第18話:看板の架け替えと、帝国の真の誕生
「……店名を変える、だと?」
朝の仕込みの途中、俺はジョッキを磨く手を止めてシエルを見つめた。
「ええ、マスター」
シエルはすまし顔で帳簿を閉じ、いつものように眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
「これまではスラム街の小さな居酒屋として『スロット&サケ』で何の問題もございませんでした。ですが、当組織はすでに複数の巨大ホールを擁し、自前の通貨決済網、不動産開発部、さらには職業訓練・人材派遣事業まで手掛ける総合金融・産業グループへと成長しております」
シエルは新しく仕上がった羊皮紙の羊皮紙(ブランディング計画書)をカウンターへ突きつけた。
「にもかかわらず、未だに『スロット&サケ』……。直訳すれば『賭博機と酒』です。あまりにも直接的で、品格を欠き、ダサすぎます」
「ダサっ!? 直球で言ったな!?」
「事実でございます。これより先、王国中央政界や他国の豪商たちと本格的な資本提携を進めるにあたり、いつまでも『酒場』の看板を掲げているわけには参りません。社会的な信用に相応しい、洗練された組織名へと改称いたします」
「……で、お前の考えた新しい店名は何なんだ?」
俺が嫌な予感をさせながら尋ねると、シエルは待ってましたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべ、一枚の羊皮紙をドラマチックに翻した。
そこには、金色の魔導インクで重厚かつ神聖な筆致でこう記されていた。
【帝国公認 総合資産運用・娯楽決済機構 『オーディン・キャピタル』】
「……は?」
「いかがでしょうか! 貴族層にも受け入れられる重厚感、神々しさ、そして金融機関としての圧倒的な威厳……! 我が帝国の新たな名として、これ以上ない完璧なネーミングかと!」
「いやいやいや! どこがだよ! 神様の名前を勝手に使ってるし、キャピタルって何だよ! 完全な金融ファンドじゃねえか!!」
俺が頭を抱えていると、仕込みを手伝っていたミラベルが「ふむふむ」とあごひげをピコピコ揺らしながら寄ってきた。
「シエルさん! 『オーディン・キャピタル』だと、機械の要素が消えちゃってます! 技研の最高責任者としては、もっとメカメカしい名前を推したいです!」
「ほう、ミラベルさんはどのような案をお持ちで?」
「ふふん! 『神聖不可侵・超高確率並列演算遊技連盟 アポロ・テクノロジーズ』ですっ!」
「だから厨二病のネーミングセンスをやめろ!!」
俺のツッコミも虚しく、二人の議論はヒートアップしていく。
「それでは妥協案として、両方を組み合わせましょう。『オーディン&アポロ・キャピタルホールディングス』では?」
「良いですね! 略して『O&Aグループ』です! 湾曲液晶のロゴも新しくデザインしますね!」
「待て待て待て! どんどん酒場の面影が消えていくだろ! ていうか、常連のごろつきや下町の商人たちがそんな横文字理解できるか!」
「……む」
シエルとミラベルが同時に立ち止まった。
確かに、昨日まで「スロット&サケ」と呼んで親しんでいたヴォルクやスラムの客たちが、急に「O&Aホールディングスへ行こうぜ!」などと言うはずもない。
「……マスター。では、現場の利用者に対する『店舗ブランド名』と、組織全体の『法人名』を分ける(ホールディングス化)スキームを採用いたします」
シエルは手元の帳簿を素早く書き換えた。
「法人名および金融・不動産部門は『オーディン・金融決済機構(O&A)』。そして、民衆に親しまれている店舗の名称は、品格を保ちつつ原点を残した『S&S グランドホール(Slot & Sovereign)』といたします」
「……Sovereign(主権者/至高)……? 酒(Sake)の『S』を勝手にすり替えたな……?」
「クスクス……『スロットと酒』の頭文字を残しつつ、意味合いを『至高の遊技場』へと昇華させた完璧なブランディングでございます」
数日後。
グランドホール1号店の正面に掲げられていた木製の看板が下ろされ、ミラベル特製の曲面ガラスと黄金の魔導光で彩られた重厚な新看板が掲げられた。
【 S&S GRAND HALL 】
〜 Operated by Odin Asset Management Group 〜
新看板を見上げる常連のヴォルクが、首をかしげながら店内に入ってきた。
「おいマスター! 看板が変わってるぞ! 『エス・アンド・エス』ってなんだ? なんかカッコよくなったな!」
「おう、ヴォルク。……まあ、中身は変わらずパチスロと酒だよ」
「ひぃ〜! 看板は上等になっても、やることは変わらねぇなら安心だ! 今日も4号機で魔界ラッシュ引いてやるぜ!」
ヴォルクは上機嫌でメダルを投入し、勢いよくレバーを叩いた。
カウンターの奥では、新しい名刺(金箔押し)を大量に印刷したシエルが、満足そうに眼鏡を拭いていた。
「これで貴族や大商人からの投資口口座の開設依頼にも、堂々と対応できますね。マスター、次はいよいよ王都への『S&S 王都旗艦店』の出店準備に取り掛かります」
「……はいはい。好きにしてくださいよ……」
看板がどれほど洗練され、裏の組織名がどれほど恐ろしい金融グループに進化しようとも、自分はただのパチスロ屋のオヤジなのだと、俺は諦め顔でジョッキにビールを注ぐのだった。




