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栗花落杏寿の爽味  作者: 椄瀬結


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実弟 二

悠史の突撃のオチには続きがある。

 今回は結局悠史が諦めるまでゲームセンターで時間を潰したが、いつもは逃げ続けて夜に邸宅へ帰るのだ。

 そして夜、邸宅に帰ると必ずと言っていいほどやってくる人物がいる。

 今日もその人物は杏寿の邸宅に菓子を持ってやってきていた。


「お帰りなさい、(あね)様」

菖十(あやと)、また来てたの」

「もちろん、悠史(あに)様がまた姉様に迷惑をかけたと聞きましたので代わりに僕が謝罪に来ました」


 ナーシャに連れてこられた客間で優雅に紅茶を飲んでいるのは実弟の『栗花落菖十』だった。

 杏寿が異国で旅をしている最中に授かった弟らしく、杏寿としては菖十に対してどういう態度を取るべきかいまだに悩んでいる。これでも最初の頃より態度がだいぶ砕けたので接しやすくなってはいるのだが…。

 菖十は悠史や星子と違って因縁や溝があるわけでもない。帰国したら見知らぬ弟がいた。

 しかも菖十は随分強かで家族内では中立の立場であり、息苦しい家から一時避難として杏寿の邸宅にこうして正当な理由を作って現れる。


「名ばかりの謝罪なんていいよ。それ飲んだら帰ってね」

「ここには強力な術式が掛けられてるから父様達は来られない。だからここに来られるのは僕だけだし、出ていけるのも僕の自由じゃないですか?」

「そもそもここは私の家なんだけど」

「優しい姉様は無理やり、僕をあんな家に追い返すなんてしないでしょう?」


 杏寿と同じ茶色の髪、母によく似た目元。肌はきめ細かく、普段から丁寧に手入れをされているのがよくわかる。

 紅茶を飲むのをやめ、あどけない態度で杏寿の腕に自身の細い腕を絡めて大きな瞳で見上げる。

 出会った当初はこんなことをしてこなかった。それこそ初めましての姉にどう接するべきかと探りを入れていたのに、杏寿が同じ立場と分かれば一気に距離を詰められてしまった。

 特に害はないので杏寿は気に留めてないが、媚を売る理由が分からない。杏寿を味方に引き入れたところで何も利点がないのに。


「…あの、姉様」

「何」

「姉様、煙草は吸わないですよね?」

「吸わないけど」

「煙草の匂いがします。悠史兄様から逃げてどこに行ってたんですか」

「ゲームセンター」

「はぁ!?ええ!?ゲームセンター!?え、姉様がゲームセンター!?」


 そんなに驚かれることだろうか。腕に絡みついていた菖十は目を見開き、杏寿から離れてしまった。

 扉の向こうで聞き耳を立てているナーシャの息を呑む音もかすかに聞こえる。

 どうにも杏寿がゲームセンターに行ったことは衝撃的らしい。

 着ているシャツに顔を近づけて鼻を動かした。僅かにだが煙草の匂いがする。

 煙草は耀も吸っていたし、どこの国でも嗜好品だったので気にしていなかったが…。


「楽しかったよ、ゲームセンター」

「なっ、なんでそんな低俗な庶民の商業施設に行ったんですか!時間を潰すなら僕と遊ぶのでも良かったじゃないですか!」

「やだよ。それに菖十はどこにでもついてくるし、勝手についてきても雑学自慢ばっかだし」

「は…はぁ!?そんなこと思ってたんですか!?」

「うん。別に面白くないわけじゃないけど、ずっとそういう話がしたいわけじゃないもん」


 取り繕いのない言葉に菖十の顔があっという間に赤く染まる。

 初めてゲームセンターに行ったが杏寿は非常に満足していた。大きな電子機器が詰まった縦箱の前に座って薄いガラスのスクリーンに映し出されたキャラクターを操り、隣の人と対戦するのだ。

 他にも人形が詰まった見せ物小屋の中にあるクレーンを操作して人形を掴み取るゲームもあった。杏寿も朔乃介も下手くそだったので小銭をゲームセンターに注ぎ込んで終わってしまったが。

 菖十の反応からすると貴族からはあまり良い場所と認識はされていなそうだ。

 確かにゲームセンターで犯罪が行われているわけではないが、職を持ち合わせていない大人や背伸びした少年少女が多かった。

 それでも朔乃介が連れて行ってくれた場所は比較的、安全に楽しめるとは言っていた。ゲームの延長戦でリアルファイトが行われてはいたが。


「だからってゲームセンターに行く必要はないじゃないですか!」

「そうかな?今度一緒に行ってみる?」

「あ、うっ…!それは――」


 菖十が何か言いかけた時、客間の扉がノックされた。

 杏寿が返事をすると扉を開けて入ってきたのは孝文だった。どうやら時間が来たようだ。

 

「失礼しますお嬢、菖十坊ちゃん。旦那様から入電で言伝を預かりしました」

「お父様はなんて?」

「『菖十、早く帰ってきなさい』とのことです」

「ナーシャさん、菖十の帰る支度をしてあげて」


 扉の向こうで隠れていたナーシャが気まずそうに少し顔を覗かせ「かしこまりました」と支度の為に離れて行った。

 孝文も菖十を本邸まで送り届ける準備をするため、部屋を出て行ってしまった。

 客間に残された杏寿は椅子に座り、二人が帰ってくるのを待つことにした。このまま自室に戻ってもいいが、さすがにそれでは菖十が可哀想だ。

 詫びの菓子を持って押しかけてくるのは毎度ありがた迷惑だが、迷惑の加減を言えば悠史よりマシである。故に話し相手くらいにはなった方がいいと杏寿は思ってしまう。


「姉様、今日はこのまま帰りますけど僕とも会ってください!」

「いや、菖十がこうして来るから会えてるじゃん」

「そういう事ではなく!僕は、姉様に誘われたいんです!」


 菖十は今年で十二歳。大人びた態度や処世術で世の中を学んでいる最中だが、初めて年相応な顔を見た気がする。思わず杏寿の口から「おお…」と声が漏れてしまった。

 こうして菖十は杏寿に対して遊びに誘って欲しいと駄々をこねているが、杏寿はこれでもかなり譲歩しているつもりだった。

 家族は絶対足を踏み入れることが出来ぬように認識阻害術式を邸宅に施しているが、菖十だけは足を踏み入れることができるようにしている。

 ナーシャや孝文の信頼している人間以外を生活拠点に入れていることがどれだけ譲歩になっているのか、菖十は分かっていないのだろう。


 (ま、それだけ日本が安全な国なんだろうけど)

 

 どう怒る弟を宥めようかと菖十が飲み残している紅茶を飲みながら思案する。

 杏寿が黙って思案している中でも菖十は変わらず何か言葉を並べているが要約するとずっと誘う側だと押しかけているみたいで不公平だと言いたいらしい。押しかけていることには変わりないのだが。


「ねえ菖十」

「な、何ですか」

「私が誘ってもいいけど、それだと菖十の立場が悪くならない?ただでさえ、兄さんや姉さんからここに来ること色々言われているんでしょ?」

「そんなこと…!」

「あるでしょ。確かに兄さんたちは直接私には言わないけど、ナーシャさんや孝文に言ってるらしいし」


 杏寿の指摘は知っていたようで菖十は目を逸らし、黙り込んでしまった。

 休める場所であるべき家で常に気を張っていなくてはならない。周りの大人の顔色を窺わないといけない場所になっているが故に逃げたくなる気持ちは分かる。

 かつて――否、今も本邸が杏寿にとってそういう場所であることに変わりはない。

 しかも杏寿が誘拐された後の家庭は地獄だっただろう。兄からすれば欠けた家、姉からすれば瘤が取れた家。

 生まれてそんな家庭で育つなんて最悪だが、原因の一つに杏寿も含まれている。菖十に負い目がないと言えば嘘になる。


(それはそれ、これはこれって切り分けたいけど)


 そう簡単に事を割り切れないのが家族だ。血が同じならなおのこと。

 

「菖十には菖十の立場があるし、今の私だけじゃ兄さんたちを説得できる力もないからね」

「でも姉様は強いです。軍学校での話も聞きました。上級生の人と戦って勝利した、と」


 小春と共に一時的なコンビを組んだあの日のことだろう。やはり派手に動き過ぎたか、と杏寿は苦虫を潰した。

 軍学校に在籍していればある程度の噂が歩き回るだろうと思っていたが、あまりにもその速度が速い。

 噂で言うならまさか朔乃介があそこまで調べているとは思わなかったが。

 臆病だと言いながら真正面から向き合う姿には面を喰らったが、相棒として選んでよかったと思えるくらいには杏寿は朔乃介に好感を抱いた。

 昼間の朔乃介の発言が脳裏に浮かび、自然に笑いが零れてしまった。

 そんな杏寿に菖十が怪訝そうに首を傾げた。


「姉様?」

「ごめん、何でもないよ。確かに私は多分兄さんより強いけど武力行使したって何も解決しないからね」

「…そうですか」

「じゃあ今度、家に押しかけてきたらどこか遊びに行く予定でも立てる?菖十は友達と遊ぶってことにして…私は別に報告する義務もないし、それに任務のおかげで外出頻度も増えているから不自然には思われないんじゃないかな」

「そ、それが良いです!遊びに行く場所の候補、たくさん用意して来ます!」


 今度は苦笑を浮かべ「程々にして」と言いながら菖十の肩を押して玄関先まで送る。

 玄関先には車が用意され、運転席に孝文が乗っていた。

 ナーシャが車の扉を開け、菖十に乗るように促す。ようやく弟のお帰りだ。


「じゃあ姉様、約束忘れないでくださいね!」

「はいはい、Dors bien(ドール ビエン)

「どー?なんて言いました?」

「ああ、おやすみって意味。ほら気をつけて帰りなよ」

「はい!姉様もおやすみなさい!」


 すっかりご機嫌になったようで菖十は満面の笑みを浮かべながら車に乗り込んだ。

 車はライトで道を照らしながら夜道へと溶け込んで行った。

 その姿が見えなくなるんで手を振り続けていた杏寿を見たナーシャはくすりと笑みを零す。

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