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第17話 かつての部下・カミーユとの再会

第17話 かつての部下・カミーユとの再会


 春は静かにやって来ていた。


 冬の雪は消え、港町の石畳の隙間から小さな草が顔を出している。


 市場には色鮮やかな野菜が並び始め、海風にもどこか柔らかな匂いが混じっていた。


 レオンハルトは商会の倉庫で帳簿を抱えていた。


 茶色のシャツ。


 袖をまくった腕。


 麻の前掛け。


 手にはインクの染みが付いている。


 かつて王冠を被っていた男とは思えない姿だった。


 しかし今ではそれが自然だった。


「レオン!」


 店主グスタフの声が飛ぶ。


「三番倉庫の在庫確認終わったか!」


「終わりました!」


「数字は合ってるな!」


「二回確認しました!」


「よし!」


 以前なら怒鳴られる側だった。


 今は違う。


 少しずつだが信用を積み上げていた。


 その時だった。


 商会の前が妙に騒がしくなる。


 馬車が止まる音。


 衛兵の足音。


 商人たちのざわめき。


 グスタフが窓を見る。


「何だ?」


 外には見事な紋章の付いた馬車が停まっていた。


 深い青色の車体。


 金の装飾。


 隣国ルクセリアの国章。


 商会中が緊張する。


「まさか……」


 グスタフの顔色が変わる。


「ルクセリアの監査局か」


 扉が開く。


 数人の補佐官が入ってくる。


 その後ろから現れた人物を見た瞬間。


 レオンハルトの呼吸が止まった。


 カミーユだった。


 黒髪をきっちりまとめ、濃紺の監査官制服を着ている。


 胸元には国家上級監査官の徽章。


 以前よりも遥かに堂々として見えた。


 王妃府で働いていた頃の若い秘書官ではない。


 一国を支える監査官だった。


 カミーユもレオンハルトに気付いた。


 一瞬だけ目が止まる。


 だが。


 それだけだった。


「ルクセリア国家監査局です」


 彼女は店主へ向き直る。


「市場調査へのご協力をお願いいたします」


 声は冷静だった。


 怒りもない。


 憎しみもない。


 ただ仕事だった。


 レオンハルトは胸が痛くなった。


 昔なら違った。


 カミーユは王妃府の部下だった。


 自分の命令で動いていた。


 今は立場が逆だった。


 午前中。


 調査は続いた。


 関税資料。


 輸送記録。


 売上帳簿。


 カミーユは次々と確認していく。


 正確だった。


 無駄がない。


 店主のグスタフですら感心している。


「噂以上だな」


 グスタフが呟く。


「ルクセリアの財政改革を支えてる連中は」


 レオンハルトは何も言えない。


 知っている。


 その中心にいるのが誰なのか。


 昼食の時間になった。


 商会の食堂。


 今日は少し豪華だった。


 鶏肉の煮込み。


 人参と玉ねぎのスープ。


 焼きたてのパン。


 春野菜のサラダ。


 監査官たちも同じ食事を取る。


 王宮のような特別扱いはない。


 皆同じだった。


 レオンハルトは端の席で静かに食べていた。


 すると。


 目の前に影が落ちる。


「隣、よろしいですか」


 カミーユだった。


 レオンハルトは慌てて立ち上がる。


「もちろんです」


「座ってください」


 二人は向かい合った。


 しばらく沈黙。


 スープの湯気だけが揺れている。


 やがてカミーユが口を開いた。


「久しぶりですね」


「……ああ」


 レオンハルトは頷く。


「立派になったな」


 カミーユは少し笑った。


「ありがとうございます」


 昔ならもっと感情的だった。


 今は違う。


 落ち着いている。


 自信がある。


 努力で掴み取った人間の顔だった。


「お前は」


 レオンハルトが言う。


「今、幸せか」


 カミーユは少し考えた。


 そして頷く。


「忙しいですが」


 微笑む。


「充実しています」


 その顔を見て、レオンハルトは胸の奥が温かくなった。


 良かったと思った。


 本当に。


 良かったと思った。


 食事が終わる頃。


 カミーユは静かに尋ねた。


「数字は正しく扱えるようになりましたか」


 レオンハルトの手が止まる。


 その質問は優しかった。


 だが同時に鋭かった。


 彼は俯く。


 目の前の木のテーブルが滲んで見えた。


「まだだ」


 声が震える。


「まだ全然だ」


 涙が一滴落ちた。


「商会一つでも苦しい」


「……」


「帳簿一冊でも苦しい」


「……」


「エレノアがやっていたことの百分の一も理解できない」


 カミーユは黙って聞いていた。


 レオンハルトは頭を下げる。


 深く。


 深く。


「まだ」


 声が掠れる。


「エレノアの足元にも及ばない」


 沈黙。


 食堂の喧騒が遠く聞こえる。


 カミーユは静かに立ち上がった。


 そして。


 一言だけ言った。


「その言葉を」


 レオンハルトは顔を上げる。


「十年前に聞きたかったです」


 それだけだった。


 責めるでもない。


 怒るでもない。


 ただ事実だった。


 レオンハルトは何も言えなかった。


 言葉が出なかった。


 十年前。


 もし言えていたら。


 もし聞いていたら。


 もし学ぼうとしていたら。


 王国は滅びなかったかもしれない。


 エレノアは去らなかったかもしれない。


 だが。


 もう終わった話だった。


 午後。


 調査団は帰っていく。


 馬車が走り出す。


 窓からカミーユが小さく会釈した。


 レオンハルトも頭を下げる。


 王としてではない。


 一人の帳簿係として。


 一人の未熟な人間として。


 春の風が吹く。


 馬車は遠ざかる。


 その背中を見送りながら、レオンハルトは静かに目を閉じた。


 かつての部下は遥か遠くへ進んでいた。


 だが不思議と嫉妬はなかった。


 誇らしかった。


 そして。


 自分もまた歩かなければならないと思った。


 遅すぎるかもしれない。


 それでも。


 数字の重さを学び続けるために。



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― 新着の感想 ―
10年は経ってなかったのか。ごめんなさい。読み取れませんでした。
卑屈にならず、かつての部下を「誇らしかった」って言えるの、すごい。 普通なら、避ける。それで当たり前。 話もして過去に対して頭を下げて。 10年、少しずつ積み上げてきたものがあったんだね。
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