ファムファタル 三
「ただいま戻りました」
声を上げたのは分裂した影から現れたウルシュだった。
ウルシュは何事も無かったように朔乃介の隣に座った。
朔乃介とはまた異なる白味を帯びた銀髪に長い睫毛。そして日本人には珍しい褐色肌と翡翠の瞳が目を引く。
ウルシュもまた倫太郎の次に年上で二十歳なのだが、見た目と落ち着いた雰囲気が相俟って倫太郎よりも大人に見える。調査部隊の背広も長い手足で着こなし、よく似合っている。
「なんかまた淑野さんが面白いことになってますね」
「倫太郎が服脱いだからね〜。淑野が怒っちゃった」
「伏見さんも学びませんね」
カラカラと笑いながらウルシュは購買所で買った水に口をつける。
どうにもこの班は自分の意思を中心に動く奴が多い。ウルシュも該当する。
そしてそれは倫太郎も該当する。ウルシュほどでは無いにしても。
「千燈妹、もう目隠し外していいぞー」
「誰のせいだと!?」
「はいはい、俺が悪うございました。それともう一回手合わせしてくれ、義手の最終調整がしたい」
「良くてよ!淑征、準備なさいませ!ぎゃふんと言わせてやりますわ!」
「ぎゃふん」
「はああ!?何なのですの!?ほとほと腹立つ男ですわね!?」
杏寿のネクタイを解いた淑野の額にブチりと音が立ちそうなくらい太い青筋を立てた。
倫太郎としては最終調整として淑野に本気で斬りかかってほしいから敢えて煽ったのだろうが、素なのかワザとなのか分からない。
だが瞬間湯沸かしの淑野から本気を引き出すにはこれが手っ取り早い方法だ。
恐らくもう一度倫太郎が斬りかかってきてほしいと言っても淑野は先程自分の攻撃で義手を外したことを気にして手加減しただろう。淑野は仲間に対してそういう奴だ。
そして木陰から出た三人はそれぞれ向かい合いバッシキを起動させる。
妖力に反応した義手は機械音を立て、倫太郎の全身に稲妻が走る。稲妻は妖力で出来ており、倫太郎を守る鎧となっているのだ。
対する淑野は手に刃渡り三十センチ程の菜切り庖丁が握られている。家に置いていないような大きな菜切り庖丁を武器に振り回す淑女とは。
「無礼な殿方を嗜めるのも淑女の務めですわ!淑征、援護なさいませ!」
「はーい」
淑征の返事を合図に淑野は倫太郎に向かって走り出し、菜切り庖丁を振りかざす。常々思うがよくもまあ、踵のあるパンプスで走れるものだ。
白熱する模擬戦を朔乃介は眺めていたが突き刺さる視線で目線を動かさざる思えなかった。横目で突き刺す視線の先を見ると杏寿が朔乃介の方をじっと見ていた。
だがよくよく見ると杏寿は朔乃介を見ているのではなく、朔乃介の隣で水を飲んでいたウルシュを見ている。
ウルシュの顔に何か付いているのだろうか。朔乃介もウルシュの横顔を見た。
するとさすがに二人分の視線が痛かったようで苦笑いを浮かべながらこちらに顔を動かした。
「何です?水はあげませんよ」
くすくす笑うウルシュの冗談に「いえそうじゃなくて」と杏寿は目を細め、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「奈良の任務、全部見てたのウルシュでしょ。それともそれ以前から私達のこと見てた?」
「――バレちゃいましたか」
耳を疑い、杏寿の方へ顔を動かす。
目を見開いた朔乃介が面白かったのか、杏寿もくすくすと笑い出した。どうやら話についていけていないのは朔乃介だけらしい。
「実は水上中尉に報告をした後、桃坂さんと会ったんですよぉ。いやぁ、困ったもんですなあの人は」
「ああ、俺が義兄に会ってた日か」
「そこで奈良の任務での出来事について知っていたから、ちょっと調べたらウルシュさんが桃坂家への出入りをしているって。うちの使用人は優秀なもんであなたが直系の魔女の子孫じゃなく、弟子であるということも教えてくれたんだよ。あなたが誰かを監視するなんて朝飯前でしょ?」
全部初耳だ。だが仮に杏寿の話が本当なら何故監視する必要があるのか。
今、ウルシュに問いただし、任務後に禄士郎とそういうやり取りをしたということは任務が終わるまで杏寿も気づいていなかつたということ。
ウルシュが妖術ではなく魔術、妖力ではなく魔力を使うことは知っていた。だから朔乃介が知らない魔術を使っていたから気づかなかったとなるのは仕方のないこと。知らないものに気付きようなんてないからだ。
「さっきみたいに朔乃介さんの影に潜んでたの?」
「いいえ、それだと栗花落さん気づくでしょう?海外育ちのあなたが魔術を知らないわけがないですから。だから動物達の目を借りてました」
「あー、なるほど。で、何で監視してたか聞いてもいい?」
「仕事ですよ。社交界では栗花落家は話題の一家ですから。それに私の現主人は栗花落さんが帰国してからずっと気にしていたようですから、使用人に監視させていましたよ。僕が監視の任に就いたのは最近です」
「私の何を疑ってるんですか?」
「守秘義務があるので言えませんね。でも朗報はありますよ。栗花落さんが禄士郎さんと正直にお話ししてくださったおかげで監視する必要がなくなりました。僕の仕事も一つ減ったので楽になりました」
朔乃介を挟んで良くない話が繰り広げられている。勘弁してほしい。この話聞かない方がいいだろと耳を塞ぎたくなるがそんな雰囲気ではない。
助けを求めるために横目で蓮真を見るが我関せずと狸寝入りをしている。見捨てられたらしい。
この状況では正直に心中を吐く方が吉かもしれない。挟まれている朔乃介は降参と言わんばかりに手を挙げた。
「俺、聞かない方がいいよね?」
「いえ、別に構いませんよ。終わったことですし」
「朔乃介さんは私の相棒だから聞いてて損はないと思うよ?多分、私の関係者として桃坂家に朔乃介さんのことも調べられてるだろうし」
「――まじか」
巻き込まれていた。直感からコンビを組んだばかりに。
自身もまた監視されていたのか、とウルシュに問おうとした刹那であった。
「杏寿ゥーーーー!!」
朔乃介達しかいないこの調査部隊用の校庭に男の声がビリビリと響き渡った。
突然起きた異変に戦闘を中止したり、立ち上がって声の元を探す。
皆が各々身構える中で一人だけ、動じずに声の主を睨む班員がいた。
「……またか」
杏寿である。聞いたことのない低く唸るような声だった。
杏寿が向く方向を見るとそこには声の主らしき男が警備員を引き摺りながらこちらにゆっくり近づいてきていた。
よく見ると杏寿と同じ茶色の髪、そしてどことなく杏寿の面影がある。
「ああ、栗花落さんの兄君『栗花落悠史』さんですね」
「え、何で…?」
淡々と説明したウルシュと座ったままの杏寿以外の朔乃介達は困惑した。
軍学校に親族が訪れるというのは珍しくない。身内が軍人であるなら尚更。
だが悠史は警備員を引き摺りながら杏寿に向かって歩みを絶やさない。
杏寿もまた警備員や兄を止めようとせず、ゆっくりと立ち上がったまま兄を睨み続けている。
見て分かる。杏寿はすごく怒っているのだ。
朔乃介は言葉がつっかえながらも杏寿に声を掛ける。
「栗花落、大丈夫か…?」
「…そんなに酷い顔してます?」
「あ、ま…まぁ、そんな顔初めて見たから」
「失礼しました」
杏寿が謝ることなんてないはずなのに。怒っている理由が分からないからか、どう言葉を紡げばいいか分からなくて何も言えなかった。
皆が皆、三者三葉に戸惑っていると杏寿が無言で脱いだジャケットと持っていたネクタイを朔乃介に預けてきた。何をしようと言うのか。
頭の整理ができないまま、朔乃介は杏寿のジャケットとネクタイを受け取ってしまった。
「朔乃介さん、明日取りに行くから持ってて」
「明日?どういう――」
「じゃあ、よろしく」
それだけ告げた杏寿は朔乃介に目もくれず、悠史へ向かって全力で走り出した。しかもただ全力で走っているだけじゃない。妖力で脚力を強化している。
鳥のような速さで近づいてくる杏寿に気づき、悠史はほとんど引きずられているだけの警備員を振り払って手を広げた。
「杏寿!もう大丈夫だ!私が守ってや――」
だが杏寿は悠史の広い腕の中に飛び込むことも無ければ、杏寿の華奢な体が抱きしめられることもなかった。
杏寿は悠史の抱きしめようとする腕を軽やかに避け、そして追い越して大きく跳躍した。
器用に壁や窓を伝って調査部隊の後者の屋根に登った。妖力で脚力を強化していたのは悠史から逃げるためだったようだ。
「な、何故だ杏寿!私は!」
悠史は振り返って後者の屋根で立っている杏寿を見上げた。
その反対に杏寿は悠史を見下ろし、何を言うことなく校舎向こうへ行ってしまった。
すると騒ぎを聞きつけた屈強な実動部隊が現れ、暴れる悠史を連れて行ってしまった。
駆けつけた実動部隊の一人がこちらに敬礼をしたのちに何を言うでも無く、校庭から去っていく。嵐のような一瞬だった。
残された朔乃介達は去っていった嵐に唖然とするしかない。
「杏寿も大変だねぇ」
苦笑しながらボヤいた蓮真に反応したのは淑野だった。
「え!?兄君の方ではなく!?」と心底驚いたように瞬きをする。
不思議で困惑する淑野と察して苦笑を浮かべている淑征の顔を交互にみた蓮真は「そりゃあ」と言葉を続けた。
「千燈兄妹はすごーく仲が良いから想像しにくいと思うけど世の中の兄妹が仲がいいわけじゃないってこと。特に栗花落家は訳ありらしいし?」
「訳あり?杏寿様は普通の女の子ですわよ」
「ふふ、淑野はそのままでいてねぇ。ま、でも俺みたいな庶民にも栗花落家の物語が流れてくるくらい話題の一族ってこと」
蓮真がどこまで栗花落家のことを知っているのか分からないが、概ね千代女から聞いた話と変わりはないのだろう。
そう、変わりはない。千代女の話は杏寿をよく思ってないのは姉の方だと言っていた。
だが思えば杏寿が家族のことをどう思ってるかなんて誰も知らない。皆が悲劇の少女と思っている。
悲劇の少女があんな怒りを実の兄に向ける理由が朔乃介には思いつかない。
朔乃介はウルシュの方へ振り返った。
「ウルシュ、栗花落のことを監視していたんだよな」
「ええ」
「今、栗花落がどこに逃げたか分かるか?」
「うーん、教えてもいいですけど高い貸しになりますよ?」
「構わない、探してくれ」
明らかにため息を飲み込んだウルシュは周りを見渡した。
そして他の木々で羽休めをしていた鳩を見つけては自身の瞳孔を開き、小声で何かを呟き出した。
魔術を発動させたウルシュに呼応するように見定められた鳩は空へ飛び立ち、杏寿が逃げた方向に飛んで行った。
「椿さん、彼女が向かいそうな場所に心当たりは?」
「…すまん、分からない」
「使えない人ですね。それでも相棒ですか」
ウルシュの言葉が朔乃介の心に突き刺さる。杏寿の事が知りたくて千代女の元を訪れたのにこのザマだ。
すると隣にいた蓮真が小さく朔乃介を肘で小突きながら「気にすんな〜」と気怠そうに励ました。
どうやら蓮真に気遣われるほど落ち込みが顕になっていたようだ。切り替えるように頬を叩き、蓮真へ「大丈夫」と言う。
相棒と言っても杏寿のどこまで踏み込んでいいのか分からない。いきなり土足で踏み込むようなことをしたく無くてゆっくりと歩み寄っていたがそれではきっと――。
(後悔する。奈良の時のように一人にさせない方がいい)
奈良の任務は運良く生きて帰ることができた。大袈裟かもしれないが一歩間違えていれば二人とも死んでいたかもしれない。
そんな危険性の高い選択を杏寿は一人でしていた。朔乃介はただ杏寿の指示に従うしか、言動に呆気を取られるしかなかった。
それでは駄目なのだ。いつかの未来、一人で走っていった杏寿が帰ってこないなんてことを防げるのは相棒に選ばれた朔乃介の仕事だ。
「見つけました。椿さん、手を」
瞳孔が開いたままのウルシュは明後日の方向を見たまま、朔乃介の方に手を伸ばした。掴めということだろう。
朔乃介は覚悟を決め、ウルシュの手を強く掴んだ。
瞬きの間だった。何か言葉を発することも出来ずに朔乃介はウルシュの足元に落ちている影に落ちていった。
ずぷんっ、という音が聞こえた気がしたのだ。




