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結局、従者がルーカスたちに代わって運び、ミシェルがそのベッドを使うことで決着となった。主客共に同じく礼節を失すれば、どちらも守っていることになるのではないか。
自室で寝巻きに着替えてきたミシェルが、ルーカスのベッドに座ってチェスの駒を睨んでいる。
荷を解き、屋敷と敷地を簡単に案内されると夕食の時間になった。ユルゲンは続きの使用人部屋で休んでいて、客室は二人きりだった。
「どうだ!」
「こっちが動ける」
「うそ! じゃあ次の手は……」
屋敷一番の腕前と胸を張っていたくせ、弄する策は直線的で手数もない。せめてネイサンが教えられるのではないかと思ったが、チェス盤を持ってきてそそくさと部屋を後にしたあたり、得意ではなさそうだった。何戦か繰り返しているが、手加減しないルーカスが全勝している。ミシェルは機嫌を損なうこともなく、無茶な体当たりを何度でも仕掛けては玉砕して笑っていた。光は直線に迸る。昼ならば太陽、夜ならば月を傍に戴き、ルーカスに何の不足もなかった。
冴え冴えとした金糸が不安定に揺れている。あ、と思う間にがくんと頭が落ちて、駒が押しやられた。
「ミシェル、今日はもう寝よう」
目を擦りながら、ミシェルが重そうに体を起こす。一番下の弟がときどき、母にこんな様子を見せていた。そのうち、膝の上で眠ってしまう弟を父が愛しそうに抱き上げて部屋へ下がる。
ミシェルを抱き上げることはルーカスにできなかった。ミシェルは誰に触れられることも忌避する。着替えの介添もない。身の回りの一通りは誰の手を借りずとも一人でこなしてしまう。
「まだ、ルーカスと、あそびたい……」
「明日も遊べる。明日に続きをしよう」
「そっか……あした……」
擦って赤くなった目元から、甘く蕩けた青が現れた。ルーカスを見つめ、満足したかのように息を吐いて床に足を下ろす。
おぼつかない足元を見守り、板に一枚布を引いただけのようなベッドによじ登るのを見届ける。自室から持ってきた布団と枕に埋もれて、ミシェルはもはや瞼も押し上げられないままに言った。
「朝は、はしる……?」
「さすがに滞在させてもらってる身だから控えるよ」
「ぼくも走るからさ……おきて、朝……」
朝、と言った後にも口が動いていたが、音にもならなかった。
うやむやになってしまったチェス盤を整え直し、一人で駒を動かし出す。知略を養おうと、エーヴァルト家では幼少よりボードゲームを与えられてきた。ルールだけは把握しているメイドから始まり、騎士上がりの家令たちを押しのけ、父と互角かそれ以上になってくると、ますます、祖父の異様が際立った。粘り強いかと思えば一気に畳み掛けてくる。かと思えば力づくで道を切り開くときもあり、そしていつも、相手の顔を見ている。見透かしているぞ、と言わんばかりの眼光がアードルフも父も苦手らしいが、ルーカスはその目つきを睨み返しては次の駒を動かした。そのせいか、今のところ、祖父にはよくチェスに誘われる。生憎、結果は芳しくないが。
中盤までゲームが進行して、ルーカスはそっと顔を上げた。来客用に備えたルーカスのベッドとは違い、ミシェルは本来、使用人の使うベッドに眠っている。天蓋がない。深い寝息にしばらく耳を澄ませていたが、衣擦れも抑えて床に下りると、眠る枕辺にうずくまった。
冷えた床が体温で温まっていく。柔らかい寝息が鼻先に触れて、うっとりと目を閉じた。春に匂い咲く花と、わずかにミルクを足したような甘さに夢とうつつを遊ぶ。月光に浴し、安らかに眠る頬は白く柔らかく、愛おしい。
囁くこともしない。触れることもしない。ただ、ベッドの端に顔を寄せ、思う存分見つめていられる時間は望外の喜びであった。
わさわさとみじろぎする音に目が覚めた。寝返りを打ち、背を向けてしまったミシェルの形良い頭を、秋の実りのように流れる髪を見納めて、ルーカスはベッドに戻った。
あの寮の狭い一室、カーテンの中でこんなにも美しいものが毎夜、すぐそばで眠っていた事実に鼓動が早まるのを感じながら、瞼を下ろした。
遠くから聞こえる鐘の音に目覚めを誘われ、ルーカスはゆっくりと身を起こした。ほとんど同時に、窓が押し開けられる。朝の清冽な空気が思考にまとわりつく眠気を拭い去っていった。
ミシェルは窓辺にもたれかかって、面白そうにこちらを眺めていた。日の出、空気までが青く色づいて、肌の白さを際立たせる。
「おはよ」
「おは……」
意思とは別に、体が大きく息を吸い込む。手本のようなあくびに、ミシェルが肩を揺らした。
「ルーカスってあくびするんだ」
「人間だからな」
耳が熱い。あまりに無防備な姿を晒してしまって、バツが悪かった。
「走るんじゃなくて、散歩にしよっか。気持ちいいよ」
「助かる」
「お水持ってくる。今の時間、メイドはまだいないから」
軽やかに客室を出ていく。ミシェルのいない間にルーカスは着替え、隣室へつながるドアをそっとノックした。ユルゲンはすでに着替えていたが、珍しく寝癖が残っていた。視線に気づいて撫で付けてみても、すぐ元に戻る。
「散歩に行くんだが、来るか?」
「ええ、ぜひ」
言う間も、跳ね上がった毛束を気にしている。祖父に見つかれば叱られるだろうが、アルノー家はおおらかなようなので、あまり気にしなくてもいいのでは。そんなことを話していると、ノックもなしにドアが開いて、ワゴンが運び込まれた。水差しと洗面器が二つずつ。ユルゲンが再び顔を引き攣らせた。押して入ってきたのがミシェルだったからだ。
「あ、ユルゲンさんもおはよう。お水どうぞ」
「え、ええ……ありがとうございます」
「よかったな、寝癖が直せる」
長く騎士団に勤めていたのだ、気分は上官に雑用をさせている気分だろう。しかし、全くの好意を受け取らないわけにもいかず、下手な笑みのまま洗面器と水差しを持って隣室に戻った。
ルーカスが顔を洗い終わるとすかさず、小姓のようにタオルを差し出す。ミシェルは終始、楽しそうだった。
「うち、メイドは通いだけなんだ。男は余るけど、女は余らなくて。でも、新しく土地をあげられるわけでもないし、こういう土地柄だから、行儀作法ができても何の役にも立たないってあんまり人気ないんだよ。そんなことより、毛を上手く刈れる方が大事」
くつろげていた胸元を閉じ、軽く櫛を通す。恐縮して、肩を窄めたユルゲンが水面を揺らしながら洗面器を持って戻ってきて、ワゴンに置いた。寝癖は直っていた。
「昼からは羊を見に行こう」
あとは片付けてくれるから、とワゴンを置き去りにし、厨房にミシェルが一言告げてから三人は屋敷を出た。ネイサンは火を起こしていた。
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