第七幕 ファムファタル
奈良で任務の前日。朔乃介はある邸宅に訪れていた。
今では主流になった洋風の造りで庭にはこの邸宅を守る女主人が好きな杜若が咲き誇っている。
杜若を手入れしていた庭師が朔乃介を気づき、麦わら帽子を取って会釈をする。
そんな頭を下げられる身分じゃないと思いつつも、朔乃介は軽く会釈を返して扉のベルを鳴らした。
「いらっしゃい、朔ちゃん」
ここは三年前に嫁いだ姉、藤野千代女の邸宅だ。
正確には姉夫婦の邸宅、となるが旦那である義理の兄は不在らしい。いつもなら千代女と一緒に出迎えてくれる。
「義兄さんは?」
「今は仕事で千葉の方に行かれてるの。暇だったから朔ちゃんが来てくれてちょうど良かったわ」
「そりゃ良かった」
出迎えてくれた姉のあとを追って邸宅に足を踏み入れる。
千代女達は先月大阪から帝都に引っ越してきたばかりだ。せっかくだから顔を見せろと言われていたが軍学校に入学してから会える時間を作ることが煩わしく、先延ばしになっていた。
が、新しい相棒のおかげで千代女に合わなくていけない理由ができてしまったのだ。
太陽の光が程よく差し込む客間に迎え入れられた朔乃介が椅子に座るとガラスの皿に乗せられた枇杷と甜瓜が目の前に出された。
しかもご丁寧に一口で食べられるくらいに既に切られているし、直前まで冷蔵庫に入れていたのか程よく冷えている。
「この間頂いたのよ。紀章さんと食べようと思ったのに出張で帰ってこないから困ってたの。朔ちゃんが来てくれて助かったわ」
「なんか悪いな」
「いいのよ。帰ってこないあの人が悪いんだから!」
ふん、と鼻を鳴らし、やけくそのように千代女は口に枇杷を放り込んだ。
実業家の妻となり、貴族のサロンや社交界に行くようになっても弟の前では上品な振る舞いなどどうでも良くなるのだろう。
それでもがさつだった千代女がテーブルマナーを守り、気品ある言動ができるとは昔の朔乃介では想像なんてできない。何せ、枇杷を素手で頬張ってた少女だ。恥じぬ藤野夫人になる為に相当努力したのだろう。
だとしたらそろそろ『朔ちゃん』呼びもやめて欲しいところだが。
「色々朔ちゃんのことを聞きたいけど、まずは本題を終わらせようかしら。『栗花落杏寿』嬢の事が知りたいんだっけ?」
色鮮やかで艶やかな甜瓜を頬張り、朔乃介は頷いた。
貴族でもない椿家で唯一、貴族の噂や話が聞ける社交界に参加できるのが藤野夫人になった千代女だけ。
合同訓練の際に栗花落の名を聞いた禄士郎の反応を見るまで朔乃介は杏寿が貴族の娘と気づけなかった。
こうして本人のいないところで素性を調べるというのは気が引けるが知っておかないと困るというのも事実だ。
「まず彼女は十一年前、当時雇っていた使用人に誘拐されて行方不明になっていたの。でも一年前に発見されて日本に帰ってきたっていうのは社交界に参加した人間なら誰もが耳にしている話ね」
「誘拐?武器商人の用心棒をしてたって言ってた」
「本人がそう言ってるならそうかもしれないわね。こんな言い方をするのは乱暴だけど、子供は大人を騙すより簡単だもの」
「じゃあ栗花落はずっと騙されながら旅をしていたってことになるのか…?」
「本当のところなんて他人にはわからないわよ。それに栗花落家の現当主様が情報規制して特種に飢えた記者達をお嬢さんに一切近づけてないんだもの」
記者達を近づけさせていないというのは正しい。
もし新聞記者を野放しにしているなら常に杏寿は狙われ、共にいる朔乃介にだって近づいてくるだろう。記者とはそれくらいしないと飯にはありつけないのだ。どのようにして近づけさせていないかは知らない方がいいかもしれないが。
大衆向けに執筆すれば感動するようなどこにでもある話だ。
「なんだ、普通の話かって今思ったでしょ」
見透かされてしまった。さすがは姉というべきだろうか。
関心しそうになったがそういう単純な話でもないらしい。千代女は朔乃介と同じ赤い瞳を細め、眉を顰めた。
「彼女はだいぶ辛い立場だと思うわ」
「なんで」
「前当主様、現当主様、ご子息様はお嬢さんのことを愛しておられるのは話に聞くんだけど…奥様とお嬢さんのお姉様が彼女のことをよくは思ってなさそうなのよね。姉の星子様に半年前にお会いしたことがあったんだけどね…うーん」
「歯切れ悪いな」
「だってその時、お嬢さんのことが話題になったんだけど、何だかお嬢さんをあんまり良くは思ってない感じだったのよね。確かに私も実妹のことを可愛いとは思えないし」
「あー…」
千代女、朔乃介、そして末妹に美里。椿家の子供はこの三人で構成されている。
ただ千代女と美里は昔から折り合いが悪く、とても仲のいい姉妹とは言えなかった。朔乃介は美里に思うことはあれど千代女ほど険悪ではない。
「ほら末の子って兄妹が多ければ多いほど愛されることが多いでしょう?」
「親からの愛でいうならどっちかっていう長兄だろ」
淹れてもらった紅茶を飲みながら言葉が落ちてしまった。
朔乃介の一言に千代女は一度だけ目を見開いたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「私にそんなこと言うなんて随分お喋りさんになったのね。誰のおかげかしら?」
「……さぁ?知らね」
「お嬢さんは朔ちゃんの相棒って言ってたものね。ふふっ、噂も憶測も当てにはならないわね」
知らないと言ったのに。生まれてから今の今まで姉をやっているからか、朔乃介の変化を見逃してはくれない。
「話を戻すけど、私との結婚目前で美里が紀章さんと結婚したいって言い出した時はどうしてやろうかと思っちゃったもん。お嬢さんが美里のようだとは思わないけど、こういう関係だったのかもしれないわね」
「触れづらいな」
「他人の家族のことになるとね〜。でもすごく強くなって帰ってきたらしいじゃない?祓魔師でしょ?」
「少なくとも紬師じゃなかったな。あんまりそういう素質は無そうだった」
「そんなこと言ったら私だって素質なんて無いわよ。朔ちゃんと同じ『先祖返り』してるのに」
「姉さんは俺ほど濃くないだろ。先祖返りして半妖になったって危険の方が多いだし」
それもそうね、と目を逸らす千代女に対して朔乃介は紅茶の中に映る自身を見た。
朔之介の曾祖母は妖であり、『雪女』と呼ばれる一族の娘だった。
雪女だった曾祖母の瞳は赤く、絹のように美しい白い髪が特徴的だった。
そんな妖の曾祖母は今も緩やかに老化をしており、曾祖父の死を看取っている。
そして曾祖母の血を引いた父親の元に生まれた朔乃介には雪女の血が色濃く継がれ、赤い瞳と白い髪を持って生まれた。
千代女は赤い瞳だけだが美里に関しては何も受け継がれておらず、普通の人間として生まれてきた。兄妹の中で妖に近い存在なのが朔乃介なのだ。
かといって曾祖母のように老けるのが遅いわけではない。あるとすれば怪我をした時人より回復が早く、体が少し頑丈なだけ。
「姉さん、栗花落家の血統に妖が混じってるみたいな話は聞いたことない?」
「うーん、そんな話は聞いたことがないわね。それに栗花落家から祓魔師や紬師を排出した話もないわよ。あそこは代々海軍の一族らしいわ。奥様も商家の娘だから美容品を貴族相手に商いをしているし、星子様もそのお手伝いをしてるって聞いたくらいね」
「…そうか」
客観的に杏寿の境遇を見れば新聞記者や小説家が飛びつきそうな話だ。
だからといってそれを一括りに悲劇のヒロインと呼びにはあまりに無神経だ。
(どうしたもんかな…)
バカ正直に思ったことを口に出し、たとえ上官でも疑問があれば口には出さずにはいられない性分だ。
そんな杏寿が自分の話を暈すのは本人の中では話すほどでもないと思っているか、話したくないのどちらかなのだろう。
過去に何があったなんて聞かなくても任務に支障は出ない。
それに杏寿は聞いてくるならお前のことも聞くぞ、みたいな事を言って自分のことを話すのをやめたのは朔乃介のほうだ。
「ねえ朔ちゃん、学校はどう?楽しい?」
「え?ああ…まあまあ?」
「ちゃんと私の言う通り、軍学校の軍服で来てくれたのね」
「それが栗花落のことを聞く条件って言ったのは姉さんだろ」
「でも…こう…黒い背広が軍服って言うのは味気ないわね。あ!ネクタイピンでも買ってあげようか?」
「気持ちだけ貰う。失くしたら嫌だし」
「失くしたらまた買ってあげるわよ」
千代女はくすくすと笑いながら朔乃介の白い髪を撫でた。
昔からそうだ。千代女はこうして朔乃介の頭を撫でる。幼い頃はもっと乱暴に撫でられていたが。
実の両親から恐れられ、居心地なんて一度も良いと思えなかった家族の中で千代女だけが朔乃介を弟として大切な家族として接してくれた。
だから何歳になろうが朔乃介はこの手を振り払えない。
(けど、そろそろ子ども扱いは恥ずかしいな)
朔乃介は撫でられるがまま、皿に残ってる甜瓜を口に運んだ。




