令牌布防(下)
想わぬ、明明と多年にわたり布局せし内応の楊儀が、何故突如として暴露せしや?
想わぬ、明明と一触即潰なりし蜀軍が、何故突如としてかくも恐怖なる戦力を爆発せしや?
司馬懿は知る由もない。天命は既に改まり、宿命は既に破られた。一人の千年後より来たる医者が、既に彼の対立面に立っていることを。
「弘正」と諸葛亮が忽然として口を開いた。
「丞相」
「そなた、司馬懿はこの刻、何を為しおると思うか」
私は微かに笑い、その口調は篤かった。「彼は門を閉ざして過を思し、敗軍を整頓し、丞相が何故死なざるかを疑い、楊儀の消息を待ちおる。彼はやがて知るであろう、楊儀既に擒にせられ、伏撃は既に失敗し、内応は既に暴露せしを」
「そして?」
「そして、彼は怖れるであろう」と私の声は淡々としながら、時空を貫く力を帯びていた。「彼は丞相の康復を怖れ、蜀呉の聯手を怖れ、蜀漢内部に再び破綻なきを怖れ、己が一生の隠忍が、最終的に天命に斗えず、人心に斗えず、我らに――斗えざるを怖れるであろう」
諸葛亮は軽く笑い、その笑い声は清朗、夜色の中に消散した。
「彼が怖れれば、我らは怖れぬ」
「五丈原のこの一課、彼は既に学費を納めたり。
次の一課は、長安にあり」
私は諸葛亮を見やった。星空の下、この千古の名相は身姿挺拔、羽扇を軽く握り、目光は炬の如く、昔日の臥龍の風采、尽く帰り来たれり。
私は知っている。この一刻より、あの歴史に遺憾として幕を閉じた時代は、徹底的に終わった。
全く新しい、波瀾壮闊たる、蜀呉聯手して共に曹魏を伐つ時代が、正式に序幕を開いた。
軍中、余孽潜伏し、静かに網の収まるを待つ。
江東、使者は発ち、舌戦群儒。
成都、暗線未だ除かれず、深宮に影を蔵す。
関中、司馬懿は驚魂未定、喉に骨の如く。
五丈原の上、臥龍重生し、軍師定策し、三軍は整装して発たんとす。
一歩一伏筆、一局一乾坤。
私は深く息を吸い込んだ。夜空中の寒気は肺に入り、却って心神を愈々清明にした。
私がこの世界に来たのは、書き換えられた勝利を見るためではない。自ら手を下して、傾かんとする江山を支え起こすため。『鞠躬尽瘁、死して後に已む』を再び絶唱とせざるため。『興復漢室、還于旧都』を再び夢想とせざるため。
「丞相」と私は軽く言った。「夜も深うございます。ご服薬とご休養を。扶桑のラジオ体操、断つことなかれ。ご身体全快の日こそ、我らが祁山を出づる時」
諸葛亮は私を振り返り、その眼は春風の如く温和だった。「そなたが側にいてくれれば、我は安稳に眠れる」
彼は言葉を切り、目光を漫天の星辰に投じ、声は軽緩ながら千鈞の力を帯びていた。
「そなた曾て我に問うたり、千年の後、世人我を如何に評すと。今日、我そなたに告げん。他日史書の工筆、五丈原の悲風を書かず、ただ書かん――建興十二年、臥龍再び起き、軍師北に臨み、蜀呉合縦し、天下震动し、漢室再び興り、千古の伝奇と」
星光は二人の肩に落ち、秋風は百里の連営を漫り過ぎる。
遠く魏軍大営の灯火は稀疏、一片の死寂。近く蜀軍大営の灯火は有序、沉稳として岳の如し。
勝負の勢いは、既に声なくして、徹底的に逆転せり。
そして、暗黒の中に蔵される影子、未だ爆ぜざる暗雷、未だ収めざる伏筆、未だ登場せざる人物、皆この夜色の下、静かに待つ、次の風暴の来臨を。
夜色は徹底的に渭水両岸を呑み込み、五丈原蜀軍大営の灯火は次第に灯り、最早昔日の惶惶不安の揺らめく微光にあらず。列陣有序、明暗の度ある営寨の灯火、遠く看れば星辰の地に落ちたるが如く、関中大地上にこの一股の漢室の気脈を扎と稳めた。
中軍大帳の内は既に新しき灯に換えられ、灯光柔和、諸葛亮の面色を愈々温潤に映す。私はちょうどあのアルミ殻の薬箱より新たなる一剤の製剤を取り出し案頭に差し出さんとし、薬香温潤醇厚、案上に展開せし地図、檄文、密件を漫り過ぎ、幾分の殺伐の気を冲淡し、沉凝安稳に転ず。
「丞相、ご服薬を」
諸葛亮は手を挙げて受け取り、少しも躊躇せず、仰いで一気に飲み干した。薬汁喉に入れば、暖意再び経脈に循りて散開し、連日の調養効見え分明、彼は既に久坐して議事し能い、息は綿長、再び先の動けば即ち気促眩暈の象なし。
「扶桑のラジオ体操、そなた教えしあの一套、我は朝夕各一遍、今は既に得心応手なり」と諸葛亮は空碗を置き、指先で軽く胸口を按じた。「胸間のあの沈滞の感、一日淡き過ぎ一日、見るに用いれば久しからずして、再び甲を披き馬に上り得べし」
私は笑いて言った。「丞相は本と心力透支、毒性薬物誤投、真の天命尽きしにはあらず。今、毒を停め、亏虚を糾し、養内を三管斉下し、更に軍心安定、情緒平穏を加うれば、康復は自ずから一日千里。半月を出でずして、丞相は各営を巡視し、親しく三軍を校うを得べし」
「半月……」諸葛亮の目光は案上の『雍涼地形図』に落ち、指先は軽く「長安」の二字の上を点じた。「よし、半月後、三軍演武、亮は司馬懿に対岸にて、清清楚楚と見せん――諸葛亮なお在り、蜀軍なお在り、北伐なお在りと」
一語落定すれば、気勢自ずから生ず。
帳外忽然として軽く急なる足音が伝わり、白毦兵の親衛が外にて低く禀報した。「丞相、軍師、諸葛雲 top 将軍に緊急軍情あり、渭水斥候営より伝回、事は魏軍の動静に関わる」
「入れさせよ」
諸葛雲大歩に内に入り、甲に夜露を沾け、神色粛然。「丞相、軍師、我が方の斥候暗探の報によれば、半時前、魏軍大営内に乱あり、司馬懿怒りて数名の小校を斬り、帳内の吼声数里の外に伝わりしは、どうやら……楊儀の事を知りたる由」
諸葛亮は微かに頷き、意外とはしなかった。「諸葛雲、そなたの報に違いなし。彼は終にこれを知りたり」
私は言葉を継いだ。「楊儀擒にせられ、密信截たれ、内応空しくなり、更に白日先鋒大敗、損兵折将を加うれば、誰が司馬懿と雖も、火気を圧し得ざらん。彼の怒るは兵敗にあらず、苦心多年の暗棋、一朝にして尽く毁たれたるなり」
「なお別の動きは?」と諸葛亮が問うた。
「魏軍全線にて営防を収緊し、哨騎倍増、渭水渡口ことごとく封鎖、郭淮親ら営を巡り、一夜三警、大敵に臨むが如し」と諸葛雲が言った。「見るに、我が軍の夜襲を恐れ、徹底的に胆を破られしなり」
魏延はちょうどこの時帳に入り、これを聞きて哈哈大笑した。「司馬懿にも今日あり! 昔日彼は堅守不戦、我が時日を耗し、我が丞相を辱めしに、今や恐るるを知れり! 丞相、我請令す、今夜便ち鉄騎を帯して営を踏み、彼を片甲不留にせん!」
「文長、稍安勿躁」と諸葛亮は羽扇を軽く圧し、語気沉稳。「司馬懿は驚けども乱れず、郭淮は老将持重、魏軍主力なお在り、硬攻は得る所少なし。我らが此刻求むるは一場の劫営の勝にあらず、大局の勢なり。彼愈々怕れば、我ら愈々稳。彼愈々急なれば、我ら愈々静」
私は補充した。「魏 top 将軍、司馬懿は今、驚きて殻に縮みし亀の如し。敲けば敲くほど、彼は縮む。されど我らが転身して呉を聯ね、蜀を安んじ、軍を整え、勢を養わば、彼が再び頭を擡ぐる時、天下の大局は、既に彼が掌控し得ざるものとならん」
魏延は悍勇なれど、道理を懂らぬ者にあらず、これを聞きて悻悻として拳を収めた。「軍師の言うは是……我、令を聴く。ただ憋得して実に痛快ならず、一日も早く長安に殺り入らんことを欲するのみ」
「近し」と私は北方を望み、淡々と一笑した。「鄧芝が江東に至り、孫権が兵馬を点じ、成都朝堂が安稳し、丞相が徹底的に康復せば……その時、そなたが戦わざらんと欲するも、難からん」
数言、魏延の眼神を輝かせ、胸中の戦意再び安稳に落ち、抱拳して言った。「よし! 我、これにて帰りて兵馬を整訓せん。ただ丞相、軍師の一声の令を待つのみ!」




