第十二幕 ようこそモルモット
糸が切れたように氷雨の大太刀に弾かれた杏寿がめり込んだ三階の壁から落下しそうになった。
何が守るだ。何が逃げてくれだ。
鵺の尻尾に叩きつけられ、よろめく全身に妖力を全稼働で巡らせる。
憤ることもない。呆れることしかできない。それでも杏寿を相棒として力になると決めたのは朔乃介自身だ。
実動隊員の手を無視して落下する栗花落の元へ全速力で走る。普段の妖力量では落ちる杏寿の元へ間に合わない。
(やるしかねぇだろ…!)
何があっても使わないと決めていた継いだ雪女の妖力を足に巡らせた。人間が持つ妖力と妖の妖力は質が異なる。故に人間としての妖力で走るより強固で速度が段違いに出るのだ。
速くなった代償に足の神経が切れそうなほど痛みが襲う。半妖の体には負荷が重すぎるがこうでもしないと杏寿の元へ間に合わない。
しかもどういう理由か知らないが実動部隊と共にきた人型の妖が杏寿に殺意を向けている。
鵺が朔乃介と郁美を攻撃した後から杏寿の様子がおかしかった。元々持っている妖力とは別の妖力が杏寿の体を覆っていた。
たとえそれが原因で殺意を向けているのだとしても杏寿を助けないという理由にはならない。
(あいつがここで死んでいい訳がねぇんだよ)
生き物である限り、死は免れない。人間であろうが、植物であろうが、妖であろうが死は平等にやってくる。
しかしそれは今ではない。今であっていいはずがないのだ。
地面に落ちる寸前で手を伸ばして抱き止め、意識を失っている杏寿を庇いながら朔乃介は転がる。
「半妖か」
大太刀の男の声が後ろから聞こえる。そして刀を構える音も。
杏寿を小さな頭を男から隠しながら朔乃介は辺り一帯に氷を張り巡らせる。土、瓦礫、己の軍服でさえも朔乃介が生み出す氷が容赦なく凍らせていく。
杏寿には誰も近寄らせない。守るという目的に思考が支配された朔乃介が生み出す氷は冷気を放つほどに冷たい。
そして応戦する為に自身の糸を引き抜こうとした瞬間だった。
「椿!やめなさい!」
声を上げたのは水上だった。
いつの間にかこちらに近づいて来ていたようで男と朔乃介の間に立つ。
何故ここに水上がいるのか疑問に朔乃介の頭が冷えていく。その間でも水上は現場の流れを誘導する。
「氷雨殿、何かあれば手助けするという約束の元、ここにお呼びしていることを忘れないで頂きたい。そちらの私情は存じ上げないが、栗花落は我々の大事な部下です。これ以上戦闘を続けるなら貴方を討伐対象として定めなくてはならない」
「……すまない、出過ぎた真似をした。俺はここで引き上げる」
氷雨は般若の仮面の緩んだ紐を縛り直し、煙と共に姿を消した。
仮面を被った氷雨が何者なのか朔乃介は知らない。しかし水上は杏寿への執拗な攻撃は私情と言った。杏寿と氷雨は何か関係性があるのか。
そんなことを考えていれば水上は次に朔乃介の方に目を向けた。
「……派手にやりましたね」
返す言葉もない朔乃介は杏寿を抱えたまま、水上を見る。
朔乃介の僅かに空いた口から漏れ出る息が白く、また水上も朔乃介に近づく度に吐き出す息が白く可視化していく。
そして凍てつく寒さの中で水上は片膝を氷の上に着き、朔乃介の顔を見た。
「任務は終了だ。——よく頑張りましたね」
張り詰めていた糸が切れるように朔乃介の妖力も底をついた。
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「よぉ〜こそ、モルモット共〜!!」
部屋に漂う消毒液の匂いと炒飯の匂いが鼻の奥を漂っていく。朔乃介が患者衣を身に纏うのは初めて雪女の妖力が暴走した幼い頃以来だ。
その時は身長も他の子供と同じ背丈だった。今では患者衣のズボンの丈が足りなくて足首がよく見える。
手には赤い小さなライトが付いている腕輪。同じライトが付いている腕輪は足首にも付いている。
朔乃介はこの腕輪を知っている。この腕輪は付けた対処者の妖力が抑え込まれる役目を持っている。雪女の妖力が暴走して検査を行う時に付けられた物と一緒だ。
そして座っているふかふかのソファに身を沈め、白い天井を眺める。
「朔乃介さんも何か食べた方がいいよ」
そして朔乃介の隣には炒飯を頬張る杏寿がいる。
神崎郁美と鵺の任務から一夜が明けたらしい。朔乃介の目が覚めて体を起こせば、見慣れぬベットの上にいた。
寝起き早々、部屋に知らない白衣の女が入って来て今いる部屋に案内されたのだ。おかげで朔乃介の頭は重く、意識がぼんやりと揺蕩う。
「てか、何で栗花落は炒飯食ってんの?」
「朔乃介さんが起きる一時間前に起きて作ってもらった。お腹空いてたし」
壁に掛けられている時計を見ると今の時刻は十五時。一時間前となると十四時頃だろう。朔乃介も杏寿もかなりの時間寝ていたようだ。
「いい加減に話を聞けモルモット共!今のお前たちは被験体なんだよ!分かるか!?」
「自己紹介はちゃんと聞いてましたよ、モルモットさん」
「モルモットはお前なの!俺じゃないっての!特に栗花落杏寿、お前!図々しいぞ!静かな椿朔乃介を見習え!!」
加えるなら机を挟んで目の前に喋る兎がいる。正確には兎の着ぐるみの頭部を被った男だ。
先程からここの施設の説明や状況説明をしてくれているが全く耳に入ってこない。そもそもモルモット呼びをされているので返事をする気も起きない。半妖ではあるが朔乃介も杏寿も人間である。そう、半妖——
「栗花落、やっぱりお前半妖じゃねぇか」
顔を横に向けて杏寿の顔を見る。
視線を受けた杏寿は口に詰め込んでいた炒飯を胃に流し、目を瞬かせた。
「いやいや、違うよ。私、人間だもん」
「じゃあ昨日の暴走は何だったんだよ」
「それを今から調べると言ってるだろうが!!話を聞けモルモット共!!」
「うるさい兎ですね」
「被り物脱いでから言えよ、兎」
寝起きのせいなのか、どうにも理性が仕事をしない。
普段だったら杏寿にこんな質問しようとしても立ち止まるはずなのに。兎の男に関してはモルモット呼びが終わらないので口調がどうしても荒くなるが、これは理性とか関係なく腹立つのでしょうがない。
朔乃介は気怠い体を背もたれから離し、兎の男を見る。
こうしてうだうだをしても現状は変わらない。話を聞くしかこの部屋——否、施設から帰してはもらえないのだろう。
自身の髪を掻きながら朔乃介は口を開いた。
「でモルモット、お前は何者なんだよ?」
「モルモットはお前な?」
被り物の向こうからため息が聞こえる。どこまでも失礼な奴だ。
「私はこの技術開発研究所の所長、有栖河彌太郎だ!管轄は違えどお前たちより上官だからな!」
「…なるほど。確かにこれは来たくないな」
「あ、朔乃介さんもそう思う?私も早く帰りたい」
呟くように吐いた朔乃介の独り言に杏寿が力強く同意する。
杏寿とコンビを組むきっかけになった戦闘訓練にて敗者は技術開発部隊に送られるということがあった。その時、調査部隊の中からも技術開発部隊送られた者が何人かいた。
研究所から帰ってきた同期と会う機会があり、研究所での起きたことを聞いてしまったのだ。
「喋る兎がいた」「飯だけしか良いところがない」「衝撃で記憶がない」「モルモットって呼ばれ過ぎて自分の名前を忘れかけた」だの、中々に散々な感想だった。
少なくとも喋る兎とモルモットに関しては彌太郎が原因であることは朔乃介も理解した。




