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その日の晩のうちに荷物をまとめていると、同室の同級生から憐みの目を向けられた。面倒に巻き込まれて可哀そう、とでも言いたいのだろうが、同室になって六年、ルーカスが情緒的な話題に碌な返答をしてこなかったため、黙って作業を見つめるにとどまっていた。
「じゃあ、元気でな」
「ああ、そっちも」
おはようの挨拶が、別れのあいさつに続いて、二人はいつも通り、別々に朝食に向かう。昼休みになり、ルーカスだけが荷物を移動させるために寮へ戻って、ブリックナーとすれ違った。かつてルーカスが目撃したのと同じように、ミシェルはためらいなく、思い切り顔面を殴ったのだろう。ブリックなーの顔は内出血でまだらになっており、そこにガーゼがいくつか貼りつけてあった。腕を布で吊っており、荷物は友人だろう生徒が抱えている。
「向こうにもう、行っていいのか」
念のためにルーカスが確認すれば、恨めし気な目を向けられた。
「お前もそのうち、殴られればいい」
「おい、バート」
友人に諫められ、ブリックナーはルーカスの来た道を辿っていく。どういう意図が込められているかは知らないが、ルーカスならあれほどひどい状況にはならないだろう。ルーカスは攻撃の受け方も訓練されてきている。
ミシェルが通学から入寮するにあたり、新たに部屋が一つ用意された。寮の角に当たる部屋は出入り口から最も遠く、天使という価値がなければ面倒以外の何物でもないだろう。そして、ルーカスはミシェルに同級生という価値以上に何も見いだせておらず、移動距離が多少伸びた程度で文句を言う狭量さもなかった。
ドアを開けると、ルーカスが元居た部屋と変わりない光景が広がっていた。ベッドが二台。それぞれの勉強机にクローゼット。にわかに立ち尽くしたのは、どちらがミシェルの勉強机かわからなかったからだ。どちらも、机の奥に備え付けられた本棚が空だった。カーテンを引かれた右側のベッドを見やり、向かって左がルーカスのものと推測する。一度机に荷物を置き、鍵付きの引き出しに手をかけると、そちらは引っかかりもなく開き、中に鍵が置かれていた。こちらが元ブリックナーのもので合っているのだろう。念のため、隣の机も確かめてみたが、さすがにそちらは鍵がかかっていて開かなかった。
手早く教科書を並べていき、午後からの授業に必要なものだけ鞄に詰める。
着替えなどはまだ箱に入ったまま、邪魔にならない場所に置いてルーカスは午後の授業へ急いだ。
新しいシーツを敷き直し、この半年、何の手入れもされていなかっただろう机を拭き、クローゼットの中身もいっぱいにして、不要になった箱を教員に返しに行く。シャワーを浴び、日付が変わるころになってもミシェルは部屋に戻ってこなかった。
当たり前だが、授業や食堂で食事をする以外、彼がどう過ごしているのかルーカスは知らない。噂を信じるわけではないが、一晩や二晩、誰かの部屋で過ごすこともあるのかもしれず、ルーカスはベッドに身を横たえて目を閉じた。寝つきはいい。どこでもすぐに眠れるよう、それもまた訓練されていた。
部屋のドアが開いたのは、それから二時間後だろうか。忍びいるように入ってきた気配にぱっちりと目を開け、ルーカスはゆっくりと起き上がった。
ミシェルは鞄を抱きしめ、今しがた入ってきたばかりのドアノブに手をかけていた。
ルーカスははっきり醒めているはずの目を擦る。なぜ、また出ていこうとしているのだろう。
ルーカスが沈黙を保つのに耐えきれなかったらしいミシェルが、口を開いた。
「なんだよ」
夜を憚ってか、声はほとんど囁くようだった。
「同室になったから、挨拶しようと思って」
「なんで」
なんで。理由を問われると思っていなかったルーカスは再び黙り込む。相変わらず、ミシェルの片手はドアノブにあった。
「ルーカス・エーヴァルトだろ。それで、何か用」
「いや、それだけだ」
「あっそ」
ルーカスも、ミシェルと仲良くしようだとか、これを機に距離を縮めようだとかは微塵も考えておらず、社交辞令的な会話を試みようとしただけだった。用とは何かを問われれば、特に何もない。
会話を千切るわりに、ミシェルは見張るかのようにルーカスから視線を動かさず、それでいて、ドアノブに手をかけている。
襲われかける動物のようだ。何も身に覚えはないが、どうやらミシェルに警戒されているとようやく気付いて、ルーカスは黙って体を横にし、目を閉じた。
やがて、ほとんど物音をさせず、部屋を横切ったミシェルは、自身の机やクローゼットをごそごそし、手早くシャワーを浴びた後、逃げ込むようにカーテンの向こうへもぐりこんだ。
カーテンの中からこちらを見ているかもしれない、と思えば目を開けられず、ルーカスは寝返りを打つふりをしてミシェルへ背を向ける。一度ゆっくり息を吐けば、滑るように眠りへ落ちることができた。
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