信頼などない 二
納得していなさそうな朔乃介と共にかの子の後を追いかける。
長い廊下を無言で歩きながら応接室に向かう。道中で見える妖や被験者と呼ばれている人間を横目で眺めていく。
明日山の話ではこの研究所にいる人間はどこか欠損した者がほとんど。体の欠損だけでなく心の欠損も含まれる。
反対にここにいる妖は欠損したのではなく、境や人間社会に馴染めずに白夜軍に覚悟して逃げ込んできた者達。
(私はどっちなんだろうな)
妖に育てられた人間。人間家族から逃げた人間。一体、杏寿はどちらなのだろうか。
気にしたことなんて一度もなかったのに、耀がいなくなってから周りがよく見える。良い意味でも悪い意味でも。
朔乃介は半妖で杏寿ほど特殊な人間じゃない。怪我をすれば日をかけて治していく。杏寿と違ってすぐに治らない。
(…別にこれでいいじゃん。この体は耀と私を繋ぐものなんだから)
ぼんやりと考えてながら歩いていれば応接室に到着した。
机を挟んでソファが二つ、別に一人用のソファが二つ。そしてお茶をお盆に乗せて皆が座るのを待っている明日山。
おずおずと部屋に入った杏寿と朔乃介は二人で座れるソファに座らされた。彌太郎は向かいのソファに足を組んで座り、かの子は一人用に座る。
まるで今から裁判でも始まるような配置と雰囲気だ。目の前に置かれたお茶を飲む気にもなれない。
「さてまずは栗花落の実験結果を聞かせてもらおうか、彌太郎」
「正確なデータを見てからでも遅くないだろう」
「結果データはもうお前の頭の中にあるはずだ。何を出し惜しみをしている?」
「出し惜しみしているわけじゃない。八割結果でしかないから口にしたくないだけだ」
「なら十割になるまでにはどれくらいかかる?」
「三年」
「待ってられんな、話せ」
一刀両断だった。凄まじいかの子の切れ味に彌太郎は唸るしか対抗できていない。可哀想。
しかし結果を聞いたとて杏寿は特に驚きなどという感情も感想も出てこない。自身の体が改造されているのは一足先に境でわかってしまっているから。
「椿が半妖なのはかの子もわかって入学させたのだから省くとして、栗花落、お前の輪廻の糸は妖、いや神獣並の化け物の力と混ざり合っている状態だ」
「加護の間違いではなく、ですか?」
彌太郎は神獣並と言ったが、紛れもなく耀は神獣だ。あまり日本で知られていないだけで。
「加護ぉ?あんなもの加護な訳あるか!お前の中にいるそれは加護なんかじゃなく、過剰なまでの干渉だ。人間が生み出した妖術の一つに憑依術式があるな?あれは祓魔師が紬師の輪廻の糸に入り込むことで体の自由を扱うことができる。だが!お前の加護とやらはあまりにも桁違いすぎる!神獣並の妖に糸を握られることがどれほど危険なことか!今はその程度で済んでいるがいずれは必ず呑まれる!」
「はあ…」
「まあ、ここまでの見解は昨晩の報告とお前の履歴を見れば予想ができる。私が天才故にな!そしてェ!私が天才故に気づいてしまったことがある!——栗花落、お前はその力を使うには条件があるとみた。椿、水上、霧崎。この三人の共通点がわかるか?」
「…全員が紬師ってことじゃないですか」
「足りんな。答えは紬師かつ、お前の糸を紡いだことがある人間だ。そして昨晩、お前は自分自身の糸を引き抜いた。加えて今回の実験も同様。最初はお前が自分の糸を引き抜くことかと思ったがこの三人を見て違うとわかった。加えて加護という点を考慮すれば…信頼していない者に糸を触れらたり、引き抜かれたら力が発動するのだろう?」
自らを天才と称するだけある。これだけ分かっていて八割だというのだから後は確証のみなのだろう。
彌太郎の熱が入った解説に何も言わないかの子と困惑したまま杏寿を見る朔乃介。
「人間で加護の条件を理解したのは所長殿が初めてです」
「やはりお前は自分のことを信頼してないんだな。何もおかしな話ではない。自分のことを信頼してない人間の方が多い。その度合いが違うだけで——お前は自分のことを言葉通り、一切信じていないということだな!」
高らかに言い放つので杏寿は思わず拍手をしてしまった。
そう、杏寿は耀の手を取ったあの日から自身への信頼は全て生家へ捨て置いたのだ。
だから自身への評価も賞賛も全て他人事に感じ、取捨選択の判断は耀に教えてもらったことや過去に耀がしたことの真似事でしかない。
するとかの子は話を区切るように飲んでいた茶を机に置いた。
「さて栗花落の現状が分かったところで、私がお前達を入学を許した目的を話そうか。彌太郎、そういう事だから栗花落の実験は終いだ」
「はあ!?結果が分かっただけで実験が終わりだと!?そんな愚行に俺が許すとでも!?」
「思わんな。が、栗花落はお前のモルモット——研究所の保護対象ではない」
「栗花落の実験によって多くの発展の可能性があるかもしれないんだぞ!」
「発展は喜ばしいことだが、お前こそ命に関わる実験を許す私だと思っているのか?」
「あ、あれは…!勿論、途中で止める気だった!それに必要な実験でもあった!何故分からない!?」
「何度も言わせるな。栗花落と椿は私の大事な部下であり、未来ある雛だ。文明の発展よりも優先すべきは雛の未来。…これ以上、無意味な会話を私にさせるな」
又しても一刀両断である。言葉は鋭利で厳しいが彌太郎を嫌っている感じには見えない。
それにいくら所長であり、天才でもかの子を慣れたように呼び捨てにするのはそれなりの付き合いがあるから、のはず。
故に言い返すことができないのだろう。彌太郎はかの子に対して口を閉じた。
「話をしたいがここではままならんな…学校に帰りながら話そう。帰る準備をしてこい。明日山、彼らの帰る準備を手伝ってくれ」
「かしこまりました」
帰るのが遅くなるどころか、まさか大佐直々に迎えに来たとは思わず朔乃介と戸惑ってしまった。
そこから手早く更衣室に放り込まれ、用意されていた新品の背広に身を包んだ杏寿達は送迎の車に乗せられた。
(研究所は帝都から離れてるんだ)
やがて車は何もない田舎道を走り出した。向かう先は軍学校だそうだ。杏寿は黙って流れていく外の景色を眺める。
海外でも車や馬車に乗ったことがある杏寿だが、静かに走行する車は初めてだった。
今度は目の前に足を組んだかの子。それなりに大きな車なのでかの子の長い足が当たることはない。その代わり、車が揺れるたびに朔乃介の膝が杏寿の足に当たる。
「…すまん」
なるべく当たらないようにしてくれているが長い足は今更削ることもできない。さほど痛くもないのでここは杏寿が我慢をすればいいだけの話。
そんな杏寿達のやりとりを無視してかの子は「改めて話をしようか」と口を開いた。
「前提として、我々は志願者を入学させる前に身辺調査を行なっている。だからお前達が特殊な経歴であることは当然把握していた」
「では半妖だと分かって私たちの入学を許可したんですか?」
「そうだ。去年までなら不合格にしていたんだがな。だが我々としても人間社会に苦しむ半妖の存在を放っておく訳にもいかない。そこで実験的にお前達を調査部隊に入隊させたんだ。これで言うならウルシュ・テルラルもその一環、そして実動部隊にも元被験者の半妖を入隊させている」
「私たちは社会実験の一つだったんですか」
「まあ、栗花落に関しては予想外だったがな。水上から報告を受けた時は半信半疑だったが、結果としてはお前も今後の一例として実験させてもらうさ」
杏寿の存在はかの子にとっても異例だったらしく、苦笑を零しながらため息をついた。
水上の報告、となれば境で糸に触れられた時だろうか。だとしてもそんなことはどうでもいい。それが杏寿の感想だ。だが勝手に白羽の矢を立たされた朔乃介はいい気はしないだろう。
半妖であることを杏寿には打ち明けたが他の班員達には伝えていない様子だった。それが半妖にとっての現代のあり方なのだろう。
するとかのこの次に今度は朔乃介がため息をついた。
「俺を使って実験をしていたのはわかりました。理解もしました。大佐殿はこのまま実験は続行する気ですか?」
「無論。始めたのは私の案ではあるが悪いようにはしない。それに半妖についての問題はいずれどうにかしなければならない問題だからな」
かの子が自身の腕輪型ニシキで何か操作した直後、杏寿と朔乃介のニシキが音が鳴る。メッセージが届いた時の音だった。
届いたメッセージを確認すれば、そこには新たな任務の内容が記載されていた。
事の展開の早さとかの子の容赦なさに思わず顔が歪む。さすがあの彌太郎を言葉で抑え込む女と言ったところか。
「早速だが明日から任務に向かってくれ。場所は境だ」
任務の内容は境での調査。しかもただの調査ではなく、神崎郁美を攫った晴前教の信者が境に紛れ込んでいる可能性があるというもの。
人選は杏寿、朔乃介、ウルシュ、蓮真。また蓮真に小言を言われそうだ、特にこのメンツは。
「メッセージに記載している任務目的はあくまで表向き。本来の目的は境北、境西の統括者のどちらが晴前教と繋がっているか炙って来てくれ」
「境には不可侵。それを破る形になるのでは?」
「案ずるな椿。表立って言ってしまうとお前の言う通り協定を破ってしまう。しかし境東、境南側は境に紛れ込んだ信者を炙りだしたいらしい」
「…栗花落、お前知ってたのか?」
杏寿は朔乃介の問いに頷く。この事実を知っているのは水上、蓮真、そして杏寿である。
繋がりのある統括者を炙りだすと言っても、ただの見習生にそんな大業ができるのだろうか。ましてや炙り出すなんて灼司達がとうに行っていてもおかしくない。
だがこんな任務を杏寿達にさせるところを見れば、まだ境北か境西なのか分かっていないということになる。
「私達に炙り出すなんてできると思えません」
迷いのない杏寿の言葉にかの子はおかしそうに笑った。何がおかしいのだろうか。
「そうだな、確かに栗花落の意図は分かる。向こう言い分では内部にいるからこそ妖同士ではやり辛い、だそうだ。ならば白夜軍が介入するしかあるまい」
「…朔乃介さん、晴前教に詳しい?」
「いいや。全く」
「それに関しては蓮真が同行するだろう?現地では蓮真に従うと良い」
やはり蓮真は晴前教と関わりがある。しかもそれをかの子は知っている様子。一体、この女は…。
「あまり上官を睨むものではないぞ、栗花落」
「…随分、手札が多そうですね。大佐殿」
「ふは、手札は多い方が戦いでは有利だろう?お前も李耀から教わらなかったか?」
「耀のことも調べたんですか」
「当然だ——お前はどうにも妖に好かれやすい人間だからな」
不敵に笑うかの子は手に汗が浮かぶほど恐ろしかった。




