負であった。
しかるに良経殿は、六百番勝負をするという。
空前の規模の歌合である。
それだけの規模で、しかも御子左派閥と六条藤派閥が混合でとは。
これはもう娯楽の域を超えている。
良経殿がニヤッと笑って、言う。
「これは歌による、合戦だ。この勝敗は、家の存亡にかかわると心せよ」
十月×日
六百番歌合は、来年の九月、計12名が一人百首詠ずることと決まった。
作者は良経殿、寂蓮殿、慈円殿、家隆殿、顕昭殿など、いずれも今代歌壇を代表する歌人たちである。
俺もその末席を汚させて頂く。
判者は俺の父が選ばれた。
てっきり第三者が選ばれるかと思ったが、顕昭殿曰く
「歌にかんして、貴方のお父上以上に信の置ける方などいますまい」
とのことだった。
流石、父。
敵からも認められるとは。
まぁ何はともあれ。
名目上は、たんなる親睦会。
その実は、今代の二代門閥による、家の存亡を賭けた大合戦である。
まだ先のこととはいえ、胃がキリキリする。
十一月×日
姫様のお宅にお邪魔する。
姫様と談笑していたら「偶然にも」丹後局と鉢合わせてしまう。
「殿下! 妾を謀ったのですね! 九条派と内通しているとは! この報い、必ずや殿下に受けてもらいますよ!」
と言い脱兎のごとく逃げていった。
その様を見て、姫様は腹を抱えて笑う。
「あなたはまるで、悪霊除けのお札みたいね」
失敬な。
しかし上手く行ってよかった。
本当は九条派の俺が姫様と懇意にしていることを仄めかし、手を引いてもらう予定だったが。
それにしても。
俺は姫様の横顔を見る。
相変わらず綺麗な人だと、思う。
病のせいか、以前よりも痩せこけている。
長くたなびいていた髪は尼削ぎされていて、童子のように短く、うなじの辺りで裾が切り揃えられている。
「じろじろ見ないでいただけます?」
と姫様に言われる。本気で嫌がってる声色だったので「申し訳ありません、つい見惚れてしまいました」と謝る。
「真顔で見惚れてましたなんて、言うもんじゃありませんよ。あなたって本当に愚かな人。女性を褒めるにしても、もっと作法というものがあるのをご存知なくって? ……実際に会うと、色々と考えあぐねていたのが、馬鹿馬鹿しくなりますね」
十二月×日
聞くべきことを、姫様に聞く。
姫様が呪詛の冤罪を受けた時、なぜあんなに簡単に容疑者扱いされたのか謎だったが。
物証があったのだ。
姫様の部屋から呪詛の道具が発見されたらしい。
姫様によれば、それは或る日俺の手紙とともに届けられたものらしい。
「用途は不明だったけど、あなたの贈り物って、いつも大抵あれでしょ。なんていうか、気の利かないものばかりじゃないですか」
余計なお世話だ。
「まぁそれで、文で用途を聞こうと思っていたのだけれど。あの頃、病に臥せっていたからすぐには聞けなくて。そのあと何処かから密告があって、晴れて私が容疑者扱いというわけです」
「文のやりとりをしていただけなかったのは、私も事件に巻き込まれるのを防ぐためですか?」
「それもあります。あと、あまり刺激したくなかったからです」
あなたの奥さんを。
そう姫様は言った。




