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五丈原にて諸葛亮を救い、その義子となる  作者: ほしかわ さとる
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医者、網に落ちる(下)

諸葛亮の顔色は氷の如く冷たかった。


「この者、本相の中軍大帳に近づきながら守衛に覚えられぬとは、軍中の見慣れた顔、職位も低からず、少なくとも校尉以上であろう」


「彼が誰であれ、今宵聞いた『丞相病重く、政を執る力なく、軍権は楊儀魏延に渡る』の報は、必ず直ちに司馬懿へ伝えられる」私は冷笑した。「これで司馬懿は、恐らく眠れぬ夜を過ごすかもしれません」


諸葛亮はほんのり頷いた。


「彼が興奮すればするほど、敵を侮り、我らの好機は大いに増す。弘正、そなた、司馬懿という者の最大の特徴を知るか」


私は考えた。


「隠忍、多疑。常人の忍び難きを忍び、また細部の一つに至るまで疑わぬことなきまでに」


「その通り」と諸葛亮は言った。「彼が隠忍すればこそ、堅く守って戦ぜず。彼が多疑なればこそ、我らの偽りの情報を彼こそ信じる。だが彼にも野心がある。ここでいつまでも耗ち続けるに甘んじるまじ。一度わが将に死せんとするを認めれば、必ず不世の功を立てんと欲し、蜀軍を徹底的に撃破せんとする」


私は眼を明るくした。


「丞相、申すは、司馬懿は自ら軍を率いて試みに来る、ひいては機に乗じ我が軍の大営を襲わんと欲するや、と」


「可能ならず、極めて大なる確率なり」と諸葛亮は言った。「彼はわしと百日相持し、とっくに耐えかねておる。今わが病重く、軍中まさに乱れんとするの報を得て、必ず精鋭を遣わし、ひいては自ら出て、虚実を探らざらんとす」


「ならば我らはこそ……」


「天羅地網を設け、君を甕に請い入れん」と諸葛亮は言葉を引き継ぎ、眸に久しく忘れし鋒芒を閃めかせた。「この一世、わしは生き延びるのみならず、仲達に、大きな一敗を喰わせてみせん」


その瞬、まるで当年赤壁に風を借り、漢中に計を定めし臥龍の風采を見るがごとし。帷幄に運籌し、千里に決勝する自信が、再びこの千古の名相の身に帰ってきた。


私の胸中、熱血が翻る。ついに悟る。私は独りで戦っているのではない。将に死なんとする諸葛亮を救うのみならず、再び天下の碁盤を執り掌らんとする無双の国士を呼び覚まそうとしているのだ。


「丞相、ならば我ら、これより伏撃の囲いを布くのでございますか」と私は問うた。


「急ぐことなかれ」と諸葛亮は軽く首を振った。「欲速すれば則ち達せず。まず、身を養い良くすべし。そなたのその薬、必ず効を見せねばならぬ。次に、軍中の細作を一網打尽になし、消息泄るることなからしめよ。最後に、魏延、姜維らの将に配合せ、声色を挙げずして兵を調べ将を遣わさしめよ」


「三歩、歩み終えば、こそ司馬懿を局に引き入れられん」


私は頷いた。


「丞相、仰せの通りにて。ならば私、今宵さらに方案を完備し、心を養う薬を幾味加え、三日の内に、丞相の喀血を止め、精神好転せしめんと励みます」


「そなたにわずらわせる」と諸葛亮は口調真摯に言った。


「本分の事、労を言うに及ばず」と私は身を屈めて答えた。


夜の色は次第に深く、五丈原の秋風はますます冷たく、営帐をばたばたと鳴らす。遠方の魏軍の大営に灯が点り、あたかも暗に潜伏する巨獣のごとく、虎視眈々としている。


誰も思い寄らぬ。この静かに見え、まさに主将の病逝を迎えんとする丞相の軍帳の内に、歴史を逆転し、天に逆らい命を改めんとする一局が、すでにひそかに開かれていることを。


私は帳の辺へ歩み寄り、簾を一すじ撥ね開け、外の漆黒の夜の色を望んだ。眼差しは刃のごとく鋭い。


王医者、張軍侯、盗み聞きの神秘の人、司馬懿……すべての敵は、皆暗がりに蠢き動かんとしている。私はただ手を、身側のそのアルミ殻の薬箱の冷たき棱角に置いた。私がこの箱を携えて五丈原に穿ち来たりしその一刻より、歴史の軌跡は、すでに書き改められている。


「司馬懿」と私は心中で低く独り語った。「そなたは諸葛亮が命を一線に懸け、蜀漢は必ず亡ぶと思うか」


「そなたは丞相を耗ち殺して、天下を一統せしめ得ると思うか」


「そなた、誤てり」


「この一世、私は丞相に陪い、一歩一歩そなたの布きたる局を、ことごとく碎き散らさん」


「五丈原は、丞相の帰天の地にはならぬ」


「蜀漢もまた、そなた司馬の一族が江山を一統する踏み台にはならぬ」


背後より、諸葛亮がゆっくりと身を起こし、私の傍らへ歩み寄り、共に帳外の夜の色を望んだ。


「弘正」


「丞相」


「そなた、千年の後、後世の人、もし我ら今日五丈原にて為せし事を知らば、いかに評すべきと説くや」


私は頭を回らし、灯の下の諸葛亮を見やった。そして一字一句、鏗鏘として力強く言った。


「千年の後、後世の人は申さん。建興十二年、秋風五丈原、一相一士あり、天に逆らい命を改め、大漢の祚を継ぎ、千古の伝奇となさん、と」


「出師捷せずして身先に死す、とや」


「この後、再びこれ無からん」


諸葛亮は、私の揺るがぬ眼差しを見つめ、忽然として笑った。それは私が穿ち来てより以来、初めて見る、諸葛亮の真に心の底より、軽く釈然とする笑顔だった。疲弊なく、憂慮なく、重くもない。あるは未来への望みのみ、運命への屈せざるのみ。


「よい」


「ならば共に、この千古の遺憾を書き改めん」


帳内の灯の光、俄かに幾分明るく。帳外、秋風は相変わらず吼え、されどあたかも一ふりの凛冽なる戦意を帯びたるがごとし。


知る、真の較べ、まさに今始まらんとす。軍中の細作いまだ抜かれず、司馬懿の大軍虎視眈々、楊儀魏延の矛盾一触即発、朝中の暗流なお湧き動く。


されど私はもはや恐れず、もはや慌てず。なぜなら私の傍らに立つは、諸葛亮なれば。両漢以来の無双の士、三代の後第一の人。私が心に一生敬い、命を惜しまず救わんと欲せし千古の名相なり。


そして私自身、千年の知る所を手にし、来歴の知れぬ一つのアルミ殻の薬箱を身に負い、なおさら天に逆らい命を改めんとする決意を有す。


一人は未来を知り、一人は天下を掌る。この一局の死局、我ら勝ち確かなり。


懐の薬箱は重く、口に出でぬ一つの誓いのごとし。


今宵より、細作を網に収め、魏軍を挫け敗たん。これこそが私と諸葛亮、次の歩として為すべき事なり。


私は頭を回らし、諸葛亮を見やり、口元に一つの確かな弧を揚げた。


「丞相、お備えを。網を収めます」


のち、諸葛雲の報せが来る。その三更の刻、後営の医帐の内に何が起こりしを知る――


更鼓、ちょうど三更を過ぎる。王医者は孤の灯に向かい、墨を点けて、まさに司馬懿へ宛てし捷報を認めんとしていた。


「孔明今夜息糸のごとく、製剤は某が一身に経手し、旦夕に必ず崩びん。営中流言四方より起こり、楊魏まさに乱れん。都督、早く大軍を発せよ……」


墨の跡いまだ乾かず、帳門が音もなく撥き開けられる。一つの刃の尖が彼の後頸に添わった。


「王医官、夜は深い。私に一緒に来てもらおう」


王医者は身の隅から強ばった。暗き灯の下、諸葛雲のその冷峻なる面に半分の表情はない。彼が身側の白毦兵はすでに素帛、未発の捷報、鳩籠の内の伝書鳩を、一ところ漏らさず捜し出せていた。


「そ……そなたら……何ぞ敢えて! 私は軍中に薬を執る者、丞相病いを得て今まさに薬を需め給う――」王医者は唇をわななかせ、なお強に笑顔を支えている。


「薬を執る者とや」諸葛雲は冷笑し、素帛を抖し開いた。「この『旦夕に必ず崩び、都督早く大軍を発せ』と、これも丞相を治する処方とや」


王医者の顔の血の色が、一つずつ褪せ尽きていく。


彼はさきほど灯の下にて封賞を勘定し、平歩青雲を夢みていた。半時も経ぬうちに、刃はすでに頸に架かる。彼の天衣無縫と自負する一歩一歩――素帛を張軍侯に渡し、伝書鳩を魏営へ奔らせ、偽りに薬を煎じる――ことごとく向うの眼底に落ち、彼が捷報を認むる隙まで、時刻を算られていた。


冷汗が、さっと背中を湿らす。


彼はついに悟る。諸葛亮が「忽然として彼を疑い、改めて親衛に薬を煎じさせた」その一刻より、彼というこの碁石は、もはやあの網より脱け出でしことはない。彼は碁打ちにあらず、餌なり。


「連れ去れ」と諸葛雲は一ふり手を振るった。


王医者は双腕を後に括られて医帐より拽き出される時、振り返りてその鳩籠の伝書鳩を一瞥した。羽ばたきの音、もはや魏営へ還ることはない。


帳外の秋風はちょうど緊く、遠方の中軍大帳の内より、諸葛亮の声が平静に伝わる。


「今宵の後、五丈原の大営に、もはや細作の立足する地なし」

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