第六話 それぞれの道
久しぶりに戻った屋敷は、以前と変わらないように見えた。けれど、私にはもう知らない場所のように感じられた。
玄関で迎えてくれたハビーバは、涙ぐみながら私を抱きしめた。
「お帰りなさい」
「ただいま。お元気でしたか?」
よく晴れて爽やかな日だったので、私たちはテラスでお茶をすることにした。
「……サキートと話してほしいの。彼は私の話を聞こうとしなくて」
向こうの様子をしばらく聞かれたあと、思い余ったようにハビーバは切り出した。
私は小さく息を吐いた。
「分かりました」
彼女と別れたあと、私はサキートの部屋へ向かった。
扉を開けると、彼は窓辺に立っていた。
「帰ってきたのか」
「はい」
「俺に会うために?」
「ハビーバ様に頼まれたからです」
サキートの表情が曇った。
「そういう言い方をするなよ」
「本当のことです」
「お前は昔から俺のことが好きだっただろ」
また、その話だった。
「昔の話です」
「だったら、どうして留学なんてした?」
「行きたかったからです」
「俺から離れたかったんだろ?」
「違います」
「じゃあ、なぜ俺を避ける?」
「避けているわけではありません」
私はサキートを見た。
「もう、お兄様に興味がないだけです」
サキートは黙った。
「……ハビーバがお前に何か言ったんだな」
「どうしてそうなるのです?」
「お前が留学してから、ハビーバはお前のことばかり気にしている」
「友人ですから」
「俺たちの結婚を壊そうとしているんだろう」
私は呆れてしまった。
「私は、そんなことを考えたこともありません」
「でも、お前は――」
「もういいわ」
後ろからハビーバの声がした。
振り返れば、ハビーバが立っていた。
「アーイシャは何もしていないわ」
「ハビーバ……」
「あなたは、どうして何もかも誰かのせいにするの?
そして、アーイシャへの、その執着は何?」
サキートが黙った。
「アーイシャは私たちが仲直りできるようにしてくれた。それだけじゃないわ。私が病気に気づかないまま過ごしていたら、きっと大変なことになっていた。アーイシャが診察を勧めてくれたから、早く治療を受けられたの」
「それは……」
「留学したのだって、ずっと前から望んでいたことだったのでしょう?」
私は頷いた。
「なのに、あなたは全部自分に結びつけるのね」
サキートは苦しそうに眉を寄せた。
「俺はただ……」
「もう疲れたわ」
ハビーバは静かに言った。
「私はあなたとは結婚しません。婚約は解消しましょう」
「待ってくれ!」
「ごめんなさい」
「ハビーバ!」
彼女は首を横に振った。
「もう無理なの」
前世ではハビーバが去ったあと、私がサキートと結婚した。だから私は彼女に対して申し訳ない気持ちを、ずっと抱いていた。
でも今生は違う。ハビーバは自分の言葉で、自分の人生を選んだ。
「アーイシャ、私はもう行きます」
「ええ」
「でも、あなたとの友情はずっと変わらないわ」
「私もです、ハビーバ。また連絡しますね」
ハビーバは荷物をまとめると、その日のうちに屋敷を出ていった。
私も翌朝、挨拶もそこそこに隣国へ戻ることにした。
サキートはもう何も話そうとしない。
「わかった」
その一言で終わった。
空はよく晴れていた。
車窓から流れる景色を眺めながら、前世のことを思い起こす。
前世、あの屋敷から追い出された時、私は何一つ持たせてもらえなかった。追い詰められて仕事さえ奪われた。食べる物もなくなり、最後は餓死した。
でも今は違う。
自分で選んだ居場所もある。着る服も食べる物もある。
帰る場所がある。
これから作っていく人生がある。
それだけで幸せだ。
私はもう屋敷を振り返らなかった。
さようなら、夫であったお兄様。
もう二度とあなたを愛することも、会うこともないでしょう。




