第二幕 訓練
先輩と出会ったのは帝都に雪が降り、新年を祝う気持ちが世間から消えた頃だった。
軍学校に入学する為の適性試験を受けるため、杏寿も時間通りに校舎に来たのだがどうにも気分が乗らなった。
雪は嫌いになった。耀を殺した日、アメリカでは猛烈な吹雪が吹き荒れていたからだ。
降る雪を見ていると耀との思い出もあの日見た表情も鮮明に蘇る。
試験が始まる前、杏寿は待機するように連れてこられた教室にいるのが嫌でこっそり外に出て校舎の屋根に登った。
時間になれば戻ればいい。受験生の顔など一々覚えてはいないだろう、などと思いながら。
「こんにちは、栗花落さん」
曇り空の下、静かに杏寿に呼び掛ける人物がいた。それが先輩だった。
鼻を赤くさせ、真っ直ぐに呼びかける姿にほんの数秒警戒した。
「こんにちは!えっとー…あ、先輩さんは私を探しに来た、で合ってますか?」
「合ってますよ。遠くから話すのは面倒なのでそちらに寄っても?」
連れ戻されるかと思ったがそんなこともなく、先輩は杏寿に近寄った。
驚くことに先輩は杏寿に警戒せず、すんなりと歩み寄ってきたのだ。
「はいっす!」
笑顔を浮かべて返事したが困惑を隠せず、変な返事をしてしまった。日本語って難しい。
すると隣に来た先輩は思いのほか小柄で白夜軍の軍服は似合っているが着られている名残が拭いきれていない。
こんな人が国のために戦うのか。杏寿は日本で生まれた日本人だが国に愛着があるかと問われれば薄いと答えてしまう自信があった。
杏寿は来てくれた先輩のために三角座りをした。これで先輩がわざわざ見上げるという事もなくなるだろう、と。
だが先輩は杏寿と目線を合わせるため、一緒に座り込んだ。
「まねっこですか!」
「まねっこです。寒くないですか?試験服は薄いから寒いと思うのですが」
目の前で溺れている人間がいた場合、大抵浮き輪を投げたり、助けてくれる第三者を呼んだりする。
身を挺して助けるために一緒に飛び込む、同じ立場になる、というのはあまりない。そして生存戦略として危険性が高く、推奨されない。杏寿だって飛び込むとすれば最終手段でどうにもならなくなった時のみ。
「確かに!」
この前提を先輩との状況に当てはめるのはいささか大げさだが、少なくとも先輩は同じ立場になることへの躊躇いが少ない人間と言える。
戦う人間に向いていない。
「平気です!寒いのは慣れてるので!」
「…我慢ではなく?」
「ないっす!自分、雪が好きだからここに来たんです」
「うーん、じゃあもう少しここにいましょうか。試験開始まで時間もありますし」
「いいんですかぁ!」
「いいですよぉ」
戦闘に向いていないが『人から愛される人間』だ。良い人間からも悪い人間からも。
訓練次第で表情や言葉選びはコントロールすることができる。巧みに操れば立派な詐欺師が生まれ、誰にも気づかれないスパイになれる。
それでも人間は隙を生まない、なんてことはできない。完璧な人間というのはごく少数で杏寿も出会ったことはあれど片手で数える程度。
故に杏寿は先輩をよく見た。綻びがないか。杏寿に対する感情が零れているだろうと。
杏寿の思惑と裏腹に良かれと先輩は妖術を使って杏寿達から半径数メートルに遮音術を施したのだ。
「どうかしましたか?」
杏寿の驚きに気づいたのか、先輩は問う。
初対面の人間に対してここまでするとは、と表現するには仰々しいがそう思わざる負えなかった。
先輩にとって妖術を使うことはなんてことはないのだろう。
それでも何かを得るには何かを支払う仕組みの中で生きていた杏寿からすれば考えられないことだった。
勝手に訝しみ、感心してしまったことを隠さなくては。杏寿は先輩と同じように首を傾けた。
「日本の軍って割と緩いんですか?」
「言葉が驚くほど真っすぐですね。まあ、白夜軍は他の軍に比べれば緩いというより独自的という感じですね。実力主義なので結果を出した者が正しいとされてるので血の絆とか年功序列とか鼻で笑われますね」
「え!めんどくさい場所かと思ったらすごくやりやすい仕事場じゃないですか!やったぁ!」
発言したことは杏寿にとって嘘ではない。先輩と話すまで杏寿は軍は国の犬になりきる場所。それぞれの思惑があり、様々な人間が跳梁跋扈する。
そう思っていたのだが白夜軍は一味違うらしい。
実力主義で形成されている組織なら話は早い。耀の教えが充分に発揮できるかもしれない。
肌で感じていた寒さなどすっかり消え失せ、喜びに体温がゆっくりと上昇していく。
刹那、喜びで立ち上がった杏寿を簡単に姫抱きにして先輩は屋根から飛び降りた。
「ぎゃぁ!?先輩さん!?」
「少し辛抱してくださいね。試験に参加するのも辞退するのも栗花落さん自身で伝えてもらわないといけないので」
人にこうして触れられるはいつぶりだろうか。
ましてや身長の高い杏寿を抱き上げようとする人間自体少なく、耀に抱っこしてもらったのが最後の記憶だ。
(先輩さんかっこいい!)
散々「お姫様、自分にないものを持っている人間を見てかっこいいと錯覚するのはやめましょう。それが悪い人間だったらどうするんですか」と忠告されていた。
しょうがないじゃないか、自身にないものを持っている人間に目を奪われてしまうのは。
それが先輩、『霧崎小春』との出会いだった。




