10年目(1189)
一月×日
この日記を書き始めてから今年で10年。
はじめの方を読み返すと、我ながら酷いものだ。
よくもまぁ臆面もなく自分のことを天才と書けたものだ。
あの頃は色々と思い悩み切羽詰まった心情であったから仕方がない面もあるが。
自分は優れていると自分に言い聞かせなければ、心が折れてしまいそうであった。
いや、一度折れた。
それでもどうにかこうにか、ここまで来ることができた。
歌は絶好調だし、出世も順調だ。
……まぁ、ありがとうと、ここに書いておくくらいのことは、してもらった気もしないではない。
二月×日
姫様と我が家で梅の花を見る。
住吉大神の御神託で、日記を二冊書いている話をしたところ、憐れむような目で見られた。
そして「いいにくいんだけど」と話し出す。
「あなたの言う陰陽寮の賀茂氏って、たぶん私の知っている方なのだけれど。昔言っていました。『左御子家のやつが、流れ星をみたくらいで、やれ御神託があったとか騒いでいたんで、日記を書くのが吉とからかってやったよ。貧乏貴族が神託なんていただけるわけないのに阿呆なやつ』って」
俺はたまらず絶句する。
姫は、幼児をあやすような優しい目をして俺に語りかけてくる。
「日記を書けだなんて御神託、あるわけないじゃないの、愚かな人。あなたは本当に愚かな人ね。あなたの愚かさの日記は、愚記とでも呼ぶべきかしら」
三月×日
神意ゆえに書き続けてきたこの日記、もとい愚記。
もう書かなくてもよいかとも思ったが、まぁせっかくだ。
できるだけ定期的に何か書こう。
四月×日
奥州で源義経が討ち取られ、長きに渡る戦乱も一応の終息を見た。
まだ鎌倉殿との調整が終わっていないが、兼実殿なら良い条件を引っ張り出してくださることだろう。
五月×日
兼実殿の御執政は素晴らしいものだ。
保元の乱以来廃絶していた記録所の再配置に始まり、大震災の復興支援、財政改革、文官の引き締めなど既にその功績は計り知れない。故実先例を重んじ過不足のない公務を心がける一方で、「政を淳素に反す」を理念に掲げ、朝廷から膿を次々と取り除いていく。
その手腕は見ていて気持ちが良いくらい鮮やかだ。
六月×日
政治も安定し始め、京都の治安も回復した。
戦乱続きだった100年は終わり、やっと平和な世が訪れる。
厳しい冬を耐え春を迎えたが如く、人々の顔は皆明るい。
が、世の中に平和が訪れたにもかかわらず、我が家は未だ乱世である。
妻は、ことあるごとにこちらに突っかかってくる。
俺の何もかもが気に食わない、という感じだ。
もともと政略結婚で好きでもない男に嫁いだ身の上には同情する。
しかしその気持ちを汲んで、こちらは出来るだけ無干渉でいるのだ。
なのにわざわざことを荒立てるようなことを言いに来なくても良いだろうに。
というか、酷い言動が目に余る。
俺に文句があるというより、俺を不快にすることを楽しんでいる節がある。
まったくとんでもない女性を妻にしてしまったものだ。
七月×日
先日、良経殿が権大納言に任官された。
めでたいことである。
さらに俺の昇進も内定している。
八月×日
西行法師のお相伴に与る。
再来月に自歌合をするので判者をしてくれないかと依頼され、快諾する。
しかし体調が悪そうだったのが気にかかる。
「これが拙僧の歌を披露する最後の機会やもしれませぬなぁ」
と縁起でもないことをおっしゃる。
「拙僧も僧のはしくれ。いついかなるときでも儚くなる覚悟はありまする。しかしもしも叶うのであれば」
と言葉を切って、詠ずる。
「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」
釈迦入滅の日に、桜の下で死にたいと仰る。
西行法師らしい考え方だなと思った。
九月×日
従兄弟の寂蓮殿のお宅にお邪魔させていただくと、家隆殿がいらっしゃった。
寂蓮殿と三人で歌について大いに語らいあった。
家隆殿は西行法師をして「当代随一の歌人」と評されるお方だ。俺と歳の近いこともあって嫉妬すら感じる。俺的には好敵手の一人である。
なお最大の敵は姫様である。
千載集の収録数で負けた悔しさは未だに忘れられぬ。
ちなみに家隆殿の歌は4首採用された。
数の上では勝っているが、家隆殿の歌は日に日に進化してらっしゃる。
さぞや日々精進していらっしゃるのだろう。
俺も負けるわけにはいかぬ。
十月×日
西行法師の自歌合の判者を務めさせていただく。
この歌合は、巻物にまとめて伊勢神宮に奉納されるらしい。
法師は僧侶のため、神宮への参拝を許されてはいない。
にもかかわらず、法師の神宮に対する畏敬の念は相当なものだ。
法師曰く、
「神様というものは、拙僧ごときには計り知れぬものではあります。しかし、あそこには確かに、何か大いなる存在がいらっしゃると確信しておりまする」という。
法師の気持ちは、歌に遺漏なく表現されている。
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
十一月×日
先日付で、左近衛少将に転任。
十年前には考えられぬ大出世である。
母な涙を流しつつ「あのロクでなしがよくぞ立派になって」と喜んでくれた。
ロクでなしは余計だ。
だか、これでようやく親孝行ができたかな?
母は感動のあまり、一首詠んでくれた。
「三笠山道ふみそめし月影に 今ぞ心の闇は晴れぬる」
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」の本歌取りか。それとも「たらちねの心のやみを知るものは 子を思ふ時の涙なりけり」か。
どちらにせよ月影は俺の今回の出世、心の闇は母の俺を思う心だろう。
三笠山は春日の社の神、つまり我々藤原氏の氏神だから......と考えていると
「鑑賞なんてせずに、素直に私の気持ちを受け取ることはできないのかねぇ。やっぱあんたはいつまでたってもロクでなしだよ」
と言われてしまった。
返す言葉もない。
十二月×日
姫様から「歌を詠んだので批評いただけませんか、先生?」と文が来た。
歌の指導をしなくなって久しい。
にもかかわらず、ときどき、「先生」と俺のことを茶化してくる。
俺より千載集の収録数が多かった姫様に、いったい何を指導しろってんだ。
けっ。
それはさておき送られてきた歌は、
「見るままに冬は来にけり鴨の居る 入江のみぎはうす氷りつつ」
まぁ悪くない。
姫様とはなんだかんだで腐れ縁のような関係だし、俺が勅撰集を編纂することになったら、そこに加えてもやって良い程度の出来ではある。
それにしても姫様は、入江や浦という言葉が好きだ。
京から外に出たこともないのに。
出たことないからこそ、海というものに憧れを感じるらしい。
見てみたいのに見ることができないからこそ、海というものに寂しさを感じるらしい。
「海の音とは、どのような音なのか」と、想像を巡らせる、らしい。
……就職の推薦の件もある。いつか須磨か住吉にでも、連れていければ、まぁ貸し借りはなくなるかなと、思った。




