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厳しい声が、食堂を渡った。
「ミシェル・アルノー! 来なさい!」
名指しされた生徒は、本来、大声を発する必要もなく、入り口に近い机の端に座っていて、食べかけていたパンを口に押し込むと、眉尻の吊り上がった教員に従って出て行った。
ソーセージを噛みちぎり、呑み込む。上級生を殴っていたのを止めたのが半年ほど前。その後、時折、体のどこかを痛がるふうな生徒とすれ違うと、その近くでさらにミシェルとすれ違うことが数度。昼食の時間に教員に連れて行かれること、これで三度目。
天使はすっかり、暴虐であると知れ渡っていたのだが、それでも、彼の拳は止められることはないようだった。
「この間は、下級生を蹴り飛ばしたんだっけ」
「……噂ではな」
現場は、常に人目に触れない場所にある。単なる喧嘩ならば、人通りの多い廊下や、それこそ食堂で起こったっていいのに、稀に起こる派手な喧嘩にミシェルが関わっている様子は微塵もなかった。
午後の授業にミシェルは姿を現さなかった。彼と同室のブリックナーも朝から見ていないことを思い出す。同じことを思った生徒は他にもいたようで、夕食の席でも周囲からその話題はちらほらと聞こえてきた。曰く、ミシェルが一方的にブリックナーを殴ったらしい。そのため、ブリックナーは朝から医務室に篭りきりであると。
女の子の取り合いになったんじゃなくて?
そんなのブリックナーが対等に張り合えるわけないじゃない、アルノー圧勝よ。
綺麗な顔してるのに、暴力でストレス解消なんて流石に怖い。
しかも同室でしょ、逃げ場ないじゃん。
男子じゃなくてよかった。
殴られるのでも触れてもらえるならいいかも。
なにそれ気持ち悪い!
だって、あんなに綺麗な顔で誰とも馴れ合わない人に、わざわざ手を出してもらえるんだぜ?
叩かれるくらいなら、ちょっといいかも。
ほら、な? だって、あんな綺麗な顔してお高くとまってるような人間、まともに相手できるわけ
「エーヴァルト、夕食は終わりましたか」
ひゅっと息を呑んだ。天井に蟠った誰かの話し声が、全て捉えどころのない喧騒に変わる。
「はい、先生」
返事をして振り向く。昼、大音声でミシェルを呼び出した教員だった。教員は明らかにまだ食べかけの夕食を見て眉を上げるが、構わずルーカスは腰を上げた。
「どうしましたか」
「ちょっと、こちらへ」
教員の先導に従い、食堂を出ていく。食堂から離れた空き教室に入り、向かい合って座った。
「代々優秀な騎士を輩出するエーヴァルト家のあなたを信用して、お願いがあります」
「はい」
「ブリックナーと部屋を交代していただきたいのです。よろしいですか」
エーヴァルト家の名を大きく出された上で、なんの依頼かと思えば。
「ブリックナーは、今日、どこにいるんですか?」
「医務室です。酷い怪我を負って、治療中です」
「それは……アルノーが、暴力を振るったからですか」
教員は目を伏せる。そして、ゆっくりとうなずいた。
「そうです。そして、アルノーに対抗できるような生徒はあなたしかいないと思っています」
ルーカスは、一度だけ見た現場を思い出す。明らかに訓練された体の動かし方。細身に見えるものの、ただ細いわけでなく、引き締められた細さだった。筋肉がつきにくいのだろう。
「私はアルノーと同室になって、どうすればよいのですか」
「なにも。なにもする必要はありません。他の同室の生徒たちのように、仲良くしなさいとも言いません。彼と話さなくても構いません。正しく、品行方正に生活してくれれば良いのです、今まで通りに」
あまりに普遍のことを口に出されるのが、逆に大事だった。
「……アルノーはなぜ、ブリックナーを殴ったのですか」
教員は再び沈黙したが、やはりやがて、口を開いて告げた。
「アルノーの寝込みを襲ったのです。アルノーはブリックナーが動けなくなるまで反撃しましたが、それは一方的なものだったと聞いています。ですが、校医を呼びにきた彼のシャツは引きちぎられた形跡がありました」
ルーカスは静かに息をついた。殴らなければ、守れないもの。ルーカスは誰かを殴らなくても当たり前に守れるもの。
ミシェルの暴力に耐えられることだけが、ルーカスの選ばれた理由ではないだろう。幼少より叩き込まれている規律、規範を期待されている。
「これ以上、アルノーに手を上げさせるわけにはいきません。頼めますか、ルーカス・エーヴァルト」
「多少、手を上げられても私は対処できます。他の友人と同じように、アルノーに接することもできます。それ以上は、私には難しいです」
「いいえ。いいえ、それで十分です。それ以上はありません。ありがとうございます、エーヴァルト」
ルーカスはうなずいた。部屋替えは翌日の昼休み中に行うこととなった。
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