8-7 やばい薬
「おう、最近顔を見せなかったけど、どこかに行ってたのか?」
「うん、10日ほど ちょっと働きに行ってた。 前いた会社が潰れてしまったからな」
「こんな時に雇ってくれる店なんてあるのか?」
「いや、店じゃなくって、ちょっと肉体労働さ」
ここ新宿フラワー街は、小さなバーや飲食店など新宿の中でもかなり怪しげな店が集まった場所であり、彼らは大失電前にそこで働いていた店員や、店の常連客達だった。
大失電から何日かは、柱にランタンをぶらさげて、ちょっと薄暗い店内で、生ぬるいビールに缶詰と乾き物を出していた。
しかし、世の中でお金が使えなくなってしまい、酒や肴の仕入れもできずに店の営業が出来なくなってしまっていた。
マスターも最近は店に顔を出さず、営業はしていないものの、やる事が無くなり、行く場所もない連中が店に顔を出していた。
中には、残り少なくなってはいるが自分の食料を持ってきてくれる奴もいた。
「ところで聞いたか? なにか、この界隈でやばい薬が出回っているらしいぞ?」
「ああ、あれだろ。 1回やれば、1週間楽しく暮らせるってやつだろ? でもあれって、単なる噂だろ」
「いやいや、そんなことないらしいぜ。
俺が聞いたのは、1週間ぶっ続けでもやれるって聞いたけどな」
「何だそれは? 俺が知らないうちに、何か変な薬がこの辺に出回っているのか?」
「俺が聞いたのは、なんでもその薬を飲むと、飲まず食わずぶっ続けで1週間働き続けられるくらい元気になるって聞いたぞ」
「何だそりゃ?」
「ん? 俺は今日も工事現場で働いていたが、その現場で何かよく知らんが薬を貰って、それ飲んでからは…… そうだな、水は飲んでいたが、今日まで飯は食わなくっても平気だったぞ」
隣から聞こえてきた噂話にちょっと反応したのは、今店に来たばかりの林 広志。
その広志と話しているのは、悪友である野口 耕次。
大失電前から、時々二人はこの店で朝まで飲んでいた常連である。
「おい広志、そう言えばお前どこで働いていたんだ? だったら、噂の薬ってお前が飲んだというその薬の事じゃないか? ちょっと詳しく教えろよ」
「いや、だから俺は薬を飲んで猿のようにやり続けていたわけじゃないぞ。
水を飲んでいれば、確かに幸せ感はあったが、決して薬でラリッていたわけじゃなからな!」
「お前、その薬飲んでから、本当に飯を食っていないのか?」
「ああ、先日2回目の薬を飲んだから、すでに10日くらいは特に何にも食っていないけど、うーん、腹は全く減っていないな。
いや、それよりも肉をたっぷり食った翌日のように、今も力が漲っている感じだな」
「確かに、日焼けしているせいか、顔艶は悪くないようだが、飯を食わないで生きていられるって、違った意味でそれってやばい薬じゃないのか?」
「そうかな? あ、だけど1週間に1錠しかもらえないから、そこで仕事を一度始めてしまうと、辞める事が出来そうにない、やっぱりあれってやばい薬なのかもしれないな」
「でも、工事現場って、今こんな時代に工事なんかどこかでやっているのか?」
「ああ、土地を整地して、どうも畑か何かにするそうだ。
俺は毎日鶴嘴を握って、舗装された道路のアスファルトを割っているぜ。
俺の現場以外にも、住宅を解体している奴らもいるらしいが、多分あちらは建築の経験がないと、無理なようだな。
俺の現場の近くでも何軒かの家の解体をやっているが、あれは家をブチ壊すというより、バラバラの部材に綺麗に分解しているようだな。
なので解体にも建築の知識がいるらしいから、いきなり素人じゃできないらしい。
俺の現場でも、夜明けから夕方までほとんど休憩なしに、飯も食わずに一日中働いているから、そんな楽な現場じゃないぜ」
「そうか。 でもお前、以前まではずっとIT系のデスクワークだったよな?
キーボードとマウス以外に、鶴嘴なんか使うことが出来るのか?
よく、そんなブラックな環境で体がもつな」
「そう言えばそうだな。 やっぱり、あの薬のおかげかな?
ずっと仕事をしているのが、ほとんど疲れていないし、筋肉痛もないしも、腕や手も、どこも痛くないな。
いやそう言えば、すこし筋肉も付いて来たかな」
そう言って広志は、シャツに隠れた上腕二頭筋を触ってみていた。
「なあ、広志ちょっといいか。
その現場っていうの、俺にも紹介してくれないか?
そろそろ食う物が無くなってきたので、生活がかなりやばいんだ。
どうすれば、そこで働けるんだ?」
「うーん、そうだな。
紹介はしてやるが、使ってくれるかは俺じゃ判らないぞ。
言ったように、現場は朝は早いし、作業は甘くないぞ。
あ、でも上がり時間は日が暮れる前の夕方なので、こうやって夜の時間はあるな。
それと、アレは変な薬かもしれないから、それを飲んだ後でどうなっても俺は知らないからな」
「でも、お前はそれ飲んでいて、どこも変った所はないんだろ?
だったら、お願いするよ。 で、どうすればいいんだ?」
「だったら、明日にでも親方に一度頼んでみるから、明日の夜もう一度この店に来てくれ。
良い結果になるといいけどな」
「おい、紹介するのはそいつだけかよ。 俺も行くぜ」
俺達の話を隣で聞き耳を立てて聞いていた何人かは、俺も、俺もと、お願いされる事になり、若者たちはやばい薬の元に集まって行った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
しばらく経済活動が停止していたが、民間でも動きが出始めていた。
ここは、川岸にある建築現場であり、そこにはいくつもの平屋建ての小さな倉庫が建設されていた。
ここでは、これまで食料を保存して来た冷蔵倉庫に代わり、川の水で建物を冷やす倉庫が作られていた。
この工事の発注者は、保有してきた食品を少しでも長く保てるように、近くの川から水を引き込み、屋根や壁に散水する簡単な仕組みで、水の気化熱を使って倉庫を冷やそうとしていた。
ここの建設費用は、倉庫にあった食料品在庫の一部を渡すことで支払っている。
手に入りにくい食料が貰えるため、建築に手慣れたベテランが集まって来て、人力に頼る現場であったが予定より早く完成していった。
しかし、川の水が使えない町の中では、少しでも倉庫内の温度を下げるために、断熱材による開閉する外壁を追加し、夜間気温が下がった際には冷たい外気を取り込み、気温が上がる昼間は断熱材で密閉できる倉庫に改造されていった。
また、夜になると何人もの人がその食料が収納されたその倉庫を取り囲み始めていたが、倉庫を襲う犯罪集団ではない。
この人達により、倉庫の外で大きなファンを回して、一晩かけて夜間の冷気を倉庫の中に十分に取り込む、人力での送風作業が行われていた。
最初は送風や水の気化熱で冷やす単純な作業であったが、やがてそれは少しずつ変わって行った。
そこの広場では、使われなくなった空のプロパンガスのボンベが、大量に集められていた。
そして、ガスボンベには空気ポンプにより人力で空気が詰められていった。
ここの空気ポンプは、2人が両側から手押しするシーソー構造の手動ポンプが用いられていた。
仕組みが簡単で、連続して作業ができるが、残念ながらガスを液体に替えるほど強い圧縮は出来ない。
しかし1本のボンベの圧縮量は少なくとも、それを補うために沢山のボンベを準備する事で、沢山の空気を詰め込んでいった。
ポンプの強い力で空気を詰めると、ボンベの中で断熱圧縮が発生し、ボンベの表面はかなりの高温になる。
熱いボンベを広場でしばらく放置して自然冷却し、常温にまで熱が下がったボンベは倉庫へと運ばれていた。
その広場の周りにはボンベから出た熱気で、『ムワン』とした空気が漂っていた。
倉庫内に運び込まれたボンベには、放熱フィンが周りに巻き付けられ、ボンベ内の空気はその放熱器に向けて排気される。
バルブを開けてボンベに圧縮された空気が解放されるとすると、断熱膨張により今度はボンベと放熱器の温度が一気に下がる。
ボンベから噴出する空気は放熱器で冷やされ、順にボンベを開いて行く事で、倉庫の温度をかなり下げることが出来た。
この方式では圧縮現場とその利用する倉庫を分ける事ができ、ボンベの圧縮空気の注入作業は1日中行う事ができ、広場ではポンプ要員として何人もの人が雇われる事になった。
この空気ポンプ方式が作られてからしばらくすると、それまで川の水の気化熱を使っていた川岸の倉庫は、今度は川の水で回す水車の力を使い、新たな空気圧縮方法が用いられることになっていった。
また圧縮したボンベの冷却にも川の水は用いられ、効率よくボンベの準備が行われていった。
コンプレッサーにフロンやアンモニアを冷却触媒とする装置の検討もされていたのだが、たとえ知識は残っていても大型のコンプレッサーを作る製造装置がなく、すぐに対応する事は難しかった。
圧縮した空気を詰めたボンベは、川から離れた倉庫に運ばれて使われるようになり、川の周辺は冷蔵倉庫ではなく、圧縮空気ボンベの生産基地へと変わって行った。
各地に同様な冷蔵倉庫が作られはじめ、食料や秋の農作物の保存準備が進んでいった。
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政治を取り戻すために、最初は市町村の地方政治から活動が戻りはじめ、次に範囲が広がり県議会、そして日本全体の国会議員が活動を始める事になって行った。
市町村の復旧が早かったかというと、市とはいえ中には広い面積を持った自治体もあり、例えば岐阜県の高山市の面積は2177㎢あり、これは東京都全体の面積2194㎢とほぼ同じ面積である。
以前であれば自動車で1時間もあれば参加できていた議会も、多くの議員たちにとって1日がかりの厳しい道のりとなっていた。
今唯一と言える連絡網は、日比谷会議から発生した、自転車を使った銀輪隊である。
そして、各地の役所の前に設置された『高札場』には、銀輪隊が人力で届けくれた日比谷会議の情報が張り出され、一般の人の目にも中央からの情報がようやく届く事になった。
銀輪隊により東京からの情報は、まず各県庁に伝わり、そして県内の各市町村に伝えられる事となり、そして地元で待機していた国会議員へもようやく届いた。
そして国政を決めるはずの臨時国会が人数が足りずに開催できていない事が分かり、議会の定員割れは自分たち議員が原因である事を知ると、なんとしても東京へ戻る必要であることが伝わった
このような状況となっているのにもかかわらず、残った議員だけでなぜ臨時国会が開けないのかと憤っても、最悪の状況が想定されていない法律を作ってきた国会議員の責任であった。
そして、多くの地方出身の議員は自分の選挙区を見回り被害状況を確認すると、その報告を持って東京への移動を開始した。
年配の国会議員は、屈強な警備員が漕ぐ自転車の後ろの荷台に座り、いざ東京へと走り続ける事になって行った。
総理以外の大臣達もようやく東京に戻ることができ、大失電発生から3週間ほどの間に議員の半数はなんとか東京にまで到着できたが、場所によっては更に日数を要するものと思われた。
定員割れで開けなかった臨時国会も、ようやく必要な最低人数に達し、遅まきながら国政が動き始めるのであった。
高札場での告知は、復興に向けた改革がいよいよ始まることを知らせていた。
高札場に掲示された内容には、現況の情報の他に、復興に向けた計画や政策が含まれており、その中には、強制的な用地改革が行われる内容が含まれていた。
それによると、今後所有者が不在となっている空き家には、確認の為に黄色い札が貼られる。
そして、2週間後までに、貼られた黄色い札をはがされなかった場合、そこは所有者の不在物件とみなされ、その上から次に赤い札が重ねて貼られる。
赤い札が貼られてから1週間が経過しても、赤い札が貼られた物件は、復興の名のもとに土地と家屋は無償譲渡がなされたものと解釈され、家屋は解体されるという内容であった。
また、路上放置となっていた自動車の撤去までの待機期間は短く、最初に赤い札が貼られ、その1週間後までに赤い札を剥がされなかった場合、その自動車は所有権が放棄されていると見なされ、同様に無償譲渡されたという事であった。
は、その後に撤去され解体に廻される事になった。
いつまでも放置されてきた路上の自動車であるが、赤い札が張られ前にあわてて移動されたり、赤い札と共にドナドナされ、新たな復興への資材として活用されていく事になった。
この施策は個人の財産権の没収であり、痛みを伴うかなり思い切った政策であったが、このまま野ざらし状態で時間が経つと、使える素材も朽ちて失われる事になる為に、人々はそれを受け入れるしかなかった。
日本において、所有権が無い土地という物はほとんどないのだが、それをいちいち確認していると復興などは出来ない。
復興が遅れる事は、それだけ生命が奪われる事となる為、待ったなしで対応せざるを得なかった。
解体を計画された土地には、新たな農地とする区画と、用水を開削するための土地、そして採れた農産物を運ぶための新たな道路の敷設などが計画されている。
しかし、土地の再編を計画する上で問題が発生していた。
農産物を運びこもうと考えていた人口密集地の街からは、すでに多くの住民が疎開しており、そこは既に過疎地帯となっていたのだ。
どこに大きな畑を設け、どこから労働力を持ってきて、出来た農産物をどこに向けて送り出すのか、住民などの状況が日々大きく変化している為、その計画は大いに難航した。
住民の動態調査が行えない以上、何度も何度も計画は練り直されることになってしまっていた。
さらに世の中が動き始めたという事は、それがすべてが良い面だけというわけではなかった。
この混乱した世の中を好機ととらえ、それを自分のために利用しようとする、よからぬ事を考える連中も同時に活動を始めることになっていくのであった。
まあ、そう言った人間にとって、この混乱の時期はチャンスと言えるのかもしれない。
作者からのお願い:
このたびは、本小説をお読みいただきありがとうございます。
ご紹介する方法がない中で、この作品を見つけて頂いた事を大変感謝しております。
これまでSFジャンルで公開してきましたが、本章以降は内容が摩導具中心にシフトしますのでジャンルをローファンタジーに変更します。
悲しいことに、本小説のブックマークと、評価ポイントの★がとても少なく、かなり凹んでいます。
少しでも多くの方にお読みいただきたいので、何卒お願い申し上げます。




