初任務 三
「戻りました、泉波先輩」
「ああ、ご苦労さん。聞き込みはどうだった?」
「半数は終わりました。残り半数は明日二手に分けて聞き込みに当たる予定です」
「順調だな。順調なお前達に連絡事項を伝えようと思ったが…まずは風呂に入って来い。諸々終わったら俺の部屋に二人で来るように」
そう告げた泉波はまたグラスを傾けて酒を呷った。
どちらにせよ、風呂には入りたかったので長話になる前に湯に浸かれるのはありがたい。
杏寿も朔之介も泉波の言葉に甘え、早速風呂場をへと直行した。
汗や汚れ流して自身の体を洗った後は着ていた背広を桶に入れて手洗いをする。今から洗って干せば明日の朝には乾くだろう。
村を共に駆け回った背広は汗が染み込み、泥などの汚れを付けていた。これをまた明日も着たいと思えないので持参した石鹸で洗うしかないのだ。
軍学校にあるような洗濯機であれば手洗いなどする必要は無いが文明が追いついていない地方の田舎には置いていない。
しかもここ数年で電柱が立ち、ニシキの連絡範囲内になり、生活が少し楽になった程度らしい。
故に夜に出かけようものなら片手にランタンを持たなければ道さえ見えない。
(ニシキって無いと不便なんだよなぁ)
水を絞った背広を物干し竿に干させてもらい、浴衣の袖にニシキをいれて泉波の部屋の前まで行く。
部屋の前には前髪を上げた朔之介がいた。普段は見えにくい左目が晒されており、禄士郎には敵わずともそれなりに整った顏がよく見える。
美しい顔を見せななんてもったいないと思ってしまう。これも耀の影響だ。
何せ、耀自身がかなりの美貌の持ち主で交渉の場で武器として扱っていた。
(でも朔之介さんが人と会話するのが苦手そうだから耀のように武器にしようとはしないだろうなぁ)
朔之介と視線が交わり、杏寿は笑みを浮かべて小さく手を振る。
宿で用意されていた浴衣を着ている杏寿とは反対に白いシャツに亜麻色のスラックスを固定するブレイシーズ。調査部隊の背広姿しか見たことがなかったので、新しい一面を見れた気がして杏寿は少しむず痒くなった。
「浴衣じゃないんだね」
「俺の身長に合った浴衣がないから。それに洋服の方が落ち着く」
「体が大きいのも難儀ですな」
苦笑している朔之介に代わり、杏寿が泉波の部屋の戸を叩いた。
すぐに中から「どうぞ」と声が返ってきた。
部屋に入ると木製の座椅子に体を預け、片手にグラスではなく本を持っている。
顔は少し赤いままだが滑舌ははっきりしているし、目も据わっていない。酒が入っていたであろう瓶は空になって机に置かれている。
杏寿の視線に気づいたのか、「俺は酒には強い方だ。意識もはっきりしてるぞ」と泉波は本を捲るのをやめて顔を上げた。
「お酒がお好きなんですか?」
「多少飲む程度だ。お前達が来てくれたから飲んでるだけで普段は任務があるから飲んでいない」
「ーーもしかして私達に仕事を預けようとしてますか、先輩?」
「ハハッ、栗花落は察しがいいなぁ。調査員に向いているよ。ーーさ、授業をするぞ」
入り口で立ったままでいる杏寿達に座るように視線で促し、持っていた本を座っている側に置いた。仄かに顔が赤らんでいるが上級生としての責務は全うするらしい。
畳の上で正座をし、背筋を伸ばす。宿で授業というのは初めてで妙に落ち着かないことが朔乃介に伝わってしまったようで落ち着け、とため息を吐かれてしまった。
杏寿が深呼吸をしたところで泉波は口を開いた。
「俺がここ配属されたのは一ヶ月前。その時はまだ山から降りてくる野犬は可愛いもんだった。村長の話通りなんだが一週間前から野犬が村人だけで手に負えなくなった。栗花落が言っていた魔物というのはあながち間違いじゃない」
「泉波先輩は魔物を知っているんですか?」
「白夜軍兵士なら皆、知っているさ。知らないのは一般市民くらいだ。話を戻すがここの野犬は魔物じゃない。椿、何だと思う?」
問われた朔乃介は心当たりがあるようで静かに答えた。
「穢れ、もしくは『化け物化』じゃないですか」
「優等生だな、当たりだ」
「朔乃介さん、化け物化って?」
化け物化。馴染みのない単語に朔乃介の袖を引っ張る。
そんな杏寿に対し、呆れることなく「まだ授業で習ってなかったな」と言葉を続けた。
「輪廻の糸に負の感情や死人の情念が絡まると穢れとなる。それを解くことなく放置してると人間は人ならざるものへとなるんだ。それが化け物化。昨日、兎の糸を見ただろ?通常の状態があれだ。黒く染まっていない。だけど未練があったり、恨み、そういった負の感情が絡まって化け物化すると周りにも影響を及ぼす。化け物に側にいると穢れが感染するんだ。血肉、心がある生き物なら何でも」
「椿の話に捕捉すると化け物化した人間はごく稀に助かることもあるし、そのまま妖になることもある。世の中不思議だよなぁ。察しのいい栗花落なら分かるんじゃないか?」
野犬が魔物並みに凶暴化している理由は至極単純だ。山の中に化け物化した人間がいる。
何故山の中にいるのか分からないが野犬達は化け物の穢れに充てられたということなのだろう。
ならば早々に化け物退治をした方が早いのでは?疑問を口にしようとした刹那、扉がノックされた。
泉波が腰を上げ、扉を開けるとお盆に熱燗を乗せて持っている女将が見えた。この先輩はどうやら酒の補充をするらしい。
お盆ごと受け取ると再び座椅子に座り、お猪口に酒を移した。
「まだ飲むんですか先輩」
「飲む。だって今回の任務は俺が主役じゃないからな」
「やっぱり押し付けようとしてませんか、その化け物退治」
お猪口の移した酒を今度は喉に流す。酒を味わうと泉波は首を振った。
「忘れたか?俺たちは調査員で退治するのは実働部隊の仕事だ。まあ、例外はあるが」
「では私達はその化け物の調査をするということですか」
「そうだ。治安調査もしつつ化け物調査となる。しかも昨日、三重県である死体を見つけた。この死体の死因が帝都で二週間前に発見された女性の死体と死因が一緒でな。その足取りを辿ったら…あら不思議、この村に向かっていることが判明したそうだ」
「ほぼ確定しているんですね」
「ああ。今、実動部隊の兵士がこっちに向かっているそうだが今日明日にすぐ駆けつけられるものじゃない。万が一のことがあれば俺達で討伐、だとよ」
膝の上に乗せていた手が小さく震えた。仮に討伐となればまず一つ、功績を挙げられる。
村に滞在するのは残り二日。実動部隊が来る前に見つければ水上中尉を唸らせる成果を持って帰れるかもしれない。
「藪をつつくなよ」
「藪?」
「藪をつついて蛇を出すなってこと」
藪をつついて蛇を出す。余計なことをするなというような意味だったことを杏寿は思い出す。
人と会話するのは苦手なのに人のことをよく見ているから厄介な相棒である。
杏寿はニコリと笑い、首を振った。
「そんなことしないよ」
「どうだか」
信用できないようで明らかに嫌そうな顔をした朔乃介から顔を背ける。
いざとなれば一人で戦えばいい。どうにでもなるだろう。
朔乃介の視線に気づかないふりをして杏寿は酒をちびちび飲んでいる泉波を見た。
「それで泉波先輩が私たちに化け物調査を投げるというのはわかりました」
「人聞きが悪いな。任せた、だ」
「じゃあ、任されたところで先輩はこの村で何をなさるんですか?」
「住民の護衛。俺も治安調査でここに来てお前達と共に帝都に戻る予定だったが化け物のおかげで予定が狂った。お前達は二日後に報告書を持って帝都に帰るが俺は調査部隊と合流し、それこそ化け物退治が終わるまで帰れん。酒も飲みたくなるだろ、こんな何にもない田舎に居させられているんだから」
酒が回り出しているようで本音が溢れ始めている。授業というよりは雑談になってきている。さっさと退散した方が良さそうだ。
腰を上げようとした瞬間、幸運の女神は杏寿に手を差し伸べた。否、正確には扉をノックしたのだ。
時刻は十八時。夕餉を告げる女将の声だった。




