ファムファタル 二
杏寿は朔乃介を綺麗だと言った。
自身のことを綺麗な容姿と思ったことなんて一度もない。
それよりも奈良での任務の際、暗闇の中で金槌を振り回し、静かに残酷に野犬を倒していく姿に目を奪わた。
あの横顔を、立ち姿を綺麗だと思ってしまった。
そんな杏寿は今、降り注ぐ陽の光に瞼を卸そうとしている。
「起きろ栗花落」
「まずい。ホントにまずい。眠い」
「夜更かしでもしたのか」
「昨晩の雷がうるさくて寝れなかった」
「それはお気に毒に」
「ちょっと杏寿様!!何のための戦闘訓練だと思ってますの!!気合を入れてくださいまし!!」
「淑野さんうるさいよぉ…」
普通の声量で話せば風鈴のような聞き心地の良い声なのに。それを台無しにするのは声の主、千燈淑野。
目立つ雄黄色の髪を束ねて丸く纏め、朔乃介と同じ同じ背広を着こなしている。背広の違いがあるとすれば同じ女である杏寿と違って洒落っ気があり、ネクタイではなくリボン、スボンではなくスカートの所だろう。
そんな彼女は眠たい目を擦る杏寿が気に食わないのか、整えられた柳眉の端を吊り上げている。
「杏寿様、担当上官や先輩が居ないからと言って怠けては戦場で命を落としますわよ」
「うん、それは正しいんだけど連日班の皆だけで戦闘訓練は飽きるよ」
(あーあ、言っちゃった)
朔乃介が所属している班は全員で七人。淑野と杏寿以外の人間が思っていることがこの場で放たれてしまった。
奈良での任務を終え、報告した後日から朔乃介達の班は戦闘訓練に力を入れるようになった。そして戦闘訓練はもう一週間は続いている。無論、授業構成は上官が決めるので朔乃介達で変更することもできない。
時折、先輩や上官が来ることはあったがずっと見知った仲間を相手に模擬戦闘をするって言うのは飽きる。
すると杏寿の近くの木に寄りかかって休憩していた鵜養蓮真が体を気だるそうに起こした。
「杏寿さぁ、期待を裏切らないよね〜」
「え、何の期待?事実じゃない?」
「って杏寿言ってるから皆んなで休憩しない?ね、淑野?」
旋毛を境に髪色が桃色と黒色で分かれている派手髪は襟足まで伸ばされている。日本男児の像とは離れた中性的な見た目に出会った当初は困惑したが見慣れてしまえば愛らしく見えてくる。
他の班の人間から女々しい変人と揶揄されているが細目で目つき悪の悪い朔乃介からすれば蓮真の大きな瞳は羨ましい。
それに女々しいと揶揄されいるがこの班の中では淑野の次に漢らしい。こんなこと言ったら二人に怒られるので黙っている。
すると「そうだよ、休もう淑野さぁん。ほら倫太郎さんも休みたがってるよ」と欠伸を噛みながら杏寿は淑野の対戦相手だった伏見倫太郎へ指を指した。
「勝手に俺を巻き込まないでって言いたいけど休憩には賛成。さっきの模擬戦で義手が外れかけたし」
「え!?申し訳ありません、倫太郎様!」
「大丈夫大丈夫、そういう訓練だしね。恐らく朝、調節した時に上手く嵌ってなかったんだと思う」
汗を拭いながら倫太郎は木陰に座り、躊躇なくシャツを脱ぎ始めた。
比較的幼い顔立ちに反し、体は鍛え抜かれている。筋肉を羽織っていると差し支えないほど。
だがそんな仕上がった体躯は欠損しており、腕が黒い鉄でできた義手が補っている。しかもこの義手はただの義手ではない。
義手型バッシキとなっており、紬師の力を借りずに紬器を紡ぐことができる。技術開発部隊の新作だ。
しかもこの班の中では一番年長で二十二歳。
倫太郎が二十歳の時、海軍内で横行していた麻薬が原因で化け物化してしまい、助かる為に侵食された両腕を失った。
しかもその両腕を落としたのが禄士郎で治療をしたのが小春だという。
そんな二人に恩返しする為、白夜軍へ来たらしいがこの話を自己紹介と共に話たら案の定、杏寿と意気投合。
が、男だらけの海軍出身の倫太郎は生娘の淑野とはどうにも呼吸が合わない。
今だってそうだ。朔乃介達は特に思うことはないが、淑女を目指す淑野だ。
朔乃介が義手の調節の為に服を脱ぐ倫太郎を制止しようと声を上げようとした刹那、絹を裂くような悲鳴が上がった。
「服を!!いきなり!!脱ぐのはおやめくださいませ!!ぶっ飛ばしますわよ!!」
「あーあ、倫太郎また脱いだ〜。やめなって、これで淑野が悲鳴上げんの何度目だよ」
「三度目ですわ!どなたか!私に目隠しを!!」
目を塞いで叫ぶ淑野の姿は申し訳ないが面白い。
隣の杏寿が笑いながらも優しく淑野の目を自分のネクタイで塞いだ。気遣うところ、そこじゃないだろと言いたくなる。
ネクタイで目を塞がれながらも淑野の文句は止まらない。
「海軍の頃の癖が抜けないからってい言い訳は耳にタコができるほど聞きましたわ!いい加減治してくださいませ!殿方が淑女の前で脱ぐのはおやめください!そうでしょう、杏寿様!?」
「おお、私に聞くのそれ?別に私は何とも思わないけど。ここで朔乃介さんや淑征さんが脱ぎ始めても構わないよ」
「朔之介さんはともかく、淑征はこんな所で脱ぎませんわ!……え、淑征、脱いでないわよね!?」
「脱いでないよぉ」
見えない視界の中、キョロキョロと頭を動かす姿に笑いながら返すのは淑野の双子の兄、千燈淑征だ。妹が目隠しされているじょうたいなのに目を細めて笑っている。ちょっと怖い。
淑征は淑野の手を取り、あやす様に優しく言葉を並べていく。
「うんうん、裸体に驚いちゃったね」
「だ、だってお母様が殿方の肌は家族以外見ちゃ駄目だって言ったの!」
「そうだね、言ってたね。言いつけを守って倫太郎くんに注意したのにね」
「そうよね!?やっぱりすぐ私達の前で脱ぎ出す倫太郎様がおかしいのじゃないかしら!?」
後ろで右腕の義手を取り外し、煩わしそうに焦茶色の髪をかきあげていた倫太郎が「なんか俺、変態扱いになってない?」とボヤいているが、淑野の言葉に間違いはない。
倫太郎を変質者と思ったことは無いが、やっていることは変質者と差がない。しかもこの班員の中で一番年上というのが拍車をかけているのもあるだろう。
「だから次、倫太郎くんが女の子の前で脱ぎ始めたら淑野の菜切り庖丁で切ってあげようね」
「えぇ…?それはやり過ぎよぉ…」
「うーん、駄目かぁ」
黒い髪先を丁寧に切り揃え、常々柔和な笑みを浮かべる淑征と見た目はド派手で美人だが何事にも噛みついてくる淑野。
この双子は一見、兄の淑征が妹の淑野の首輪を握っているように見えるがこれは間違いだ。
正確には淑野が淑征の首輪を握っているというより、淑征の危険性を隠している。
淑野が目立てば目立つほど淑征はできた影に隠れていく。
それが当人たちの生存戦略と言っていたが最善の策だろう。
あの杏寿が「おぉう…」と言いながら引いている。そして静かに朔乃介の隣に戻ってきた。
「あ、そういえばウルシュは?あいつどこ行ったの?」
蓮真が声を上げたことで話題はこの場にいない班員、ウルシュ・テルラルの話題へと移り変わる。
同期たちの中で唯一の異国人だ。異国人が白夜軍に所属することは近年少しずつだが増えている。だがそれでも数は少ない。
「ウルシュならもうすぐ帰ってくるよ。模擬戦する前に水を買ってくるって言ってたから」
「え?私そんなこと聞いていませんわ」
「そりゃあ、淑野達の声がデカイからいつも僕に言ってくれるんだよ。淑征は耳がいいからって」
「遠回しに煩いって言ってますわね。そんな大声で話していませんことよ!?ねえ、杏寿様!?」
淑野は疑問があると一度杏寿に投げるのが癖になりつつあるようだが、投げられた杏寿は「分からん分からん」と答えるだけ。淑野からの投げかけに対して考えるのをやめたらしい。
刹那、朔乃介の影からもう一つ人間の影が分裂して生まれる。朔乃介の背後にいた人間の影が移動したわけではない。
文字通り、朔乃介の影が揺らめいて分裂したのだ。分裂した影は見知った影絵だった。




