第十三幕 信頼などない
杏寿は日本の最新技術で再現された耀と戦っていた。と称するより手合わせをしている認識のほうが正しい。
表情が変化すれど、何か言っているように口がパクパク動けど耀の外側を象ったホログラムにすぎない。耀から教わった読唇術で言っていることはわかるが遠い記憶の再現でしかない。
殴っても蹴っても感触はない。ただ杏寿の攻撃が当たると室内に甲高い機械音が鳴るだけだ。恐らく別室で彌太郎達が見ているのだろう。
(呼吸がしづらい。毒でも盛られたかな)
体の動きが鈍くなっている感覚がある。気のせいではない。
手先の痺れ、不安定な視界、呼吸の乱れ。杏寿は動きを止め、指先と足先の動作を確認する。
杏寿が立ち止まっている間もホログラムの耀は攻撃してくるが今はそれどころじゃない。攻撃を受けた時に鳴る低い機械音が室内に鳴り響く。
所詮は記憶の耀。杏寿の異変に気にかけてはくれない。本物ではない現実にため息が零れる。
「炒飯に毒はなかったからこの部屋か」
顔を上げ、部屋を見渡す。この部屋に窓は無い。あるとすれば天井に空調がついている。恐らくそこから毒が流れているか。
冷静に考えるが体は重くなり、吐き気と眩暈が起き始めている。自動ドアに近づくが開かない。この部屋から出す気はないらしい。
ドアを蹴ろうにも体が動かず、ついに膝を床についてしまった。歪み、揺れる視界の中、ホログラムの耀が微笑みながら杏寿を見下ろしている。
『——!——!!』
壁に取り付けられているスピーカーから彌太郎の声が響く。
しかし何を言っているのか耳鳴りのせいで聞き取れない。どうせ碌な発言でないのだろう。
ここに本物の耀がいなくてよかった。本物がいればきっと彌太郎は耀に八つ裂きされていただろう。
(そうか、本物…)
もしも、昨晩の出来事が事実なら杏寿の中には耀がいる。耀が杏寿に与えた加護を使い、ドアを壊して研究所から脱出できるのではないか。
(やっぱり私には耀がいないとダメなんだな…)
どれだけ生きる術、戦う術を教わっても一人では何もできない現状に舌打ちをしたくなる。今は舌が痺れて舌打ち一つもできないが。
震える手で心臓に触れる。加護が発動するには条件がある。
『お姫様、紬師に頼るときは必ず信頼できる相手をお選びくださいね。じゃないと私の掛けた加護が発動してしまいますから』
耀は確かにそう言っていた。要は糸を引き抜く相手は必ず杏寿が信頼している相手でないといけないことが絶対の条件。
ならば生きるために彌太郎が望んでいた姿を見せよう。信頼のない人間が引き抜けば加護が発動する。
口の端から唾液が無様に流れ落ちていく中、杏寿は最後の力で心臓から糸を引き抜いた。
刹那、轟音が響き渡る。糸を引き抜いた瞬間、全身に血が駆け抜けるような心地があった。
即座に杏寿は自身の足で立ち上がり、引き抜いた糸で紡いだ刀を降り下ろした。
「…あれ?」
昨晩のように視界は赤い。力が全身に籠っている。しかし耀が喋らない。お久しゅうございますね、と言ってくれたのに何も言ってくれない。
杏寿は混乱していた。昨晩なら勝手に体と口が動き、耀と話していた。というより耀が杏寿の体を動かしているようだった。
しかし今は自身の意思で体も口も動いている。何故か、耀がいない。現れてくれないのだ。
「耀?」
ホログラムの耀は気が付けば消え去り、研究所にサイレンが鳴る。
それでも何度も呼びかけるが何も変わらない。加護は確かに発動している。今ならこの力で研究所から朔乃介を回収して脱出だってできる気がするのに。
刹那、体に付けていた制御装置が発動し、杏寿の全身に痛みが走る。だが加護のおかげなのか、針で少し刺されたような痛みでしかなかった。
明日山は制御装置が発動すると痛みでその場から動けなくなると言っていたのに。
すると廊下の奥から彌太郎が朔乃介を連れて駆け付けていた。
「そこを動くなモルモット壱!」
これ以上はまずいか、と杏寿は糸を心臓に戻して両手を上げる。やがて視界は元の色彩に戻り、体調も元に戻った。
彌太郎の表情は相変わらず見えないままだが、朔乃介は困惑した表情で杏寿を見つめている。
「モルモット…お前は確かに半妖ではない」
「ずっとそう言っているじゃないですか」
「だが人間でもない。お前は妖によって作り変えられた人間だな」
「それが問題ですか?」
「全てにおいて問題だが、一番の問題はそこじゃない。お前、自分が持っている力の発動条件を知って使ったな?」
さすがは日本の文明を進めた天才集団の一人。被り物を被っているくせに目の付け所が鋭い。
朔乃介の前で暴かれるのは嫌だ、なんてのんきに考えているとサイレンが鳴り止み、コツとコツと新しい足音が廊下に響いた。
彌太郎と朔乃介の奥からまた一人、女がやってきた。現れた人物は隻眼で白い軍服を着ている。
「随分、派手にうちの部下で遊んでくれたようだな。——私はそんなこと、許していないが?」
「か、かか、かの子!?何でここにいるんだ!?」
「おやおや、不思議なことを言うじゃないか。この時間に応接室に来いと言ったのはお前だろう、彌太郎?」
「ガっ…!そうだ、俺だった…!明日山ァ!今、どこにいる明日山ァ!」
「明日山はさっき私と会ってね。応接室に茶を運ぶように言ってしまったよ。さて彌太郎、この場で一番偉いのは誰だと思う?」
「…………かの子」
「そうだな。応接室まで黙って我々を案内しろ」
腕を組んで微笑むかの子に刃向かえなくなった彌太郎は指示通り、黙って歩き出した。
これはついて行くべきなのだろうか。首を傾げていると何故か朔乃介が杏寿に近寄り、その大きな背でかの子から杏寿を隠した。
「朔乃介さん…?」
そんな朔乃介の行動にかの子は小さく苦笑いを零す声が聞こえる。朔乃介の大きな体のせいでかの子の姿が見えない。
「検査は終わっている。これ以上、栗花落に辛いことを強いたりはしない。お前達も共に応接室に来い。話をしよう」
顔は見えないが声は聞こえる。杏寿は朔乃介の服の裾を少し引っ張る。
杏寿の呼び掛けに朔乃介が少し振り返った。朔乃介の行動は嬉しいがかの子から話を聞かない限り、現状は進まない。
「体は大丈夫なのか?」
「大丈夫。だから私達も行こう」
「…そうだな」




