令牌布防(上)
親衛が前に出て木匣を開ける。中にあったのは金銀財宝でも密書でもなく、三つの品だった。
「魏」の一字を刻んだ玄鉄の令牌。
一卷の、極めて精細に描かれた『関中蜀軍布防図』。その細かさたるや、寨の壕溝、井戸、糧倉、弩台の位置に至るまで一目瞭然である。
そして最後に、まだ送られていない密信の草稿。筆跡は乱れ、明らかに楊儀が慌てて書きなぐったものだ。
私はその密信の草稿を取り上げ、ゆっくりと広げ、低い声で読み上げた。
「……儀、すでに蜀軍の糧草を掌握せり。亮、病危く旦夕にあり。魏延、姜維相和せず、軍心用うべし。丞相(司馬懿)もし再び攻めば、儀、糧を焼きて号と為し、関中一战にして定まるべし。事成らば、魏帝に請い、儀を関中侯に封じ、雍州刺史を領せしめんことを……」
読み終えて、私の眼は微かに冷たくなった。
関中侯、雍州刺史。
楊儀の野心は、かくも大きかったのか。
彼は単に魏に通じて自保を図ったのではない。内外応じて蜀漢を覆滅し、三軍将士の性命をもって、曹魏における己の破天の富貴を買おうとしたのだ。
諸葛亮はそれを見終え、顔色は平静だったが、全身から骨の髄まで凍るような寒気を放っていた。
「よきかな楊儀……よきかな関中侯。我、そなたを心腹の如く遇せしに、そなたは我が三軍を売り、我が漢室を亡ぼさんとす」
費禕が低い声で言った。「丞相、属下、更に調べましたれば、この玄鉄の令牌は、普通の魏軍信物にあらず。司馬懿幕府専属の『辟召令』にございます。これを持つ者は、直接司馬懿に面会でき、いかなる関所も阻めませぬ。楊儀がこれを得たるは、司馬懿と私通すること既に一、二度にあらず、司馬懿に心腹の内応者と見なされていたる証にございます」
私は玄鉄の令牌を手に取り、指先でその「魏」の字を撫でながら、心中ふと動き、一つの念が猛然と湧き上がり、眼差しが微かに変わった。
おかしい。
非常に、おかしい。
楊儀はただの随軍長史に過ぎず、才あれども、司馬懿の眼中においては小人物に過ぎぬ。司馬懿ほどの地位、ほどの慎重さの者が、どうして幕府専属の辟召令を、易々と蜀漢の長史に与えようか。
道理に合わぬ。
除非――
楊儀の背後に、まだ誰かがいる。
この令牌は、楊儀に与えられたものではない。楊儀の背後に隠れ、真に蜀漢の情勢を左右し得る大魚に与えられたものだ。
第五層の伏筆が、私の心底に悄然と形を成した――楊儀は台前の傀儡に過ぎず、真に司馬懿と暗通しているのは、蜀漢のより高層、より核心、天聴に達し得る人物である。
この者は、軍中にはいない。成都にいる。
この者は、武将ではない。後主に影響を与え、朝堂を掌控し、権宦と勾結し得る者である。
私は動じず、令牌を木匣に戻し、顔を上げて諸葛亮を見やり、その口調は平静ながら、暗に警鐘を蔵していた。
「丞相、楊儀は一長史にして、司馬懿幕府の辟召令を得、かくも精細な布防図を描き、暗に糧草を掌控す……彼一人の力にて、断じて成し得ざる業にございます」
諸葛亮ほどの慧眼、一点にして透る。眸中に寒光一閃。
「そなたの言うは、楊儀の上に、なお人がおるとな?」
「断定は致しかねます」と私は淡々と言った。「されど令牌は嘘を申しませぬ。この辟召令、その重み、楊儀が持つに値するものにあらず。我らの清めしは、或いは氷山の一角に過ぎぬ。水面の下に、なお更大なる影が、暗処に潜みおる」
この言、出づるや、帳内の諸将は悚然と一惊し、斉しく冷気を吸い込み、呼吸さえ半拍滞った。
魏延の瞳孔は驟縮し、失声して言った。「軍師の意は――楊儀の上に、なお更大なる内奸が? 成都に?」
姜維、費禕は顔を見合わせ、背に斉しく冷汗が沁み出た。諸葛雲は更に剣柄を握りしめた――彼は先ほどまで、余党の清查は例行公事とばかり思っていた。今、俄かに驚覚した――己は、太歳の頭上で手を動かし、成都深宮に直抵する毒線を引き出したのだと。
帳内、一片の駭然たる死寂。
夕陽の最後の光芒が消え、暮色が徹底的に大帳を覆い、寒気が悄然と昇る。
彼らは戦場に勝ち、内奸を捕らえ、軍心を稳め、連呉の大局を布いた。
されど、すべてが完璧に見えたその時、より深く、より細く、より致命的な毒刺が、悄然と水面に浮かび上がった。
司馬懿は、最初から、彼らの想像を超えて深く、狠く、長遠なる局を布いていた。
彼の求めるは、五丈原にて諸葛亮を撃破するのみにあらず、内部より、徹底的に蜀漢を蛀み空にせんことにあった。
諸葛亮はゆっくりと眼を閉じ、再び開けた時、眸中には既に半分の情緒の波動もなく、深く底知れぬ冷静のみが残っていた。
「そなたの言う通りじゃ。氷山の一角に過ぎぬ」
「ならば……」費禕は躊躇して言った。「我ら、直ちに清查の力度を強め、徹底的に究めしむべきか?」
「急ぐな」と私は軽く首を振った。「今急げば、負ける。相手は極めて深く蔵し、我らが動けば、彼は縮み、それより再び蹤跡を見出すは難し。我らの為すべきは、何も見出さざりしと装い、依然として原計画の如く、稳営、連呉、安蜀、大芝居を十分に唱うることじゃ」
私は言葉を切り、声を極限まで低くした。
「魚は大きければ大きいほど、寂寞に耐えられぬ。
我らが安稳であればあるほど、大勝であればあるほど、北伐が成功すればするほど、彼は慌てる。
彼が自ら手を出し、消息を伝え、破壊を布かざるを得ざる時、
それが、我らの網を収むる日じゃ」
諸葛亮は私を見やり、その眼に一筋の驚嘆、一筋の欣賞、一筋の托付を露わにした。彼の眼中、私は眼前の局を救うのみならず、未来の根を断った――眼前のこの青年は、歴史を知るのみならず、医を懂り、軍を治め、謀略に長け、更に人心を懂り、隠忍を懂り、布局を懂る。
「よし」と諸葛亮はゆっくりと頷き、声は平静。「そなたの言う如く致そう。木匣の物、秘密に収め、外に半句も漏らすことなかれ。楊儀の明日の刑、依然として原計画の如く行い、一切如常に」
「属下、承知つかまつりました」と費禕は身を屈めて応じ、木匣を収め、悄然と退いた。
(ほどなく、諸葛雲が帳外より入り、低い声で禀報した。三路の清查初日、既に楊儀の旧部、駅路の密逓者合わせて一十七人を鎖拿し、成都往来の文書を悉く核験せり。営中の暗処、先ほどまで冷汗を捏みて密かに慶びし「風頭過ぎぬ」の吏員数名、今や白毦兵に肩を押さえられ引き出さる。面上の僥倖は既に死灰と僵りぬ――彼らは虚張声勢に過ぎぬと思いきに、この雨の、才に第一滴を落とせしを知らざりき。)
同時に、千里の外、渭水の対岸、魏軍大営。
私は司馬懿がこの刻何を想うかを、余りに良く知っていた――彼は帳中に端坐し、斥候の「楊儀伏法」の急信を聞き、神色淡漠、甚至嗤笑一声。
「ただの一子に過ぎぬ」と彼は指先で案几を軽く叩き、眼中には毫も波瀾なし。「楊儀は区区たる蜀漢の長史、棄子耳。失せば失せぬ、何ぞ足を掛くるに足らん。諸葛亮、縦い一内奸を除くも、蜀軍の糧尽き援絶え、戦わずして自潰するの命数は改められぬ」
彼はただ、無関痛痒の棄子を一つ失いしのみと思い、全く知らざりき――あの楊儀の枕辺の辟召令が、既に我が手中に落ちたるを。あの成都深宮に直通する暗線が、正に孔明と我に死死と盯られおるを。彼の思う「ただの一子」は、実は整盤の大棋の第一枚の多米諾骨牌なり。
彼は夢にも料らざりき、あの彼が自ら手を下し賜り、棄子の信物と視せし辟召令が、此刻静かに我が手中に躺りおるを。あの彼が神も知らぬと思いし成都の暗線が、既に孔明と我に死死と咬まれおるを。彼の笑い愈軽ければ、この一跤、愈狠く摔つべし。
帳内、再び諸葛亮と我のみ。
夜色深沉、星光漸く起き、渭水潺潺、秋風低語。
私は北方、長安の方向を望む。司馬懿は此刻、必ず大帳の中にあり、憤恨、不甘、疑惑。
彼は想わぬ、明明と病に死せんとせし諸葛亮が、何故突如として康復せしや?




