第五幕 初任務
無事に兎狩りを終え、山を下ると泉波も狩ったであろう兎を持って待っていた。
だが泉波は背に見慣れぬ矢筒を背負っており、銀製矢筒の中には矢が見当たらない。加えて弓も見当たらない。
さすがに銀の矢筒で兎を殴った、などということはないだろうが。
「遅れてすみません、泉波さん」
「お疲れ、二人共。ちゃんと捕まえたんだな」
矢筒が見られているに気づいたのか、泉波は無言で兎を杏寿に預けて矢筒を方から外した。
「これは矢筒型ニシキ。この矢筒は妖力を込めると矢ができる仕組みになってるんだ」
「おお!じゃあ無限に矢が作れるってことですか!」
「ははっ、残念ながら妖力が底尽きれば無理だ。無尽蔵の妖力持ちなら無敵だろうな」
体力と同じように妖力には底がある。底に至ると枯渇症状が起き、立つことさえままならない。
故に妖力の重要性は体力や集中力と同等に扱わなければならないのだ。
すると泉波は矢筒を背負い直すと眉を八の字に下げて首を少し傾けた。
「栗花落は随分『死体』に慣れているんだな」
「え?」
「立ち振る舞いからお転婆令嬢かと思ったが…死体に慣れていて尚且つ持つこともできる。帝都育ちの御貴族様達は穢らわしいって近寄らないし、預けられたら真っ青になるんだがな〜」
「不思議です。そんな貴族が白夜軍の見習生に志願するのですか?」
「意外とな。例えば長兄になれなくて不貞腐れたやつとかな」
頭の中で実の兄を思い出す。再会したのは一年前の日本に帰ってきた時だったが、その時には栗花落家の時期当主になることが約束されていた。
だが再会した長兄の後ろから仏頂面で杏寿を睨んでいた少年もいた。その少年は杏寿が耀と一緒に世界を渡り歩いていた頃に生まれた弟だった。
仏頂面の弟に次期当主を引き継ぐ可能性は長兄がいる時点で低く、その代わりなのか随分両親に甘やかされて育っているようだった。綺麗な服に艶のある髪。使用人にわがままを言ったり困らせて愉悦感に浸る。
出会った時に杏寿を睨んでいたのは邪魔が入ったとでも幼いながらに感じたからかもしれない。
そんな次男、三男がたとえ動物でも死体に触るとなると憤慨するだろう。当主になれなくても貴族であることに違和感を持っていないから。
「贅沢な人たちですね」
「ハハハ、そりゃそうだ。試して悪かったな。じゃあ村長のところに挨拶に行こうか」
はい、と答えた杏寿と朔乃介は泉波の後を追って歩き出す。
謝りはしたが預けた兎を引き取る気はなく、杏寿に背を向けて泉波は歩く。
ここまでの泉波の態度は杏寿達を試していたらしいが、特段気分が悪いと感じることもない。
朔之介の顔を伺うが、朔之介も同じことを考えていたようで杏寿の方を見ていた。
「…ま、白夜軍はそういう場所らしいな」
「益々気に入ったね」
特に不満の声もなく、二人の声を聞いた泉波は笑い声をあげながら「ようこそ、白夜軍へ」と拍手した。
これが上級生からの授業となると苦労しそうだ。
すると前を歩いている泉波が前を向きながら杏寿達に声を掛ける。
「さて今から行く村長の家は村の中心部にある。中心部には小さな商店街があるんだ」
「確かに買い物するのにバスに乗って都市部まで行くのは手間ですもんね」
冷たくなった兎の重みを感じながら立ち並ぶ呉服屋や八百屋などを眺めた。
駄菓子屋には子供達が菓子を食べながら駄弁り、母親達は道の端で井戸端会議が行われている。皆が楽しそうに会話に花を咲かせていた。
過疎化が進む村でまだ活気は衰えていない上に行商人の姿もある。この村が衰退するのもまだずっと先だろう。
「今回の任務は滞在中に治安調査の実施。ただ練り歩いて調査するのではなく、その地に住んでいる住民全員に聞いて回ること」
「確かにそう通達されました」
「言っとくけど文字通り、全員だからな?老人から子供、この村に住んでいる奴全員だ」
そう言った泉波は腕輪型ニシキを起動させ、軽く叩く。杏寿と朔乃介のニシキが何か受信したようで小さく振動した。
ニシキを起動させようにも兎を抱えているせいで手が自由に使えない。それは朔乃介も同様だった。
「村の地形と住人が住んでいる住居の位置を記載した地図データを送っておいた。百四人、喋れない赤ん坊だけを省いた人口だ」
「百四人から聞いて報告書を作成しろと言うことですか?」
「そういうこと。俺たちの仕事は妖退治ではなく、あくまで『調査』。戦死などもってのほか。生きて情報を持ち帰ること。な、簡単だろ?」
上半身を捻った泉波は目を細め、歯を見せて笑う。
生きて情報を持ち帰ること。こうした長閑な村落で妖や魔物が襲ってこない限りは簡単だろう。
だが戦場で命を落とすことよりも逃げて帰ることのほうが英雄になるより難しい。それを杏寿は嫌というほど経験してきた。
臆病で慎重なものほど調査部隊に向いている。そういう意味では杏寿は幸運だったかもしれない。
(私が生きて功績をあげるためにも朔乃介さんは必要になっちゃったな)
それから他愛もない話をして、気がつけば村長の家に到着していた。
村長は笑顔で兎を受け取り、杏寿達を迎え入れる。村長とその妻と挨拶を済ませ、用意された茶に口をつけた。
息子が三人いるらしいがそれぞれ家を持ち、そこで迎えた嫁と共に暮らしているそうだ。
「では早速」と泉波は村長との世間話を区切り、杏寿達に視線を向けた。
視線を向けられたということはそういうことなのだろう。杏寿はいただいたお茶を置き、笑顔を浮かべながら村長を向けた。
「何か村で問題は起きていませんか?」
「うぅむ…泉波君にも言っとるがうちは妖様の怒りに触れるようなうつけ者はおらんからなぁ。あるってゆーたら最近野犬が多くなったくらいや。山から降りてきた野犬を駆除をすんのはこれまでもあったけど、せやけど最近は凶暴性が増しているせいで一匹を仕留めるのも一苦労なもんでなぁ」
犬は愛玩動物として人間に飼われることも多いが所詮それは富裕層の特権でしかない。
人間に飼われる犬は躾られており、何か危害を加えない限りは躾けられた犬が噛み付いて来ることはない。甘噛みはあるが。
だが野犬は全く別の生き物だ。海外であるなら野犬と魔物に大差はない。杏寿も旅の道中で何度も襲われ、その度に応戦してきた。
村人だけで撃退できているうちは大きな問題ではないのだろうが、手に負えなくなってくると危険が増す。
日本で魔物は生息していない。土地や流れている妖力が体質に合わず、元より存在している妖に絶滅させられるから。
そうは言っても万が一の可能性もある。「野犬が魔物の可能性はありませんか?」と杏寿は首を少し傾け、あどけなく聞いてみる。
「マモノ?ほんますんまんせん、軍人様…そのマモノっつーのは何ではりましょう?犬に似た動物のことで?」
「ーーそうです。異国に生息する野犬より凶暴な生き物です。万が一としてお聞きしました」
「ははぁ、そないでしたか…。せやけど、うちらはマモノを見たことがありませんので何とも…」
訛り混じりに答えた村長は顎を触りながら首を傾げた。
日本人は魔物の存在を知らない。名前でさえ、聞き馴染みない様子だ。
妻の様子を見ても同様に疑問が表情に出ていた。
それからこれと言った話もなく、村長の家を出ることになった。
泉波はそのまま村長夫婦の夕飯に参加する事となり、杏寿と朔之介は宿に向かいながら村を散策することになった。
「うおおお疲れるううう〜」
「さすがに俺も疲れた。しかも明日から聞き込み…子供は怖がられるから苦手なんだよな」
「確かに大きいと怖がられるよね」
子供の聞き込みの時は離れたところに居てもらおう。杏寿も子供に対して好き嫌いは無いが特有の甲高い声で泣かれるのは困る。
そういえば耀も子供は扱いにくいと苦笑していた。それを聞いてできるだけ大人のような振る舞いをしようとして止められたこともあった。
(水上中尉からすれば私はガキらしいし、何とかなるか)
締めていたネクタイを緩め、送られた地図を確認する。
商店街を中心に確認していると一つ、村の端に一軒だけ家があった。周りに何か建物があるわけではない。ここにも住人が住んでいるようだ。
「朔乃介さん」
「どうかしたか」
「村の端に住んでいる人がいるみたい。明日はここから訪ねて行ったほうがいいかも」
「確かに少し遠いな。確か宿で自転車の貸し出しをしていたから、明日借りてみるか」
「え!?自転車!?」
てっきり馬でも借りるのかと思っていたが予想は外れ、出された案は自転車だった。
しかも杏寿が好きな自転車だ。日本に帰ってから何度か自転車を使って出かけることはあったが帝都は人が多すぎて自転車移動の方が不便だった。
だがここは田舎で帝都と違い、道幅も広く人も少ない。自転車が漕ぎ放題である。
「借りよう!自転車漕ぎたい!」
「わかったわかった、元気だなお前は…。俺はさっさと風呂に入って寝たい」
朔乃介はあくびを噛み殺し、宿の方へとまた歩き出した。
寝たいというのは杏寿も同感だ。朝早くに新幹線に乗り、ほとんど一日乗り物に移動というのは歩くよりも疲れる。
明日のためにもご飯を腹に収め、さっさと寝たい。
山の中で泥だらけになった靴を眺めつつ、杏寿達は宿へと向かった。




