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栗花落杏寿の爽味  作者: 椄瀬結


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12/16

初任務 二

「いつまで不貞腐れてんだ」

「だってぇ…」


 慣れない布団で目が覚め、朝食を済ませた杏寿は意気揚々と自転車について女将に尋ねたら貸出用の自転車は一台しかないと言われた。

 杏寿が一人なら今頃晴天の空の下、澄んだ空気を浴びながら自転車を漕いでいただろう。

 だが一般男性よりもはるかに体が大きい朔乃介を後ろに乗せて漕ぐと言うのは至難の業。妖力で体を強化しても自転車を壊してしまうだけ。

 故に朔乃介が杏寿を後ろに乗せて漕ぐことになったのだ。

 大きな朔乃介の背中に体を預けるようにもたれる。漕ぎづらいだの重いだの、文句を垂れてはいるが自転車の速度は落ちていない。

 ニシキを起動させ、目の前に浮かぶホログラムの画面を眺める。昨日泉波から貰った地図データだ。

 コンクリートや石畳ではない道に自転車が小さく跳ね、杏寿の体のぐらぐら揺れるが気にせず地図を見る。

 四方が山に囲まれ、山々の間に商店街や家、田園が存在している。

 だが今から向かう住民の家は山に近いーーと言うよりは村の住民から離れるようにひっそりと存在していた。


「朔乃介さ〜ん」

「なんだ」

「日本には魔を敬う文化ってあるの?」

「魔を敬う?」

「ほら、昨日村長さんが『妖様』って言ってた」

「そうだっけか。よく覚えてるな」


 村長と話している時に聞くと話が脱線しそうだったから杏寿は突っ込まなかった。

 妖に対して持つ印象が人によって様々だ。無関心や信じない者もいれば、魔物のように嫌う者もいる。

 だが妖を敬う者には初めて出会った。信仰の束縛がない日本ならではというしかないが。


「妖を敬うみたいな話はない訳じゃない。俺の周りにはなかったけどな」

「妖は神様みたいな?」

「どういう経緯で崇められ始めたかは知らないけど共存を望んだり、人間に施しを与える妖もいたんじゃないか。土地神みたいな。この村は少なくとも妖と関わりがあるってことだな」

「ない村もあるの?」

「むしろない村の方が多いだろ。妖が見える人間の方が稀有なんだから」


 また自転車ががこんと揺れる。

 海外でも魔物が見える人間も減りつつ、そして魔物自体も絶滅の道を辿っている。なぜなら魔物を害とし、敬う者なんていないからだ。

「だけど」と朔乃介が言葉を続けた。


「この村が妖を良いものとして崇めているかは別問題だ。それこそ畏怖の対象として様付けしている可能性だってある」

「今でこそ妖は人間を食べなくなったんだっけ?」

「人間と共存するためにな。妖は共食いできないようになっているし、今でも人間の肉は美食とされている。だから完全に人間を食べないようになったというにはまだ早いだろうよ」

「そっかぁ。色々あるんだね」

「自分から聞いといて興味無くすなよ…」


 魔物にしろ、妖にしろ、凶暴な野犬にしろ、こんな閉塞的な場所に現れてしまうと困るのは無力な人間だ。

 抵抗できない脅威から無力な人間を助けるのが白夜軍であり、前準備を行うのが今の杏寿の仕事。脅威を排除することではない。

 すると自転車の速度が次第に緩やかになり、目的地の家の前で停車した。

 杏寿はニシキの電源を切り、自転車のキャリアーから降りる。鉄の上にずっと座っていたからか、臀部が痛い。

 臀部を軽く摩りながら杏寿は家の戸を叩く。

 すぐに戸が開き、中から杏寿より少し背が高い無表情の男が顔を出した。簡素な着物を着ているが着崩れもなく、無精髭もないからか幼く見える。


「こんにちは。白夜軍所属、栗花落杏寿と申します。治安調査の為に参りました」

「ご苦労様です。すみませんが今、部屋の中で仕事道具を広げてるのでこのまま用件を伺ってもいいですか」

「構いません、ご協力ありがとうございます!」

「…いえ」


 男はそのまま外に出て、戸を閉めた。

 朔之介も挨拶をするかと思い、目配せをするがサドルに跨ったまま会話に混じろうとしない。男に会釈するだけして視線を逸らした。

 無理に会話に混ぜても喋りそうもなそうな気がする。杏寿は無視して男を見直した。

 陽の光に照らされてようやく男の顔がはっきり見える。

 頭垢(ふけ)のない清潔な短髪の黒髪が好印象なのに目の下の隈が目立つ。心做しか顔色も良くない。

 さっさと質問をして退散する方が良さそうだ。


「失礼ですがお名前をお伺いしても?」

井東(イトウ)ツカサです。それで用件は何ですか」

「只今、こちらの村の治安調査を行っていまして。困っていることや気になっていることなどありませんか?些細なことで構いませんので」

「…特にないです。不自由なく暮らせていますので」


 井東は杏寿からあ目を逸らして右手で頭を掻いた。

 訳がありそうな暮らしな気がする。表情を変えずにそうですか、と返した。

 

「井東さんは何のお仕事してたんですか?」

「薬売りです。正確には薬の材料を卸している、と言った方が正しいですけど」

「山で薬草を取るんですか?」

「ええ、まあ…。この家の裏の山に生えてる薬草は摘んでいます。祖父が育てていたものを私が引き継いだのでそのまま薬を売るようになりました」


 言われてみれば僅かにだが井東の着物から薬草の香りが匂う。

 窓に薬草を吊るして乾燥させているところを見るに嘘は吐いていないようだ。

 ならばと杏寿は最後の質問を投げた。


「野犬について何か困ったことはありませんか?山に入るならなおのこと危ういのでは?」

「野犬は出会ったらすぐに逃げるようにしてるから今のところ何も被害は出てないです。まあ、そのせいで山に入る頻度は少なくなったけど」

「もし野犬が降りてきたらぜひ我々を呼んでください!お助けいたしますので!」

「……ガキに守ってもらうくらいなら一人で逃げるさ。もういいか、仕事に取り掛かりたいんだが」

「はい、ありがとうございました。また来ますね!」


 杏寿はカサついた井東の手を無理やり掴んで握手を交わした。

 驚いた表情で杏寿を見るだけで突き放されはしなかった。杏寿に対して嫌悪を井東は抱いてはいないようだ。どちらかと言えば不信感といったところか。

 そして手を離し、杏寿はキャリアーに跨る。跨ったことを確認した朔之介が気怠そうにペダルを踏み、自転車のタイヤを動かした。

 体をひねらせて振り返り、井東に向けて手を振る。また来るというのは嘘じゃない。友好的な態度を示しておかないと後が面倒臭いことになる。

 そんな杏寿を一瞥した後、井東は家へと入って行ってしまった。手を振り返してくれることは無かった。


「随分あっさりしてたな」

「明日も来るから今日はこれくらいがいいかなって」

「ーー会話は録音しておいたぞ」

「さすが朔之介さぁ〜ん!百点満点ですなぁ!」

「そりゃどうも。次の聞き込みから自分でしろよ」


 朔之介の呆れにカラカラと喉を鳴らす。

 軍学校での授業にニシキで会話を録音した方がいいと教わった。だが全員の会話を録音する必要は無い。

 怪しいと思った人物との会話だけでいい。教卓にチョークを置いた水上中尉はハッキリとそう告げた。


「朔之介さんは気づきました?井東さんが『余所者』であること」

「訛りがなかったし、こんな端っこに住んでいればな。村社会は都会ほど寛容じゃないから村の端に追いやられるのはよくあることだ」

「めんどくさいね」

「栗花落からすればそうだろうな」


 村社会については朔乃介の方が詳しそうだ。旅の道中で村に立ち寄ることはあっても住むことはなかった。

 滞在する時でも長くて一ヶ月だった。使っていない空き家を借り、そこで寝泊まりをしていた。完全に客人扱いだったのだ。

 その際でも客人だから暗黙のルールや訳ありの住人に関して懇切丁寧に説明されることなんてなかった。

 国は違えど異分子は遠ざけるという習性はどんな人間にも起きえるらしい。


「朔乃介さんはどこか村で暮らしてたの?」

「爺さんが村で暮らしてたから何となく知ってるだけ。そんで何で井東さんを疑ってんだよ。俺も一応録音したけどそんなに怪しいって思わなかったけど?」

「んふふ、勘が八割ってとこ。でも凶暴な野犬が出るって言われてるのに山に近いあの家から離れようとしない。それに」

「それに?」

「彼の手は銃を扱う人間の手じゃなかった。野犬が出る山に銃を持たずに出かけるなんてありえると思う?」


 うーん、と唸りながら朔乃介は自転車を減速させた。

 またガコンと体が揺れる中で杏寿は握手した左手を見た。井東は恐らく右利きだ。だから杏寿は普段から銃を扱っているかどうか確認するために握手をしたのだ。

 触った結果として井東の手は銃を扱う人間の手ではなかった。皮は柔らかく、肉刺(まめ)などの銃を扱うとできる症状が無かった。

 野犬が出る山に銃なしで薬草狩りとは命知らずもいいところ。この結論に至った杏寿は井東を訝しんでいるのだ。

 だがそんな杏寿に対して朔乃介は完全に同意というわけではない様子。


「銃を持たずに森に入るっていうのはない訳ではないし、手を触ったのは数秒…何かはあるかもしれんがごく個人的なことかもしれないんじゃないか?何か怪しいやつだったら村長や他の住民が名前をあげるだろ。だから決めつけるのはまだ早計かもな」

「それもそっか。これから色んな人と話せば何か分かるかもしれないしね!」

「まあ、何もないことを祈ろうぜ。平穏が一番だって」


 減速していた自転車のタイヤが加速していき、一直線に村の中心部まで走った。

 そこからはまるで職業訓練のように話を聞かせてもらう代わりに田植えの手伝いや泣き止まぬ赤子をあやしたり、体力が有り余っている子供達と追いかけっこをしたりと、日が暮れる頃には杏寿も朔乃介は体力の限界を迎えた。

 宿の広間では悠々と酒を煽る泉波が杏寿達を待っていた。本当に授業をやる気はあるのだろうか、この人は。

 ため息を飲み込みながら口角を無理やり上げた。



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