加護 五
「杏寿様!朔乃介様!撤退なさい!実動部隊が来るまで貴方達だけで食い止めるのは無理ですわ!」
「いやぁ、この状況で逃げるのも無理だから蛇狩りするしかないよ。ね、朔乃介さん?」
「俺は逃げたいけどな」
「わはは、全力で守りますけどやばかったら逃げてくださいな」
少し躊躇ったのち、朔乃介は「おう」と無表情で答えた。
返事が聞けたところで、杏寿は改めて郁美を見る。郁美は瞳に涙を溜め、守られるように蜷局の中心にいる。
対して鵺は敵意を剥きだして鳴き声を上げる。蛇の姿をしているのに鳴き声は鵺のまま。蛇が鳥のような鳴き声をあげている光景に脳が混乱しそうだ。
ここから打開策は勿論、鵺を討伐するところだが保護対象が戦場のど真ん中に居られるのはとても困る。かなり戦い辛い。
それは鵺も一緒と思いたいところだが、倒れる班員達を見ていればそうでもなさそうだ。
「神崎郁美を回収してくる。鵺の討伐はその後になりそう」
「妥当だな。特に神崎郁美は逃したくないんだろ?」
「もっちろん!小春さんの相棒へのチャンスだもんね!」
「……面と向かってクビって言うなよな」
「そんなつもりはないよ?朔乃介さんは特別長期契約だから」
「…ははぁ、嬉しいねぇ」
呆れるように笑う朔乃介の背を軽く叩いた杏寿は鵺の元へ走る。淑野の制止する声が聞こえるが今は聞けない命令だ。
器用なもので廃校舎の瓦礫を尾で掴み、杏寿に向けて投げつけてくる。
避けても良かったが避けると後ろで倒れている淑野達に当たりかねない。杏寿は槍で瓦礫を砕いて走った。
飛んでくる瓦礫の三回に一回は槍で打ち返してみるが簡単に避けられてしまう。
(うーん、野球選手には向いていないな私)
何とか鵺の近くまで行くと瓦礫が飛んでこなくなり、代わりに口を開けて鋭い牙を見せた蛇の顔が突進してきた。さしずめ、蛇に食われる前の蛙。と言ったところか。
突進の威力は強く、紙一重で避け、それでも体を掠めれば摩擦で杏寿の肌を引き裂いていく。体を掠るだけで怪我をするならぶつかってしまったら骨は粉々に砕けるだろう。
懐かしい。耀と旅をしてこういう場面に幾度となく遭遇してきた。懐かしみながらも杏寿は蜷局の中に飛び込み、すばやく郁美を回収することに成功した。
だが腕の中にいる郁美は離してとひたすらに喚いている。鵺の甲高い咆哮より少女の泣き声のほうが杏寿は苦手だった。
郁美を抱えたまま蜷局から抜け出し、鵺の体を踏み台にして高く跳躍した。
「朔乃介さん!よろしくお願いしまぁぁぁぁす!!」
呼ばれた朔乃介は杏寿の意図を読み取ったようで目を見開きながらこちらに向かって走り出した。さすがだ。
郁美を抱えている右腕に妖力を回して強化していく。朔乃介も郁美も何か言っているが知ったことではない。命があれば今後の事なんてどうにでもなる。
杏寿は朔乃介の方に郁美をぶん投げた。投げた瞬間、無防備になった杏寿へ目掛けて鵺が口を開けて飲み込もうとしたが残念ながら杏寿は戦える蛙だ。そう簡単に食われるほど弱くはない。
口が近づいた時を狙って上顎と下顎の間に槍を突き立て閉じないようにする。上顎に刃が突き刺さっているので腕のない体で槍を取ることは難しい。
「お前も大変だね、人間の娘を守らなくちゃいけないなんて」
杏寿は再び地面から跳躍し、下顎を蹴り上げる。勢いよく下顎が閉じられたせいで槍が上顎を突き抜ける。
思えば耀も物好きだ。面白い人間を見つけたと幼く泣いてばかりの杏寿を連れて世界を巡ろうなんて。耀にとっては長い人生の中でのただの暇つぶしだったんだろうが、おかげで杏寿はこうして大蛇になった鵺とも渡り合えている。
血濡れた槍を握り、倒れる鵺から離れて反応を見る。微弱に体を震わせながら杏寿を睨みつけているが、痛みと杏寿への恐怖で動けなくなっている。
合成獣は分裂すると本来の野生の感覚が戻るのだろうか。興味深いな。
そんな鵺に槍を構えながらも横目で朔乃介の方を見る。逃げようとする郁美を何とか抱える朔乃介の攻防が見える。
「離して!やめて!鵺を殺さないで!」
「落ち着け…!」
「お願いします!殺さないで!鵺は私を守ろうとしただけなの!」
郁美は涙を流しながら願い叫ぶ。
「——これだから弱い奴は嫌いだ」
高ぶっていた脳が冷えていく心地だった。
「お願い」「やめて」「殺さないで」何度も聞いた言葉だ。そしてかつての杏寿も耀に同じように言ったこともある。
道中共にした少女を耀は殺そうとしたことあった。理由も泣く殺そうとしたわけじゃない。少女は金を渡され、杏寿に取り入り、耀を殺すようにと頼まれた刺客だった。
日本から離れて長い間、『友達』なんてできなかった杏寿は少女はすっかり絆されていた。少女が耀を狙っていたことは許していないがそれでも共に肩を寄せ合って話した夜は嘘じゃないと思っている。
それでも無力なままで願ったって意味はない。
『なら私を全力で拘束しなさい、お姫様』
結果、杏寿は耀に見守られながら少女の亡骸を森に埋めた。耀を止めることも少女を逃がすこともできなかった。
それは杏寿がまだ未熟で無力だったから。大切なものを守る力、権力もない人間が何もせずに願うなど笑止千万。
鵺に最後のトドメを刺す為、右足を踏み出した瞬間だった。鵺の尻尾が郁美を抱きかかえていた朔乃介を襲った。
朔乃介と郁美は壁に吹き飛ばされてしまった。叩きつけられ壊れた壁の瓦礫の中で朔乃介は痛みに呻き、口から血を吐き出している。
しかし庇われた郁美はようやく自分のせいで背広の男女が怪我を負ったこと、鵺の驚異的な威力を理解したのか、無言のまま目を見開かせている。
「はは、最悪だこれ」
壁に打ち付けられた衝撃で朔乃介のバッシキが壊れたのだろう。杏寿の手の中にあった槍が解かれ、糸が杏寿の心臓に戻っていく。
何故、鵺が郁美諸共、攻撃したのか。答えは簡単。朔乃介が郁美を必ず庇うと判断したから。鵺も馬鹿ではないらしい。
朔乃介のバッシキによって形成されていた紬器が無くなった今、杏寿は完全に武器を失った蛙だ。
腰に装備しているハンドガンはあるが鵺に有効な攻撃ができる威力は持ち合わせていない。ならばやることは決まっている。
杏寿は持っていたバッシキを起動させた。
いつかの或る日、耀は紡いだ紬器を解きながら杏寿に言ったことがある。
『お姫様、紬師に頼るときは必ず信頼できる相手をお選びくださいね。じゃないと私の掛けた加護が発動してしまいますから』
耀は極力、杏寿の輪廻の糸を他人に触れさせようとしなかった。杏寿が紬器を欲した時は必ず耀が紡いだ。
だから自身の糸を自身の手で引き抜くのは初めての試みだ。朔乃介に触れられても問題なかった。
ならば自身の手で武器を紡ぐしかない。紡げる武器は——刀しか作れないが。
(思い出すから嫌だけど、やるしかない)




