先行投資 二
新大阪駅から電車で乗り継ぐこと一時間と数十分。百舌鳥駅に到着した杏寿達は水上の行く先に付いて行く。
大阪の都市部から離れた場所にある百舌鳥駅の周辺には大仙古墳と小さな村落があり、奈良の任務で見た景色とそう変わり映えしない。
黒い背広の男女が珍しいようですれ違う住民の視線を集めてしまう。
「ゴホン。案内人が来るまで時間があるので今回の境に来た理由を説明します」
「帰りの新幹線でもトランプしましょう!水上中尉殿に負けっぱなしは嫌です!」
「遊んであげますから切り替えなさい栗花落!」
蓮真に勝つことはあっても水上との勝負に全敗してしまった。故に再戦の約束を取り付けた杏寿は言われた通り、気持ちを切り替える。
後ろでげらげら笑っていた蓮真も笑いを引っ込め、三人の近くに遮音術式を施した。
確かにこういうことを水上の指示無しですんなり行うところは今回の任務に最適だ。
「今回、境に向かうのは次期統括主をどうするのかと聞きに行くだけです」
「え、それだけですか?」
「それだけですがとても需要なことです。長がいない群れというのは非常に危うい。境は自治が認められている都市ですが実体として一つの国として機能しています。王のいない国がいかに危うく、周りにどんな影響を与えるか未知数です。国々を渡っていた栗花落なら想像がつきやすいでしょう」
杏寿は水上の意見に頷いた。
だが反対に蓮真は想像がしにくいのか、どういう影響がうまれるのか分かっていないようで首を傾げた。
「杏寿、王のいない国ってそんなに危ういものなの?」
「うーん、一概に危険と決めつける訳じゃないけど…逆に誰もが王になれる状況ってことだからね。頂点の座を狙って争うし、絶対的な決まりがないから治安も悪くなる。そこで生きられなくなった弱者は違う場所へ逃げる。逃げた場所にいた住民と不和が起きる」
「それが俺たち人間と境にいる妖に当てはまる感じ?」
「あったりー、さすが蓮真さぁん」
得意げに解説はしたが全て耀の授業内容だ。
しかも現地での体験しながらの授業でよく覚えている。王がいないとまでは言わないが革命や市民の反乱が起きた国は見てきた。
ここで言えないことだが、そんな混乱が起きている国に武器を売るのが耀の仕事であり、混乱に乗じて耀の命を狙う人間から耀を護衛するのが杏寿の仕事でもあった。
故に人を守るということであるなら水上の人選は的確と言える。
「前の統括主は次の統括主を決めていかなかったんですか?ほら息子とか」
「妖に生殖機能はありますが、前統括主に子供はいなかったそうです。そして次期統括主も決めていかなかった。だから今、境自体はそれぞれ膠着状態にあります」
「それぞれって東西南北のことですか?」
水上は蓮真の質問に頷く。が、今度は杏寿が首を傾げる番だった。
それを見た蓮真が口角を急に上げ、「杏寿、知らないの?」と見つめてくる。
説明がしたいようだ。さっきのお礼として受け取っておこう。事実、杏寿は会話に出た東西南北について分かっていないのだから。
「境は四つに区分されんの。境東、境南、境西、境北。それぞれの地区に統括者がいるってわけ」
「はへぇ、なるほど。そこの東西南北から主を選出もできずにいるってことか。どこでも後釜問題は大変ですなぁ」
同意見のようで前を歩いていた水上の頭がブンブンと音が鳴りそうなほど上下に揺れている。何か過去にあったのだろうか。
そしてひとしきり同意した後、水上は振り返って杏寿達を強く睨んだ。
「今回お会いするのは境東の統括者で、案内役が境南の統括者です。二人ともくれぐれも粗相のないように」
それに返事を返せば満足し、水上は睨むのをやめた。随分信頼されていない。
無断で実弾の使用、初任務では化け物退治。杏寿を問題メーカーだと思っているのだろうか。
(好きで問題を起こしてる訳じゃないんだけどなぁ)
抗議したとてまた水上に半眼で見られるのがオチだ。
その後、水上と蓮真の会話に耳を傾けながら目的地まで歩く。他愛もない世間話だった。技術班は変態の集まりだとか、最近食べたカリーライスが美味しかっただとか。
人通りも少なくなり、森に住まう鹿と目が合いだした頃、先導していた水上の足が止まる。
旅行鞄を持ったまま、杏寿が顔を上げるとそこには一人の男が立っていた。
「お待ちしておりました、調査部隊の御三方」
男は濃紺の筒袖と裁付袴を着合わせ、般若の仮面をしていた。
その表情は見えず、凍って落ちるような静かな声色から伺うしかできない。
頭からは白銀の獅子の頭を被っており、その背には大太刀を携えている。
この男こそが境南の統括者なのだろう。どんな妖かと想像していたが、人間の姿形をした少年だった。
当たり前だが奈良で見た化け物とは違う。それどころか、佇まいは剣士そのもの。どれ程の鍛錬や経験を重ねたのか気になるほどに凛々しいのだ。
「初めまして氷雨殿。私が白夜軍第三調査部隊の水上です。案内を引き受けて下さり、感謝申し上げます。後ろにいる二人は私の護衛です。まだ新米ですのでどうぞ良しなに」
「ああ、どうぞよろしく頼む。境南の統括者、氷雨だ」
挨拶する時でも氷雨は仮面を取ることは無く、軽く会釈するだけだった。
杏寿も蓮真も同じような会釈で返すだけで留まる。
(勝手に喋ったら水上中尉に怒られるから今は黙っとこ)
すると氷雨が三種の仮面を顕現させ、杏寿達に配る。
客人として境に入る人間は仮面をつけるのが鉄則だ。
理由は境で暮らす人間に由来する。境は元々妖だけが住む都だったが世捨て人や口減しで捨てられた子供が住み着くこと事例が増え、都での住民の比率は五分五分になった。
境には入れる人間はもちろん限られている。妖力持ちであり妖を見ることができる人間のみ。故に境は選ばれた人間しか入れない故に都市伝説のような扱いをされ、子供を叱る時の文言にも使われるほど。
では境に住み着いた人間が全員仮面をつけて生きているかと問われれば、それは否である。
境に訪れる人間は杏寿のような軍人や物珍しさで遊びにくる貴族もいる。
移民してきた人間は境では地位が低く、故に訪れた貴族達に間違えて危害を加えぬようにと招かれた人間は仮面をつけることになったのだ。
「あ、俺、猫の仮面だ。杏寿は?」
「私は…狐だね」
口元が猫の口で隠れる蓮真の仮面に対して杏寿の仮面は目元しか隠せない作りになっている。
杏寿は仮面を着けながら狭い視界から氷雨を見る。相変わらず般若の仮面のせいで表情は読めない。
(偶然だよね?)
耀は九尾の狐。かつて耀は境に訪れていたこともあるらしいが、そこで氷雨と会ったなどという話は聞いたことがない。
否、考えすぎだろう。杏寿は小さく首を振り、翁の仮面を着けた水上を見た。
境へ足を踏み入れる準備は整ったようで氷雨は仮面と同様に木で作られた扉を顕現させる。扉を開ければ境へ通ずる扉だ。
「二人とも、行きますよ」
「はいっ!」
「はぁーい」
水上の掛け声と共に扉の細かな木目へ金色の妖力が水のように流れ始め、黄金の扉へと姿を変えていく。
隣の蓮真が小声で「ホント悪趣味」とぼやいている。
金は人間を魅了する。だから黄金の扉に誘われた人間が紛れ込んだことによって境の存在が確認されたとされているが。
杏寿にとっては金と等価交換される食べ物や武器の方がよっぽど魅力的に見える。極端なことを言えば武器さえあれば交換した金を奪い取ることもできて一石二鳥だ。
『だからずる賢い人間は武器を持つのですよ。それが今まで人間が動物や魔物に食われずに生き残れた理由です』
狐の面を着けているせいか、どうにも耀の言葉が過ぎる。
これもまた耀の手掛かりを知れるという高揚感によるものなのだろう。杏寿は逸る胸を押え、境へ足を踏み込んだ。
扉の先は黄金郷と名づけるくらいに相応しい都が存在していた。絢爛豪華とはこの事だろう。
明けることのない夜空には満月が上り、境を特色を一望できた。
四つに分かれていることでそれぞれの地区の特色や景色の違いに気づくことができる。
「こっちだ」
氷雨の掛け声で杏寿は我に返り、後を追う。
街へ下りると妖と人間が入り混じり、活気のある市場が広がっていた。露店や大道芸、見ていて飽きない大通りだ。
一つ一つ見て回りたいところだが、境に足を踏み入れた時点で護衛任務は始まっている。杏寿は気を引き締めながら注意深く歩く。
「随分、活気のある街ですね」
「境東は商いの街と言われるくらい商人も観光客も多い。治安も良いので人口は境の中で一番多いとされています」
氷雨の言う通り、仮面を着けた人間や買い物をしている妖が多い。自由に境へ出入りできる妖怪からすれば境東は買い物をする場所にピッタリなのだろう。
驚くことに仮面を着けて商売する人間も見受けられる。外部の商人もここに商売しにきているようだ。
益々気になる。売られている焼き鳥やりんご飴を食べてみたい。時間ができたら立ち寄るのもありだろう。
すると市場を駆ける人間や妖達が氷雨を見るなり、笑顔を浮かべて挨拶していく。それに「ああ」やら「足元に気をつけろ」と氷雨は静かに返す。
その光景に氷雨が人々から慕われていること、境東の統括者である灼司が有能な妖であることが証明された。
(小春先輩の知り合いだし、良い妖なんだろうな)
喧騒で溢れる大通りを進むと灼司がいるとされている屋敷へと着いた。
屋敷の大きさは杏寿が住んでいる邸宅とそう変わりない広さで、統括者が住んでいるという割には普通に感じた。
氷雨は門を叩くこともなく、軽々と開けて足を踏み入れた。家主の許可なく、入って良いものなのかと困惑してしまう。
しかし困惑する三人を放って氷雨は遠慮なく足を進める。杏寿と蓮真は水上を見上げた。
「…行きましょうか」
水上の指示に従い、杏寿達は足を踏み入れた刹那であった。
頭上から拳が振り落とされ、僅差で気づいた杏寿は身構えることもできずに後ろに転がり下がった。
拳から逃れることはできたが次の攻撃に備えられない。何とか妖力の膜を纏い、次の拳を腹で受け止める結果となった。
吹き飛ばされた杏寿は塀に体をぶつけ、負傷した胃から込み上げる血を吐く。
「杏寿!」
現状に追いつけない頭を上げれば、倒れる杏寿の元に駆け寄る蓮真と水上の姿が見える。そして二人の後ろでは氷雨に拘束されている白虎がいた。
二足歩行の白虎なんてこの世に存在するなら妖か魔物だけだ。知能のない魔物が民を守れるわけもないので必然的に妖となるのだが。
白虎——情報通りなら灼司本人だろう。だが灼司が杏寿を見る目は敵意に満ちており、氷雨が手を離せば杏寿に襲い掛かろうとするはずだ。しかも何か怒声を上げているが遠いせいで言葉の端々しか聞こえない。
地面に転がり、塀にぶつかったせいで仮面の紐が千切れたようで、カランと仮面が地面に落ちた。
「栗花落、鵜養、構えなさい!」
水上の指示に「了解」と返事をした蓮真は妖力の膜を纏い、義足のバッシキを起動させる。
杏寿も返事をしたかったが口の中に溜まる血のせいで返事ができなかった。なので返事の代わりに溜まった血を吐き、口元を乱暴に拭った。
そして水上は問答無用で杏寿の心臓から糸を引き抜き、杏寿に適合する紬器を紡ぐ。
紡がれたのは合同訓練の際に杏寿が妖用ではなく実銃として使っていた拳銃だった。さすがと言うべきか、紡ぐ早さは朔乃介より早い。
手に収めた拳銃のセーフティを外す。殴られた腹はまだ痛むが弱っている暇はない。
戦闘体制にいつでも撃ち込む気概でいたのだが——どうにも杏寿の仮面が落ちた頃から灼司の声の音量が小さくなっている。
果てには杏寿と目が合うと目を見開き、大きく開いていた口が塞がってしまった。灼司の中で怒りの感情が驚きに変わり、そして。
「うわぁぁぁ!!オレの人違いじゃねェェかァァァ!!やっちまったぁァァ!」
広い屋敷に灼司の後悔が響き渡った。




