まだ遠い 二
「栗花落、到着しました!」
「栗花落、口元にタレが付いてますよ。拭きなさい」
しまった。食べた団子のタレがついてことに気づけなかった。指摘されたように杏寿は持たされていたハンカチで口元を拭う。
呆れている水上の隣には眉をピクリとも動かなさい蓮真。灼司の話を聞いてからずっと表情が変わらない。
「貴方の元に灼司殿が向かいましたけど、何か話しましたか?」
「謝罪を受けました。それだけですね」
「それ以外で話したことはないと?」
「はい、誠心誠意の謝罪だけです」
「…分かりました。鵜養、休憩で外れても構いません。一時間だけ認めます」
しかし蓮真は首を振った。聞き心地の良い中点音の声がより低くなって返ってきた。
「こんなところに一人でいたら気が狂いそうなんで俺はこのまま任務を続けます。特に疲れてもいないんで」
「そうですか、わかりました。同行を許可します」
「それで次は境北ですか?」
甘味処で話をしている間に境西の視察は終わったようだ。
杏寿は辺りを見渡す。境東や境南と比べるとかなり長閑で大きな田畑が広がっている。
店がない訳じゃないが活気や煌びやかさはない。文明開化を迎える前の古き日本を保存したような場所だ。
「境西はこれと言って不可解な点や事前に見ていた資料と差異はありません。地主の妖が人間を雇い、田畑で働かせる。ここで生産された食物は境全体、そして外の人間社会にも卸されています」
「へえ、重要な生命線ですね」
「ええ。隅々まで見たとは言えませんが、晴前教の影は見えませんでした」
野菜を収穫している農夫に軽く会釈をしながらも水上の後に続いて歩く。
もう少し歩けば火車乗り場がある。そこに向かっているのだろう。
妖の火車は境で送迎車として活躍しており、主な移動手段の一つだ。
「見えないというより隠してるんでしょ、あれは」
水上の見解を否定したのは蓮真だった。
そりゃそうだろうとは言えないので杏寿は蓮真の横顔をぼんやりと眺める。
「晴前教について政府が動き出していることにマスコミが気づきだしてる。弾圧が始まるのも時間の問題。それをあいつらが気が付かないわけがない」
「弾圧に備えて信者が身を潜めている、と?」
「まもなく我々に受難が降りかかるとか言ってんじゃないですか?金づるを減らしたくはないでしょうし」
思えば蓮真は随分晴前教について詳しい。細かく成り立ちから説明もしてくれた。
態度から見ても晴前教を良しとしていないのは分かる。何かあったのは間違いないはずだ。
「蓮真さん、深く聞かない方がいい?」
「えー?なに?俺の事、知りたいの?」
「知りたいなぁ!」
「今度ね」
「だめかぁ!」
「杏寿が灼司殿に殴られた理由をちゃんと教えてくれるなら話すけど?」
「うーん、また今度!」
「あっはは!そっちもだめじゃん!」
蓮真とケラケラ笑っていると呆れた水上に「さっさと乗りなさい!」と手を叩いて呼ばれた。
いつの間にか乗り場に着いていたようだ。
杏寿は呼ばれた犬のように駆け寄り、火車の車に乗り込む。
それから境北も視察したが特にこれと言った気になることもなく、境での任務は終了した。
灼司や氷雨から耀のことを聞きたかったが、あの空気のままでは聞き出すことは無理だっただろう。
それに事前に小春に話を通し、灼司に連絡してもらっていれば殴られずに済んだのかもしれない。それを怠ったのは杏寿であり、当然の結果と言えば当然の結果だ。
武器商人の用心棒ではなく、白夜軍の調査員だ。最優先事項は耀ではなく、任務である。
杏寿は視察後、灼司達に会うこともなく帝都に戻った。勿論、任務のために。
「今さっき、指令書を送りましたけど来週から貴方達の班全員で任務にあたってもらいます」
「ポーカーしてる最中に言うことじゃないですって中尉殿~」
見習生より用心棒の方が楽だった気がする。杏寿は持っていたトランプの札を机に並べ、負けを認めた。
残念ながら翌日の新幹線で繰り広げられたトランプ勝負でも水上には勝てなかった。




