化け物 二
「以上が今日の朝にあったことだよ」
「いや俺が寝てる間に何してんだ」
夕餉を取り終えた後、朔之介を部屋に呼び出して朝起きたことを洗いざらい話したが怒られてしまった。
置き手紙と自転車が無くなっていたことで井東の元へ向かったのは分かっていたようだが、違和感の原因を探すべく単独行動をしてしまったことに怒っているらしい。
「単独で動くな。野犬に妖用の銃が効かなかったらどうするんだ」
「うーん、その時はその時」
「生きているからそう言えるんだ。死んだら選択肢なんてないんだぞ」
杏寿の向かいに座る朔之助は胡座を組み、いつもの猫背で鋭い眼差しで言う。
その眼差しを杏寿は知っていた。耀も似たような眼差しで静かに叱るのだ。特に無茶をした時に。
「怒ってるの?」
「怒…る、だろ」
杏寿が疑問を零すと朔之助は何故か驚くように答えた。
豆鉄砲でも喰らったかのような顔には様々な感情が見える。驚き、疑問、そして気づき。
「桃坂先輩と戦えていた栗花落が野犬に負けるなんて思ってないけど…でも人間は脆いんだよ。自分を大切にしろ」
「…そうだよね。色々忘れてたかも私」
人間は脆い。そりゃそうだ。
傷の回復が早いことや共に行動していたのが妖だったことで自身もまた脆い人間であることを忘れていた気がする。
妖であった耀でさえ、死を迎えたのだ。履き違えていたのは杏寿のほうだ。
(朔之助さんからは学ぶことが多いな)
杏寿の納得に安心したのか、呆れたのか、朔之助はため息を吐いた。
そして「それで」と空気を切り替え、猫背を正した。
「栗花落、お前は何をする気だ。どうせ何か企んでるんだろ」
「んふ、朔之助さんには隠せませんなぁ」
「反省しろ。別に隠し事をするなとは言わないけど限度はあるからな」
「もちろん、反省してるよそれは。改めて夜の森に入る。野犬が黒い靄に呑まれる原因があるはず」
結局のところ、野犬は山から下りてくる。村に一つしかない入口からわざわざ入ってくることはない。
もし原因があるなら井東が管理している薬草が生えている南の森だろう。
「確証はあるのか?話聞いてると可能性の話が多いが」
「こう見えて私の勘は当たるんだよね。それに井東さんが野犬に襲われないことと野犬が穢れに呑まれていることが直接的に関係がなくても、間接的には関わってると思う」
「…まあ、それもそうか。動くのは明朝か?」
「今夜」
「…は?」
「今から二時間後」
「はっ?」
「夜の森の探索、頑張ろうね!」
「頑張れるかァ!」
さっきとは違う怒りが飛んできてしまったが妙に心地よくてけらけらと声を上げて笑ってしまった。
まるでナーシャと孝文のやり取りを再現しているようだった。
まだ朔乃介へ距離はあれど、話し、共に行動するにつれ、共有する時間が心地よくなっている。
(軍学校に入って良かった)
ーーー
夜の森には明かりは葉の隙間から零れる月明りのみ。
足音を殺しながらゆっくりと歩みを進める。
万が一の戦闘に備えて、闇夜でも戦えるために片目を眼帯で隠しているが視界が狭まると歩きづらい。
転ばないように先導する朔乃介の外套のを握って歩いている状態だ。
「栗花落、お前の勘は当たってるかもしれん」
「え?」
「目に妖力を込めて凝らしてみろ」
朔乃介の歩みが止まる。何か手がかりを見つけたらしく、声を潜めて杏寿に声を掛けた。
言われた通り、杏寿は体内に巡る妖力を眼帯をしていない左目に込める。
そして朔乃介が見つめている先を共に凝らして見つめてみる。
見つめた先には野犬が纏っていた黒い靄が霧のように漂っていた。
「気づかなかった…」
「夜だから無理もない。夜に探索する際は目に妖力を込めるのが定石だ。暗くて人や動物を肉眼では認識しづらくても妖力を通して見ると糸や妖力の跡を見ることができるからな」
「ああ、なるほど」
「お前、水上中尉がこの説明してる時に寝てたしな」
「包み込むような優しい声を持っている水上中尉が悪いよ」
怒ると毒味が増すが水上の声質は柔らかく、心地よい眠気へと誘うのだ。
その声に抗えるほど杏寿の耳は屈強ではないが、水上から飛んでくる丸めた教科書を受け止められるくらいには頭は頑丈だ。痛いことに変わりはなかったが。
「そんなことよりあの靄は栗花落が見た靄と一緒か?」
「一致してる。奥に行くほど濃くなっているし、この先にいるんだろうね」
「用心して行くぞ」
目に妖力を巡らせることやめて、肌の隅々に膜を纏えるように妖力を行き渡らせる。少しでも妖力の消費を防ぐためだ。
杏寿が戦闘態勢にはいったせいか、さっきまでは無かった四足歩行の足音が聞こえてきた。
「朔乃介さん、木の上に移動して。囲まれてる」
「わかった。援護する」
掴んでいた外套から手を離したことを合図に朔之介は木の幹を伝って上へ登る。
暗闇の草むらから赤く光る双眸が次々に現れる。まったくいつの間にこれだけ集まっていたものか。
杏寿は外套を脱ぎ捨て、腰に巻き付けていた金槌を取り出す。
本当は得意の銃を使いたいが寝静まる村を起こすわけにもいかない。加えて騒ぎの間に化け物が逃げる可能性もある。
(手早く終わらせないとね)
付けていた眼帯を外し、使っていた左目の瞼を閉じる。両目が完全に暗闇に慣れるまでは右目で応戦するしかない。
夜戦は日本に帰ってきて以来なので緊張と高揚で心臓の鼓動が早まる。
咆哮を上げ、野犬達は杏寿を目掛けて飛びついてくるが、犬の特有の呼吸音と足音を慎重に聞き分けて金槌を振り落とす。
涎が零れる口、脳天、胴体。容赦なく妖力を込めた金槌で叩き落していく。
木の上からは朔之介が矢を野犬に放ち、杏寿の援護を行う。
「栗花落!八時の方向に誰かいる!」
「このまま一気に向かう!援護頼んだ!」
ようやく両目が暗闇に慣れ、目を開いて八時の方向に向かって走る。
野犬が纏っていた穢れを祓っているのか、朔之介の足音が聞こえない。もしくは野犬を食い止めてくれているのかもしれないが。
それでも杏寿は構わず走り、捉えた人影の顔を確認するために首根っこを強く引っ張る。
無理やり振り返らせられた人物は焦りを浮かべた表情で杏寿を見た。やはり見知った顔だった。
「こんばんは、井東さん」
「っ…!」
やはり井東が関わっていた。このまま何か知っていることを吐き出してもらえればと、会話を続けようとした刹那だった。
視界の端から人間の姿とはかけ離れた姿になった『化け物』が雄叫びを上げながら杏寿に向かって突撃してきた。
化け物からの攻撃を避けるためには井東から手を離さざるおえない。
手を離し、突撃を避けて距離を取る。
万が一の場合は討伐と泉波は言った。なら今この状況は『万が一』に該当するだろう。
距離を取るが人間でなくなった化け物の強さや素早さを杏寿は侮っていた。化け物は体の向きを変えてすぐさま右足を踏み出し、杏寿の首を締め上げられてしまった。
「やめろハルタ!!」
妖力の膜を纏っておいて良かった。目の前に広がる化け物の靄は野犬に絡みついているものより何倍も濃く、隙を見せると呑まれそうだ。
ジャケットの裏に隠してある妖用の銃を取り出そうと藻掻いた瞬間、今度は朔之介が首を締め上げる手に拳を振り落とした。
痛みに化け物は首から手を離し、杏寿は吸えなかった息を吸いこんで化け物の右顎に向けて足を蹴り上げる。
ガラ空きになった胴体にもう一発、蹴りを食らわせ後方に吹き飛ばした。妖力で足を強化しているので威力は通常の倍だ。
「朔之介さん、レイピア!」
「俺はレイピアじゃないけどな…!」
吹き飛んだ化け物を目掛けて走り、朔之介が紡いだレイピアを手に携えて右足を大きく踏み出す。
そして鋭いレイピアの切っ先を化け物の赤い右目にぶれることなく穿った。
穿った右目からレイピアを抜き、付着した血を払う。
(レイピアを使うのは久々だったけど腕が衰えていなくて良かった)
と、安堵したのもつかの間。井東が杏寿を押し退けて倒れた化け物に駆け寄る。
名前を叫んでいたことも考えると知り合いだろう。
「ハルタ!ハルタ!」
「お知り合いですか?」
「……俺の弟だ」
姿形は化け物化してしまって人間の頃を留めていないが井東の弟らしい。
そして帝都での殺人、三重での殺人の犯人でもある。
ハルタと呼ばれた化け物はもう虫の息だ。
「朔之介さん、穢れを解いてあげないの?」
「ここまで化け物化が進むと解けない」
暗闇に朔之介の表情は見えないが吐き出すように出した声はとても苦々しい。
もう助かる見込みはないということなのだろう。
(討伐指示が出てる時点で手遅れだったんだろうなぁ)
杏寿は朔之介の外套を軽く引っ張った。
すると朔之介はゆっくりと屈み、杏寿の顔元に耳を寄せた。
「拳銃を紡いで」
「…このまま放っておいてもこいつは死ぬぞ?」
「いいから」
ため息を吐いた朔之介は言われた通り、携えていたレイピアを拳銃に変形させる。
弾も装填され、セーフティも外れている。いつでも撃てる状態だ。
拳銃を持った杏寿は弟の名前を呼ぶ井東の手を掴み、拳銃に触れさせた。
「は…なん――」
「拳銃です。弟さんは人を殺して討伐命令が私達に降りました。私で弟さんを終わらせることもできます」
「何を、言っているんだ…」
「今、ここには私達しかいません。暗くて誰が何をしてるかなんて分かりません」
暗いが零れる月明かりで井東の表情が半分見える。
そこには絶望を突きつけられた人間の顔があった。
「選んでいいですよ。ここで私に引き金を引かせてもいい。井東さんの手で終わらせてあげてもいい」
「そんなの…!」
「もちろん、選ばなくてもいいですよ。弟さんとはこのままお別れになるだけですから」
この状況は意図して出来上がったわけではないが、吹雪が吹き荒れていたあの日に似ている。
あの日、耀に刀を渡されたのだ。その時はこんな選択肢は与えられず、ただ刺しなさいと命令された。
今になって耀を終わらせたのが己の手で良かったと杏寿は思った。もし、他の人の手で耀が殺されたら行き場のない感情が死ぬまでずっと心の奥底で燻り続けていただろう。
家族の在り方なんて様々だ。井東も同じ思いであるとは限らない。
それでも見てみたい。家族の死を他人に委ねるのか、いっそ自身の手で終わらせるのか。
だから杏寿は拳銃を井東に差し出したのだ。
目の前で選択肢を与えられた井東は差し出された拳銃と化け物を交互に見ては浅い呼吸を繰り返している。
揺れる瞳から涙が小雨のように落ちていく。落ちる涙にどういう理由が含まれているのか、杏寿には想像することしかできない。
「ハルタは…俺が…」
「拳銃は引き金を引くだけで撃てます」
瞬きも許されないほどの一瞬だった。
拳銃を掴んだ井東の手の上を一本の矢が通り過ぎ、迷うことなく化け物の心臓を貫いた。ただの矢ではない。緑色妖力を纏った、輪廻の糸を断ち切る矢だった。
「に、ぃ…ちゃ…ん…」
井東を呼ぶ声を最後に化け物は塵になり、風に乗って朝焼けが差し掛かった空へと消えていった。
山に入って随分時間が経っていたようだ。ゆっくりと朝日が差し込み始めていた。
矢が飛んできた方向を見るといつもの笑顔とは違い、弓を構えながら表情を殺した泉波が立っていた。
「俺たちがどうこうできるのは妖と化け物だけだ。覚悟のない人間に武器を渡すな。覚えとけ、後輩」
朝日共に浴びた泉波の言葉で杏寿の初任務は終了となった。




