第29 隠し棚に証拠を索る(上)
諸葛亮主位に端坐し、一領の青色の朝服洗い清く、彼がなお清癯なれども、神光内に斂まり、氣息綿長なるを顯す。わたくしは彼が左側より一步後ろに立つ——一領の青衫に方巾を束ね、眉目疏朗、自から幾分の風流倜儻あり、今や諸將に默して認めらる、位尊くして逾えず、すなわち丞相の信任を顯し、また君臣の分寸を守る。
帳下の諸將序に按じて立ち、魏延、姜維、費禕、諸葛雲ら、皆な姿挺たく、目光灼灼たり、もはや半百日の僵持の疲れと惶惑の半分も無し。
大勝、姦を除き、丞相康復、新軍師威を立つ——一日の内の四つのは大事、蜀軍を崖の縁より硬く引き戻し、北伐の初めよりなお一股の死地に置かれて後の生を得たるが如き鋭氣を添へたり。
諸葛亮、羽扇を軽く握り、目光ゆるゆると諸將を掃らい、聲平和なれど一字ごとくに清晰なり、「さきほど弘正軍師の言えし四つの步の方針——営を住め、呉と連し、蜀を安んじ、北伐す、これなれ、以て今後全軍の總綱なり。今日諸將ここに在て、わがこの第一步、第二步を、細かに敲き定め、實に落とさしめん。」
彼、一息ついて、費禕を看る、「文偉、楊儀伏法、後勤糧草、軍資の帳簿、営中の撫恤の諸事は、皆なそなたが肩に在り。後勤は軍の根本ぽん)なり、糧絶えざれば軍心亂れず、資竭きざれば士氣墮ちず。そなたが負う荷は、刀兵前に在るより重し。」
費禕、拱手して身を屈め、神色沈穩に、「丞相安心せよ、屬下必ず日夜督管し、倉儲を核查し、民夫を安んじ撫で、前線の一兵一卒、一粥一飯にも差し支え無からしめん。楊儀在りし時の帳簿に大過なかりしも、多く私弊隠情あれり、屬下すでに手を著けて清め、三日内に必ず明細を呈せん。」
わたくし、傍らにて軽く一句を補え言う、「費長史、核查の時、一事特に留心すべきなり。楊儀、魏に通ずること一二日にあらず、彼、後勤を多年掌り、糧草、軍械、馬匹の内に、魏軍と暗に通ずる手脚を藏せりや? 例えば糧草密かに黴え、軍械故意に粗悪を以て良きに代え、驛馬の路を漏す等——これらの細かき事ども、察せざるべからず。」
帳内の諸將皆な一凜たり。
彼らただ楊儀が情報を傳え、内應となれるみ考え、かの者が根底の命脈に手を下し得るを思わざりき。もし糧草の關鍵の時に斷供し、軍械臨戰に崩れなば、それは戰場の失利よりもなお致命的なり。
これはわたくしが意って埋めたる第一層の深き伏線なり——楊儀はただの表の駒、彼の遺せし後勤の暗樁こそ定時爆弾なり。掘り清くせねば、日後千里を奔襲せし北伐、必ず反噬を受けん。
費禕、額に微かに冷汗を滲ませ、身を屈めて鄭重に應ず、「軍師の提醒、もっともなり、屬下危うくこの節を忽略せしなり。即日より、屬下みずから糧倉、武庫に赴き、倉ごとに點検し、器ごとに検験し、驛道の傳令兵をことごとく白毦兵の精鋭に替え、半點の隠患も遺さざらしめん。」
「よい。」諸葛亮、頷く、「この事、全權をそなたに託す。」
後勤の根本を安んじ置き、諸葛亮、目光諸葛雲に轉ず、「雲兒、姦を清くする事、楊儀一人の死をもって止むべからず。彼、司馬懿と久しく連絡し、営中、府中、成都の朝中に、必ずやその余黨、眼線、旧識あらん。そなた、白毦兵を率い、三路に分かれて査べよ——一路は軍中にて楊儀と過ごろ親しかりし者を査べ;一路は随軍の幕僚、家僕、雑役を査べ;三路は成都と軍前とを往来せし驛吏、信使、商販を査べよ。」
諸葛雲、沈として應ず、「屬下承知す。形跡怪しき者は一律に拘束して盤問す;證拠確たしかなる者は一律に鎖に繋ぎ捕らえ;無辜に連坐せし者は即ち釈明して釋放し、一人をも冤わすことなかれ。」
諸葛雲が言ば落ち、帳中の若き校尉數名なれど顔を見合わせ、ひそかに囁きあう、「長史すでに伏法して斬らる、余黨も検べ尽くしたることなかるべし、何ぞまた大きに干戈を動かし、三路に査べんや? まさか軍師の多疑にて、驚弓の鳥ならんや?」数名の士卒外にて一耳を傾けて聞き、また傳えて、「楊儀すでに死ねり、なお何をか検べんや、むだに営中を驚かすのみ」となせり。
かかる單なる頭脳、風聲を聞けば即ち信じ、風を見れば即ち雨とおもう、ただ査べを小題大作とばかりおもう。
——而して営中の暗き處に、楊儀昔の心腹の吏員數名が冷汗を捏り、密かに慶びて居たり。わたくし、彼らのこの時何をか思うかを實によく知る——長史すでに死ねり、風頭過ぎなば、上はただ楊儀を殺し、余黨無恙なり、検ぶるはただ楊某一人のみ、彼らこの下に走る者ども、つべこべなかるべし。彼ら眼を交わし、ただ虚張声勢の戲れとおもう、この査べやがてすぐに不了了に歸するならんと。
わたくし、帳内帳外の神色ことごとく眼底に收め、心中なお一片の澄明なり。わたくし、とうに算じ定めおけり——楊儀、魏に通ずること、決して一人にあらず、成都の朝中に必ず呼えあう者あらん。今日、諸葛雲に三路に分かれ、特に成都の往来を査べしむ、これこそ計をもって計に報ゆる、長き糸を垂れて大魚を釣るなり——待つは、その暗に藏る者みずから馬脚を露すを。
數名のさきほど「軍師多疑なり」と囁きし若き校尉ら、この言ばを聞き、赧して聲を收め、さきほどの腹诽すでに今は背の後ろに一層の冷汗と化せり——原より多疑にあらず、かれら看えざる深き處まで算じ申せしなり。
わたくし、再び軽く口を開き、語氣平和なれど暗に鋒き刃を藏し、「諸葛雲將軍、盤問の時、必ず一の『緩』の字を記せよ。楊儀死に臨み、必ずしもすべての底細を招けりとは限らず。ある者は、必ずしも彼が同黨にあらねど、その恩を受け、その把柄を握り、その私事を辨ぜしことあらん。逼するあまり急なれば、彼ら死に物狂いに反撲せん;放つあまり緩なれば、彼ら隠れて跡無からん。」
わたくし、一息ついて、聲さらに低く、「特に——楊儀、密かに人を遣わして成都に返り、朝中の人と連絡せしや否や? この一點、最と重き所なり。もし成都にすでに呼えあう者あらば、わが前線いかに見事に打てど、後ろの庭一たび火を發せば、全盤皆輸る。」
第二層の伏線、ここに埋まる——内姦はただ軍に在らず、なお朝に在り。楊儀の魏に通ずるは、すでに個人の行為にあらず、して一條の五丈原より成都の深宮に直通せる暗線なり。わたくし、名を點破せねど、すでに矛先を、密かにあの日後蜀漢を禍せし根源に引き向けたり。
諸葛雲、いかなる人物ぞ、常に諸葛亮の左右を護り、朝堂の詭道を深く諳じ、瞬きにして弦外の音を聞き取り、眼の色一つ厲しく、「軍師安心せよ、驛路往来の文書人員、屬下一一に検験し、凡そ近き一月に成都より來たる、成都に往きし者は、重く盤問し、一條の線索も逃さず。」
「そなたがこの言ばあれば、わたくし安し。」諸葛亮、微かに頷く。
二つのは定營の大事を布き終え、帳内の氣氛稍和らぐ。魏延、とうに抑えかね、前に一步進み拳を抱きて言う、「丞相! 軍師! 後勤、内姦ともに皆な部署あり、さればわが等が騎兵、歩兵は、ただ営中にて休み整うのみにや? 司馬懿新たに敗れ、軍心大いに亂れ、まさにわが軍主動して擊出し、戰果を擴大する時なり! わが願わくは三千の鐵騎を率い、夜に魏営を襲い、その糧草を燒き、その戰將を斬り、その銳氣を挫かん!」
戰意高く、悍勇身より溢れ出でんばかりなり。
姜維も亦前に進み附和して、「丞相、魏將軍の言、もっともなり。司馬懿挫かれ、関中震動し、長安の守軍必ずや人心惶々(こうこう)たらん。わが軍もし精鋭を以て撃ち出で、渭水沿線を騷がせ、魏軍の部署を牽制せば、日後の北伐に極めて利あらん。」
諸將揃いて頷き、戰意高まる。
諸葛亮、なれど軽く首を振り、羽扇を壓さえ、稍安からざるを示意して、「文長、伯約、勇氣嘉すべきなれど、これは今の上策にあらず。司馬懿雖ど敗れ、主力損ぜず、郭淮らの將固く營寨を守り、関西の魏軍なお數万の眾あり。わが軍長途の北伐、補給艱難にして、利は速決に在れど、なお輕挙妄動を忌む。」