ようこそモルモット 三
明日山は杏寿が映っているモニターに向けて指をさした。
杏寿の前に一人の男が相対していた。だがホログラムで再現しているので、指先や髪先のホログラムがジジッと音を立てて乱れている。
(こいつ、栗花落が言っていた李耀か…?)
長い黒髪の中に金色の髪が所々に混じっている。確かこういった元来の髪の中に他の髪色が混じることを『メッシュ』と言っていたような。
着ている服は和服、ではなく上等な生地を使ってそうな唐服を着ており、杏寿と似た笑みを浮かべていた。
すると杏寿は少し目を見開いた後、恐らく備え付けているであろう監視カメラに瞳を動かした。杏寿とモニター越しに目が合う。
『明日山さーん!これってどれくらい再現性ありますかー?』
「動きに関してはほとんど再現されます。ただホログラムなので殴っても蹴ってもすり抜けますのでご注意を」
『こっちが攻撃された場合はどうなります?』
「栗花落さんが攻撃を受けた場合は怪我はしませんが帰宅時間が遅くなるだけです。どうぞ、早くご帰宅できるよう奮ってください」
『ぎぇーっ!?』
ホログラムは動きは再現できても声までは再現できないらしい。耀は笑みを浮かべ、何も言わないまま杏寿に蹴りかかる。
易々と杏寿は避けるが、その顔に浮かんでいた笑みは消えていつもの戦闘態勢になっていた。
とても静かな戦いだ。相手は実態のない記憶のホログラム。杏寿が殴り掛かっても蹴っても、吹き飛びはするものの一切の無音。まるで杏寿が一人で舞っているかのようにも見える。
「明日山、濃度を下げていけ」
モニターを食い入るように見ながら彌太郎は明日山に指示を出した。朔乃介もまた明日山の顔を見る。
「栗花落さんがいる部屋の酸素濃度を少しずつ薄くしています」
「は!?何でですか!?」
「酸素とは人間が生きる上で必ず必要なものです。反対に妖にとって酸素は人間ほど必要なものではありません。酸素が薄くなるにつれ、人間は生存本能として生きようとします。その際に半妖であれば意思と関係なく、力が発動します。昨日、椿さんが作り出していた氷のようなものですね」
酸素濃度が下がっていくことを知らない杏寿は変わらずホログラムと戦っている。彌太郎がこのまま杏寿を殺すなんてことはしないと思うが人のことをモルモットと思っている兎だ。一抹の不安が脳裏を過ぎる。
空になった皿を近くの机に置き、立ち上がった朔乃介は出口に向かって走った。しかし付けられた制御装置が発動し、激痛が全身に襲う。
「じっとしていろ、モルモット弐。壱を殺そうとは思っていない」
「苦しめることに変わりはないだろ…!」
「必要なことだからだ。それにこれは壱が人間であることの証明にもなる。明日山、操作は俺がやる。炒飯を持って来い」
言われた通り明日山は部屋を出て行った。うつ伏せで動けなくなっている朔乃介を跨いで。
与えられる痛みで動けない朔乃介にできることなんて何もない。ただモニターに映る杏寿を眺めるしかできなかった。
「この痛み、いつまで続くんだよ」
「発動したら十分は続く。床でくたばっていろ」
「クソが」
「阿呆め。制御装置を付けられたのは二度目だろ貴様」
「だとしても相棒が苦しむかもしれないのに助けないのは違うだろ」
「ふん、美しい絆だな。何の価値にもならんが」
制御装置による痛みのおかげでようやく頭が冴えてきた。
彌太郎の言う通り、絆があったとて杏寿を助けられなかったら価値も意味もない。
「時に半妖が自身の妖の力に目覚めるのは幼少期がほとんどだ。人間の幼子というのは激情を抑えることができないからな。モルモット弐、お前もそうだろう?」
「栗花落も同様に目覚めているはず、って言いたいのか」
「単純な話なら壱が半妖であることを隠し、暴走してしまったで終わる話だ。人間の妖力と妖の妖力が交わることは絶対にない。たとえ一つの体の中に存在していても。——私が言いたいのはそういうことじゃない。昨晩で妖力が暴走したというのが奇妙な話であり、今まで出会ったことのない被験者の可能性があるということだ」
「……お前、栗花落を本当にモルモット扱いする気なら殺すからな」
「殺すなんてそんな費用対効果が悪そうなことなどしない。かの子も怒るしな」
そう言った彌太郎はケラケラと笑う。
体が動けていたら殴れていたのに。痛みで動けない朔乃介は表情が無になっていく杏寿を眺めることしかできなかった。




