8-9 親方
その朝、新宿から少し離れた、とあるコンビニの駐車場に10人ほどの男たちが集まっていた。
先週、新宿の飲み屋で林広志から工事現場の話を聞き、そこにいた連中が働きたいという事で親方に相談したところ、今日から新たな現場に移動する事もあり、ここに集まってもらった。
「親方、これがこの前話した、ここで働きたいっていう俺の友達です」
「おう分かった。 それじゃお前たちよろしく頼むな。
現場は厳しいけど、そんなひょろっとした連中で、大丈夫か?」
このところ、碌に食事をしていなかった若者たちに覇気が無かった。
「親方、俺だって何とかなったので、こいつらだったらきっと大丈夫と思います。 俺が保証しますよ」
「おう、名人がそれほど言うのだったら期待できるかな。 よし、じゃあこれから現場に入るけど、お前らは初めての仕事だから、あらかじめこれを飲んでおけ」
親方はそう言うと、1錠の紫色の丸薬と500mlのペットボトルをそれぞれに渡した。
何故にこの色? 紫色は何となく毒っぽく見えるし、薬としてはちょっと避けたい色合いである。
「これが例のやばいやつか」
「紫芋だと思ってさっさと飲み込んでしまえ!
そして、それを飲んだら、渡したペットボトルの水を飲み干せ。
富士山から湧き出た天然水だからうまいぞ。
飲んだら、空きボトルはコンビニのゴミ箱に入れて、その新しい水を一本持って行け!
これから現場まで歩いて行くから、俺のあとについて来い」
「何の味もしないな、この薬」
「そうだな。 特に何も感じないな」
この時、薬は胃の中でカプセルが溶かされ、飲んだ水の水分を吸って徐々に膨らみ始めているのであったが、しばらくは気が付かないような静かな変化であった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
今日の仕事は、柄の先端に鋭く尖がった金属が付いた鶴嘴を使った土木作業である。
新たな道路のアスファルトを鶴嘴で割って舗装を剥がし、それをシャベルで掬いあげ、廃棄コンテナに捨てる、それだけの作業である。
重機やハンマードリルは使えないので、アスファルト除去は手作業で行う事になる。
剥がしたアスファルトの下の地面を、鍬で耕す作業もあるが、それは俺達の仕事では無かった。
広志は現場に着くと、親方の指示を待たずに早速鶴嘴を握り、まだどこも掘られていない路面のアスファルトに向かって尖った鶴嘴を何度か入れ始めた。
すでに何度も行ってきた作業であり、特に細かな指示を聞く前から作業を始めていた。
そして幾つか開けた奥の穴に鶴嘴を差し込み、テコの作用を利用して柄をグイッと押し込むと、開けた他の穴に沿ってアスファルトには手前に向けてペリペリペリときれいな割れ目が入った。
さらに鶴嘴の柄をひっかけて、今度はそれを手前に引っ張ると、何十kgもあるその塊がガバッと割れて倒れてきた。
親方はそれを横目で見ながら、
「じゃあ、今日はこの道路のアスファルトを全部剥がすから、初めてのお前らはそこの道具を持て。
あ、その鶴嘴じゃない。 それはまだお前らには無理だ。 お前らはそのシャベルの方だ。
広志が鶴嘴で割って起こしたアスファルトを、お前らはシャベルに乗せて、あそこにあるコンテナまで運んで捨ててくるんだ」
親方は、そこそこ離れた50mほど先に置かれている四角いコンテナを指さして指示する。
「ではこの現場は、ここから1kmほどの路面を剥がすからな。
廃棄用のコンテナは100m起きに置かれているから、近いところに運んで捨ててくれ」
「え! この人数で、ここを1kmも掘るのですか?
そして、あんな遠いところまで運ぶのですか!?
親方、俺だって力ありますから、俺は鶴嘴のほうがいいな!」
「馬鹿野郎! そうか、それだけ言うなら、ちょっとやって見な」
広志の作業を見ていて、あいつが出来ているのできっと簡単だろうと思った広志の悪友の耕次は監督に文句を言っていた。
「じゃあ、サクッとやっちゃいますね」
簡単と思われたその作業であるが、いざやってみると広志がやっていたような見た目とは全く異なり、ほとんどそれはうまくいかなかった。
そもそも簡単に鶴嘴だけでアスファルトに穴は開かない。
何度も鶴嘴で叩くが、叩くたびに位置がずれ、そこには簡単に1つの穴すら開かず、何度かのうちにようやくできた穴に、鶴嘴の先を突っ込んでアスファルトをひっくり返そうとしても、まったくびくともしない。
「すみません。 ダメなようです……」
「大馬鹿野郎! 口ばかりなやつだな。
アスファルト割があれだけ上手い奴は、他の現場でもなかなかいないぞ!
どうもアスファルトにも弱い部分や割れる筋があり、その目を読んでいるらしいが、それは俺もさっぱり判らん。
でも、実際あの調子だから、奴が言うように確かに何かあるのだろうと思っている。
何しろ奴は名人、鶴嘴マスターと呼ばれているくらいだからな。
今日は名人が1人でアスファルトを割ってくれるから、慣れていないお前たちは名人に割っていただいたアスファルトを、そのシャベルで運ぶのが一番効率がいいんだ。 わかったか!」
この名人が使っている鶴嘴は、もちろん普通の道具ではない。
鶴嘴に限らず、シャベルも摩導具であり、正しい使い方を行えば広志が使っているように普通の道具ではできないような大きな効果が得られる。
理解せずに道具を使おうとしても、道具が本来持つ性能を生かすことはできない。
また、シャベルも摩導具であり、割ったアスファルトをシャベルに吸着し、途中で落とすことなく、また引力を抑えて持ち上げられるので、軽い力だけで運ぶことができる。
なので、割ったアスファルトはなるべく大きな塊のほうが一度にたくさん運べて効率が良く、また大きく割り出すことができる広志がいることでこの現場は全体が効率よく作業ができている。
広志はもともとパズルが好きであり、ものすごい集中力で、どこに鶴嘴を入れると大きな形で割れそうだということを常に考えながら、アスファルトを黙々と割っていた。
それからは、支給された水を時々飲み、特に食事や一斉に休憩するような時間もなく、ひたすら夕方までその作業が繰り返された。
朝から始めた仕事であるが、皆黙々と力仕事をしている。
途中から胃の中で膨れ始めた薬により満腹感は出ているが、血糖値が上昇するわけではないので、たとえ満腹であっても特に眠くなるようなことは無かった。
慣れない肉体労働で、腰や筋肉が悲鳴を上がるかと思ったが、時折飲む水だけでお腹いっぱいの幸せな気分のまま、気が付くと夕方までの作業が終わる時間となっていた。
「おい! 今日の作業はここまでとする。 では、道具を持って戻るぞ」
親方の呼び声で、それまで皆が黙々と作業を続けていたが、『はっ』とする新人作業員たち。
「あれ? もうそんな時間か」
「ここどこだ? 何か知らない風景だぞ!」
「ほんとだ。 これ全部俺たちがやったのか?」
後ろを振り返ると、確かに1km掘り返すと予定をしていた道路であるが、作業はその目標をかなり過ぎているようであった。
「親方。 アスファルトを捨てたコンテナは、あのままでいいのですか?」
「あれは、俺たちの仕事じゃないからな。 さあ、帰るぞ」
周りが暗くなり、周辺から人がいなくなると、捨てたアスファルトを満載した摩導コンテナはふわりと浮き上がり、どこかに移動を開始した。
移動中に、アスファルトの塊は舗装材料に分解され、到着した資材置き場に材料として再充填されることになっていた。
そして空になったコンテナは新たな現場へと移動していった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
現場作業を終えて、皆で朝いたコンビニの駐車場にぞろぞろと戻ってくると、
「では今日の分のポイントクーポンを配るからここに並べ。
皆喜べ! 今日は、思ったより作業が捗ったので、ボーナスとして10ポイントの特別加算で、60ポイントの支給だ」
親方からポイントという物が配られるようであるが、そう言えば やばい薬への興味から来てしまったが、働いた後に何が貰えるのかまでを誰も広志に聞いていなかった。
普通だったら大事な給金ではあるが、今はお金なんかを貰っても、それを使える場所などどこにもないから、それほど気にしていなかったが、何か紙のクーポン券みたいなものが配られている。
「お前たちは、初めてだったな。
ポイントクーポン券は1ポイント券が10枚付いているから、1枚で10ポイント分だ。
いつもは5枚支給だけど、今日は60ポイントなので、6枚もらえるぞ」
皆訳が分からず、6枚のポイントクーポンを受け取っていた。
「じゃあ、店内に入るけど、特に新人、騒ぐんじゃないぞ! わかったな!」
そう言うと、親方はシャッターが閉まったコンビニ店舗の裏口にある従業員口に向かった。
「外で服の土を落とし、そこで手を洗って中に入ってくれ」
なんと、コンビニ店舗の外壁に付けられた水道蛇口からは水が出た。
久しぶりに文明的な水を見た気がした。
「あの、この水って飲める水ですか?」
「ああ、だけど飲みすぎるなよ。 薬で腹が膨れるぜ」
手を洗った後、裏口から店内に入ると、既に夕闇となってしまった時間であるのに、その店内は明るかった。
シャッターが閉まっていたので表からは判らなかったが、電気が無いのに明るい店内であったのだ。
シャッターの閉まったコンビニの中には、まるで以前のように沢山の商品が棚に並んでいた。
食べ物や飲み物、なんと賞味期限切れでない弁当まで並んでいる。
そして、棚の前には商品ごとに1ポイントとか、2ポイントって書かれていた。
「なんだ、ここは!」
「俺は夢を見ているのか? おいこの缶ビール、冷たいぜ!」
「おい、こっちにはアイスまで売っているぜ!」
「か、か、かつ丼弁当だ! あああ、しまった! さっき水飲んじゃった! ああ、またお腹がいっぱいになってきた」
「はははは、お前達は、今日が初日だったな。
そうだな、薬飲んでる間は弁当買っても食えないからな。
何時でも食えるように、日持ちするカップラーメンでも買う事だ」
「あの、先輩。 さっきもらったクーポンって、今日中に全部使わないといけないのですか?」
既に買い物を始めていた現場の先輩の人に少し聞いてみた。
「この現場が開いているうちは、このクーポンは使えるようだけど、いつまでこの現場が有るかについては俺は知らない。
でも、この現場は今日始まったばかりなので、まだここでの仕事は続きそうだから、しばらくは大丈夫じゃないかな?」
そんな話していると、コンビニの制服を着た人が現れた。
「あれ! 親方。 コンビニの制服なんか着ちゃって、どうされたんですか?」
「ははは、コンビニ経営こそが俺の本業さ。 ここは俺の店さ」
「あっ! そう言えば以前この店に何回か買い物に来た事あるけど、店長だ!
以前より体格が良くなった気がするが、この人、この店の店長だ!」
「店長? あの、この店ってどうなっているのですか?」
「あまり俺に詳しいことは聞かないでくれ。 守秘義務ってやつよ。
大手さんと違って、小さな規模のコンビニチェーンだと潰れるしかないかと思ってたけどな。
大きな借金して加盟した自分の店が無くなると思っていたが、危うく路頭に迷う寸前で助けがやって来たのさ。
さっき、お前が話していた、現場で配っているクーポンの話だが、それはこのコンビニを助けてくれている人から渡されている物だ。
以前他の現場にもいってた奴が持っていたクーポンも、この店のレジのスキャナでも受け付けたので、このクーポンを採用しているコンビニだったら、うちじゃなくとも使えるのじゃないかな?
いくつかの現場があって、ここと同じクーポンを配っているらしいが、俺はこの店舗と現場しか行く時間がないから、行ったことが無い他の店の事までは詳しく知らないがな」
「じゃあこのクーポンを持っていけば、ここと同じチェーンのコンビニであれば使えるのですか?」
「うーん、それは無理じゃないかな。
必ずしもこのコンビニチェーンで使える訳ではなさそうだし、それは解らないな。
ここだって、そもそも店長である俺も一緒に監督として現場に行っているから、日中はアルバイトに任せているしな。
俺がいない時間に、アルバイトスタッフにより店内清掃や、新しい商品が棚に補充されているから、お前らが現場から戻って来た時にはたっぷり買い物ができるってわけだよ。
ただ薬飲んでいるお前らに食料は必要ないが、家族や彼女が待っている連中には、お弁当は好評のようだな」
「店長。 どうしてこんな便利な店の事をもっと公表しないのですか?」
「いや、そのポイントクーポンって言うのは、現場の作業の報酬として配られてくるのさ。
配れるクーポンの数が決まっているところに、多くの人が集まってきた場合、1人に配れるクーポンが減ってしまうだろ。
今日はお前らが加わる事が事前にわかっていたので、あらかじめ作業量申請を増やしておいたので、クーポンが多めにもらえ、配れる枚数が増えたのさ。
現場の作業量と、働いている人数とは結構微妙な関係なわけよ。
見てもらって判るように、この店には人に話せないことがいろいろ多く、もし世間にばれたら、その時点で閉店は覚悟しているよ。
まあ、お前らのように、経験者からの紹介により集めた人材であれば、確かだから歓迎なんだがね」
「そうだったんですね。
ここが閉店されては困りますから、僕らも店の秘密は守ります。
ありがとうございます。 そして、これからも工事の方はよろしくお願いします」
「おーい、店長。 サボっていないで、レジ頼むな!」
「ちょっと待っていてくれ。 あ、お前らもこれからもよろしくな!」
「あービックリした。 1日一緒にいて気が付かなかったけど、親方って俺の知っている人だったのか。
でも、今ではコンビニ店長よりも、現場監督の親方の方がすっかり板についているな。
飯も食わずに、休み時間も無しで一日中作業って、いったいどんなブラック現場かと思っていたが、なかなか良い仕事を紹介してくれてありがとうな、広志」
「なに、お前らを雇うのを決めたのは、あの親方さ。
ところで、俺はまだお腹は一杯だけど、酒とつまみを買って店に持って行こうぜ!
腹すかせた奴もきっと来ていそうだから、せっかくだから弁当も買っていってやるか!」
「ああ、それいいな。 今日は俺達の就職祝いだな!」
どこにでもある小さなコンビニ店舗に、こんな秘密基地のような仕掛けがなされていたなどとは、閉められたシャッターの外からでは誰も気が付いていなかった。
そして現場で働く彼らは、ほとんど食事を必要としていないので、彼らが得たポイントを使って手に入った食料は、周りの人の胃袋を満たすことになっていた。
こうして、秘密のコンビニの恩恵を受ける人は増えて行った。
ところで、広志たちが行っているこの道路を畑に改良する土地改良の土木作業については、不思議な事に日比谷会議では全く認識されていなかった。
あの作業が日比谷会議からの指示でないとすれば、あの土木工事は誰の発注で行われ、誰が指示をし、そしてその費用は誰が支払っているのであろうか?
ただ、少なくともそれに従事している人たちは、全員ご飯が食べられているようである。
やはり謎の作業であった。




