加護 三
「これは…」
「穴だね。本当は本人の元に行くかなって思ったんだけど」
「——栗花落、それに触れるなよ」
「え、何で?」
「それは妖もしくは半妖にしか通れない移動用の穴だ。その穴の中に人間が入ると妖力の濃度に耐えられなくて最悪死ぬ。正常な人間なら触った時点で拒否反応で吐血するから気をつけろ」
「わお」
触れようとしていた手を引っ込め、朔乃介の隣へと戻る。
しかしこれは大きな収穫だ。妖が見えない警察がこの穴に気づけなかったこと、そして神崎郁美が人間ではないということ。
郁美が妖に喰われずに生きていて、この穴を使って移動していたのなら郁美は人間じゃないということが証明される。
「他の奴らに報告入れるから栗花落は動くなよ」
「うん」
朔乃介の言葉に頷いた瞬間であった。僅かに穴の向こうから何かの『鳴き声』が聞こえた。
さっきの占地でもなく、動物の鳴き声でもない。聞き心地の悪い不協和音だった。
気になった杏寿は再び穴に目をやるとそこには四足歩行でこちらに向かって走ってくる猿の顔があった。動かしている手足は虎、振り乱れる尾は蛇。
即座に杏寿は朔乃介を突き飛ばし、近くに置いてあった椅子を掴んで振り上げる。
杏寿に噛みつこうと牙を見せた刹那を狙い、思いっきり脳天に振り下ろした。
振り下ろした椅子は砕けたが猿の頭は砕けることなく、痛みに耐えながらも杏寿の肩に噛み付く。
妖力の膜を纏っていなかったので痛みが普段の戦闘より伝わってくる。今度は杏寿が痛みに顔を歪めた。
「栗花落!」
突き飛ばされた朔乃介が瞬時に対妖用のハンドガンで噛み付いた猿の胴体を銃弾を撃ち込む。
そして猿の顎が緩んだところで杏寿は後ろに下がり、朔乃介が長い足で壁へ蹴り飛ばした。
「栗花落!まだ動けるか!?」
「痛いけどいける!やれる!だいじょーぶ!」
「なら校庭まで走るぞ!教室で戦うのは不利だ!」
教室を飛び出した朔乃介の後に続いて杏寿も肩を抑えながら走る。
蹴飛ばされた妖も起き上がり、杏寿達の後を追いかけて来た。胴体が虎でできているからか、かなり速い。
猿、虎、蛇が混じった妖を杏寿は知らない。動物を狩ったことは数えきれないほどあるがあれはどう狩ればいい?
「朔乃介さん、あれって食べられる?」
「鵺なんか食えるか!腹壊すぞ!」
「えー、ダメなんだ」
校庭まで走り切るとそこには他の班員が待ち構えていた。杏寿が肩を噛まれている間に連絡をしていたようだ。
走る杏寿と朔乃介の横を通り抜け、全速力で鵺に向かって走った淑野はお得意の菜切り庖丁で前の右足を切断した。
しかし鵺は倒れるでもなく、背から鱗のような黒い斑模様、羽毛が黄褐色に染まった翼が生えて空を旋回し始めた。切断された足から血が溢れ落ち、廃校舎や校庭を汚していく。
加えて鵺が鳴き声を上げるたびに体が大きくなり、襲われた時と比べて巨体へと変貌していた。
「うわぁ…早く決着つかないとまずいかもねぇ」
義足のエンジンを蒸かしながら蓮真が小さくぼやく。
朔乃介に肩の応急処置をされながら杏寿は鵺ではなく、苦笑いで笑っている蓮真を見上げた。
「現場が汚れるから?」
「それもあるけど妖の血は妖力濃度が一番濃いからね。長時間、人間が居れる場所じゃなくなるってわけ」
「だとすれば最優先事項は鵺を地面に叩き落とすことになりそうだね。淑野さぁーん!何か良い作戦ありますー?」
遠くから「翼は生えるし大きくなるし何なんですの!?」と叫びながら淑野達がこちらに下がってくる。淑野にとってもあの鵺は想定外だったようだ。
一般的に鵺とは動物が合成された妖とされているが、翼が生える鵺というのは聞いたことがない。
ただ蓮真は心当たりがあるようで準備運動をしながら乾いた笑いを零していた。皆が蓮真に視線を向けている。
「鵺は色んな伝承や口伝が残ってるから一概に鵺はこういう妖って言う像がないんだよ。だから確実な対処法もないの」
「は!?ありませんの!?千葉管轄部隊に応援要請は致しましたけどそれまであれを食い止めるのは無茶ですわ!」
「うーん?まあ?とりあえず切り刻めばいいんじゃない?一応、鳥だし」
「皆様!今日の晩御飯は旅館のご飯ではなく、鵺の焼き鳥ですわよ!!」
淑野の宣言により、今日の晩御飯が決定した。全員がげんなりした顔で空を飛ぶ鵺を見上げる。あまり美味しそうには見えない。
焼き鳥にするにはまずあの翼を切り落として地に叩き落さなくてはいけない。
鵺が飛んでいる位置まで飛び、あの体にしがみ付いた方がいいのだろう。この中で鵺の位置まで行ける人物がいるとするなら。
「蓮真かウルシュしかいないだろうな」
鵺の足から零れる血を避けながら倫太郎はウルシュと蓮真を指さした。
蓮真の義足は人体には出せない脚力や耐久力がある。力技だが助走をつけて飛べば届くだろう。妖力の膜や身体強化をしていても蓮真の脚力を真正面から受け止められるとは思えない。実際、杏寿は何度も蓮真の足に蹴飛ばされて骨を折った。
ウルシュはお得意の魔術で何とかするだろう。戦闘訓練でも手の内を中々明かさないので未知数なのだが鵺の一匹くらい仕留められる術を持ってるはずだ。多分。
すると白羽の矢が立った蓮真とウルシュは顔を見合わせた。
そして無言でじゃんけんをして蓮真が負けた。この間、二秒の出来事である。
「僕がじゃんけんで勝ちましたので蓮真さんが鵺を叩き落としてくれるそうです。それで翼を切断するのはどなたが?」
「私が担います、と言いたいところですが片方だけで切り落とすだけでは先ほどの二の舞になりそうですわ。あの鵺、再生能力があるようですわよ」
顔を顰めて顔を上げる淑野と共に杏寿も顔を上げた。
驚くべきことに淑野が切断したはずの足が再生し始めている。妖力に塗れた廃校舎が鵺の能力を補助していることも関係していそうだ。
現に少しずつだが空気が淀み始め、廃校舎が鵺の血の影響で穢れに染まっていく。小春達の実動部隊が出動しなければならない事態になりつつある。
ここは千葉な上に小春は忙しいのでここに駆けつけることはないだろうが、あまり今の現状を見られたくはない。
「栗花落、肩は動きそうか?」
「痛みはあるけど大丈夫、やれそう。朔乃介さん、私も淑野さんと同じ菜切り庖丁を作って」
「…肩、悪化しないか?」
「早く医者の所に行くためにも早く終わらせないと」
渋りながらも朔乃介はバッシキを起動させ、杏寿の意図を引き抜いて菜切り庖丁に紡いでいく。
肩の痛みはあれど動けないほどずあに。むしろここで早々に鵺を倒さないと教室にあった穴が塞がる可能性がある。
そうなれば郁美の手掛かりが消えてしまう。それは阻止したいところだ。
(大切な成果だしね)
班としての評価にはなるだろうが見つけたのは杏寿だ。是非とも水上を唸らせる一手にしたい。
手に収まる菜切り庖丁を軽く振り回し、馴染み具合を確認する。
改めて菜切り庖丁を武器として握ると思う。淑女を目指す乙女が長身の庖丁を振り回すというのは何か違うんじゃないか、と。
「杏寿様、鳥の下処理をしたことはございます?」
「一応あるよ」
「では鵺も朝飯前ですわね。共に調理してやりましょう!」
「……そうだね」
そんなこと淑野に言えない。杏寿は黙って妖力の膜を纏い、菜切り庖丁を構えた。




