14
「お祖父様」
早朝の一仕事を終え、私室で一休みする祖父をルーカスは訪ねた。常日頃開け放たれたままのドアをノックすると、第一声は衝立の向こうから返った。
「どうした、ルーカス」
「相談事がありまして」
「ふむ」
介添もなく、一人出てきた祖父は刺繍の入ったジャケットを纏っていた。
エーヴァルト家の中で初めて、騎士の功績により叙勲された祖父、オーランドは、引退後、体が動くうちは動かねばならないと言って、ここからそう遠くない場所の荒地を買い、農夫をしている。死後は直接の管理を任せている一家に譲ることを約束しており、その契約書にはオーランド本人だけでなく、父もルーカスもサインしていた。
そういった調子なので、屋敷内でも常に下働きと見間違うような格好をしているのだが、この様子を見ると来客があるらしい。
「なんだ、言ってみろ」
「二週間ほど、休暇をもらえないでしょうか」
滅多にないルーカスからの要望にオーランドは目を瞠り、応接用のソファへ座るよう促した。祖父が腰を下ろすのを待って、ルーカスも座る。
物心ついたときから騎士となるべく教育されてきた。剣を初めて握った年齢さえ覚えておらず、一番古い記憶は一般兵卒が身につける鎧の山の陰に隠れようとするところだった。
「珍しいこともあるもんだ。何をするんだ?」
「友人宅に招かれているんです。あちらに一週間ほど滞在してよいと。片道三日はかかるので、全部で二週間程度、不在にするお許しを、」
「女か?」
「違います」
「つまらん」
「お祖父様」
平民から、派手な功績で爵位を得たオーランドは度々こうして、あけすけなことを言って貴族たちを困らせた。
「構わんが、クラウスにも伝えておけよ」
騎士として休暇を得られるなら、次は貴族社会としての塩梅だった。
「問題ないとは思います。アルノー家をご存知ですか」
「アルノー?」
祖父は首を傾げ、やがて、ぽつりとつぶやいた。
「ああ、あの天使みたいな」
貴族的な社交をほとんど息子、つまりルーカスの父に任せておいて、本人は飾りを自負している。次男以下が騎士団に所属しているならともかく、文官となると接点がない。まして、アルノー家は牧畜を主にしているから、オーランドの視野にも入っていないと覚悟していたが。
それほどまでに、ミシェルの容貌は凄まじい。
「男のほうが好みか? 俺ぁ構わんぞ」
「友人です。アルノーが今年から寮に入った関係で、仲良くなって」
言うと、祖父がすぐさま顔を歪めたのは意外だった。中途半端な時期の入寮より、男社会に白皙の少年を放り込むとどうなるのか想像に難くないといった顔だった。
「助けてやったのか」
「……助けもしましたが、たいてい本人が相手を殴るので」
「は?」
言うか迷った末に口に出すと、オーランドはきょとんとして一拍おき、豪快に笑った。心底愉快そうに笑って、そして、腰を上げてルーカスの肩を叩く。
「腕っぷしのある男か、そりゃあいい。楽しんでこい」
「ありがとうございます」
「騎士団長が来る。挨拶くらい顔を出しておくといい」
「では、着替えてきます」
退出してすぐ、弟の一人がルーカスを待ち受けるように立っていた。
「あいつの家へ行くのですか」
不快そうに顔を顰めている。
「アードルフ。お前も行きたいのか」
ますます不快を強め、もはや長兄を睨んで首を横に振った。
「あの人といるようになってから、あなたは少しおかしくなった」
「そうか」
「お認めになるのですか」
「人は時と共に変わりゆくものだ。それだけの話だろう」
「あなたが自分の役割を差し置いて、優先することなど今まで一度もなかったではないですか!」
アードルフはルーカスより三歳下であり、寮は異なる。学校で会うことはほとんどないのだが、さすがに食堂でのあの騒ぎは知っているだろうと思っていた。この口ぶりでは、ミシェルと同室になってから起きたことも耳に入っているのだろう。
だからといって、何も変わらない。
「それが、お前にとって何か関わりがあるのか、アードルフ」
まだ幼さを残す細い喉が、不自然に痙攣するのがわかった。
やがて、いいえ、と小さく呟く。
用はそれだけかと問えばうなずくので、ルーカスは自室へ向かって歩き出した。
「天使じゃなくて、悪魔だろう」
弟の言葉は聞き逃してやった。
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