先行投資 三
「酷い目に遭いました」
「ホンッッットに申し訳ねェ!!」
蓮真から手当てをされながら杏寿は半眼で土下座する灼司を見る。白虎の土下座なんて滅多に見られるものではないので焼き付けておこう。
そんなやり取りを見守りつつ、水上がコホンとわざとらしく咳払いをした。
人違いと分かるなり、顔色を悪くした灼司に客室へ運び込まれた。混乱している灼司が杏寿の手当をまともにできる訳もなく、後から追いかけてきた蓮真が手当てをすることになって現状に至る。
杏寿としては謝罪より、襲いかかってきた理由を知りたい。それは水上も同意見らしい。
「謝罪はそこまでで。まずは理由を聞きたい。何故、栗花落を襲ったのかを」
「ああ…それはァ…」
どうにも歯切れが悪い。
結局、灼司が杏寿に対して吐いていた言葉も聞こえなかった為、思いつく理由がないのだ。
だが、先ほどの攻撃で杏寿は確信を得た。
『戦い方が灼司に似ている』と以前、小春に言われた言葉だ。正確には杏寿と灼司ではなく、耀と灼司の戦い方が似ているのだ。
かつて耀は何かしらの歯止めが効かなくなる出来事が起きるといつもの余裕綽々な戦い方ではなく——ただ相手を殺す。それ一点に特化した戦いをする時があった。灼司の動きはその時の耀に似ていた。
十一年間、耀の傍で戦いを学び続けてきたのだ。見間違うことなんてありえない、と杏寿には自負がある。
「かつてオレには一緒に旅をしていた相方がいてよォ。そいつの匂いがしたもんで我を忘れて殴っちまったァ。しかも狐の仮面だったし、アイツよく人間に化ける奴だったから…いやァ…本当にすまねェ…」
「察するにあまり相方に対して良い印象を持っていないようですね。うちの栗花落を本気で殺そうとしていたようですから」
「まァ、過去にオレもそいつに殺されかけたからよォ」
耀と断定する前に名を聞いておいた方が良さそうだ。
杏寿は手当てが終わった右手を上げ、挙手をした。授業でもこんなにまっすぐ挙手することなんてないのに。
「相方さんのお名前は何ですか?」
「あ?あァ、劉芬って名前だ。さすがに知らねェだろ」
知っています、と答えたいところだが妖嫌いの蓮真と上官の水上の前ではそうもいかない。
「そうですね、知らない方です」と答え、受け流すことにした。
杏寿を育てた妖の本来の名前は劉芬だった。まだ舌が短かった幼い杏寿は上手く発音できず「りーゆえ」と勘違いしたまま、呼び続けた。面白がった耀が杏寿でも呼びやすいようにと新しい偽名に李耀と名乗りだしたのだ。
そんなことを思い出しながら杏寿は客間の壁に掛けられている時計を見た。
境の滞在時間はまだある。まずは水上が政府の使者としての役目が終わった後に聞くのでもいいだろう。
杏寿が殴られた理由も分かったところで話は本来の筋道に戻る。
星座をする水上の後ろに杏寿と蓮真が同様に正座で控え、胡坐をかく灼司の後ろに氷雨が正座をして待機している。氷雨は会話に参加する気はないようだ。
「では本来の話をしましょう」
「統括主の選定のことだろォ?オレ達も難航してんだわ」
「具体的な解決策や選定方法は?」
「妖なんて強い奴が主になる。それ以上でもそれ以下でもねェ。前の統括主の大旦那は圧倒的力があったから皆が付きしたがった。歯向かう奴らは瞬殺だったからなァ」
「大旦那殿は誰も後継に指名せず、席を降りたのですか?」
「おう。大旦那にとって境を存続させる理由が無くなったからなァ」
話しぶりから大旦那という妖は慕われていたというよりは逆らうことができなかった王に聞こえる。
そういう王もいる。圧倒的武力や権力で阻むものを薙ぎ払い、玉座に座ろうとする。
しかしこういった王の後釜というのは実にやりにくい。同じだけの武力や先導力が無ければ前王と比べられ、市民の反感を抱かせやすくする。
「有力候補は?」
「東西南北の統括者からっていう話になりつつあるがァ…今はそれどころじゃなくなってんだよ」
「何か別の問題が起きているのですか?」
「それぞれの地区に人間が増えたんだがァ、妙な宗教が紛れ込みやがった」
宗教という言葉に部屋は静かになった。そんなに死活問題なのだろうか。
杏寿が首を傾げていると灼司と目が合い、「説明してやろうかァ?」と聞かれてしまった。
ぜひ、と答える前に隣にいた蓮真が手を上げた。
「質問も込みで俺から説明していいですか?」
「おう、いいぜェ」
「妙な宗教って晴前教ですよね?」
「そうだ。そっちでも話題になっているところじゃねェか?」
宗教。話題。杏寿はあることを思い出し、ニシキに保存してあった報告書をホログラム表示させる。
表示させたのは井東ハルタの事件の報告書。井東ハルタが妻を殺してしまった理由に宗教が絡んでいた。
案の定、宗教名は晴前教と書かれていた。
杏寿が報告書を確認し終えたところで、蓮真が声を上げる。
「そう、杏寿が関わったその事件も晴前教が絡んでる」
偶然だろうか。杏寿が桃坂家に監視されていた理由に宗教が挙がっていた。
背中からじっとりと汗がシャツに滲んでいく。
「元々、晴前教は宗教なんて大それたものじゃなかった。それこそ、『狐狗狸さん』みたいな占いだったんだよ。呼び出すのは狐狗狸じゃなくて葛の葉姫だったんだけどね」
「占いでお姫様を呼び出すの?」
「原理としては降霊術だね。まあ、占いは占いでしかないって言われてるけど——中には馬鹿みたいに信用する人間もいるってわけ」
蓮真の話を聞く傍ら、ニシキで名前に挙がった葛の葉姫を検索する。
検索結果には安倍晴明の母親であると言うことと狐狗狸さんを行う方法までもでてきた。軽く目を通すがアメリカの子供たちが偶にやっていたテーブル・ターニングと類似している。どこの国でもこういった遊びは人気のようだ。
それから杏寿はちらりと灼司達の顔を窺う。蓮真の説明に入ってこないところをみれば、この場で詳しくないのは杏寿だけらしい。
「んで、どんどん占いは大事になって気づけば信者も増え、崇める対象もできて占いじゃなくなったの。主の言葉を聞いてみましょうって物事の決定権を委ねるくらいにね」
「じゃあその場合、崇める対象は葛の葉姫になるのか」
「ううん、主は『安倍晴明』」
「うーん?なんで息子に?」
「半妖だから」
「…え?半妖?」
「そう。葛の葉姫は狐の妖と言い伝えられていて、安倍晴明は妖と人間から産まれた半妖なんだよ」
少し前に朔乃介から半妖について聞いた。
半妖であることを隠すくらいなのだからこの国では混血は生き辛いのだろうくらいにしか思っていなかったが、安倍晴明を崇める理由に英雄ではなく半妖であるからということを挙げたということは。
「ただの狐狗狸は晴前教に変わった。俺も内情を知ってるわけじゃないけど、どうしてそうなったか信者に聞けばペラペラ話してくれるから楽だったよ」
「——半妖が指導者になった、ということ?」
「そう、単純で面白いよねぇ。笑えないけど」
いつも表情が豊かな蓮真の顔から感情が抜け落ちる。普段怒らない人間がいざ本気で怒るとこんなに怖いものなのか。
杏寿はそんな蓮真から顔を逸らしてニシキの電源を切った。
「それで坊主、オメェの質問ってのは何だ?」
「境において半妖の立場は一番下だ。妖は半端者を嫌うし、人間と違って食らうこともできない。あんた達は同族食いができない体になってるから。そんな妖サマが宗教如きに苦戦してるんですかねぇ?」
蓮真の今の発言が本当なら確かにある程度は対処できるはずだ。
統括主が不在で連携が取りにくいと言うなら分からなくもないが、それでも民を、そして地位を守りたいならどうにかしないといけない問題。
崇める対象が異なるだけで簡単に喧嘩は起き、戦争へと発展する。宗教が理由で戦争や革命を起こしていた国もまた耀のお得意先だった。
煽るような蓮真の質問に灼司は目頭を押さえて笑みを消した。
「西と北のどちらかが晴前教と関わっているんだよォ」
思いのほか、非常にまずい状態だった。




