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8-6 遥かなる彼方

 日比谷会議で先日より検討に入った蒸気機関車による交通網は、新たな車両基地の準備に時間がかかっており、計画は大きく遅れていた。

 やはり、建設資材の入手が難しく、重機が使えない中、新たに施設を建てると言う事はかなりの時間を要するようだ。


 それと新幹線の軌道を生かせないかと言う件であるが、大型の機械が作れないために、そちらについては今ある工作機械でも簡単に製造が出来そうな『軌道自転車』という自転車について実験が行われようとしていた。

 これは、新幹線軌道を利用し、その上を疾走する銀輪隊である。

 

 実験用の軌道自転車では、左右3台ずつ配置された6台の自転車が鉄道用の線路に乗せられ、レールの上を走る為の車輪が付けられていた。

 6台の自転車はパイプで作られたフレームで連結されており、フレームの中央には席が1つ設けられ、走行の指示をしたり、途中で交替ができる要員がその席に座る事になった。


 その人力機関車の後ろには荷物をのせた小さなカーゴを連結できるようになっており、そのパワーは6人力だ。

 人力であるため、高速化には走行効率を上げるために、車体を軽量化することが決め手であり、フレームやカーゴはカーボンファイバーの軽量パイプで組み立てられ、さらにカーゴにはハニカム構造で強度を上げたアルミ素材が用いられた。

 またなるべく長距離を走り切るためには、6台の自転車のバランスが重要で、どこか1か所に負荷がかかってしまうと、そこから全体の速度が落ちる事になる。


 既存の部材を組み合わせるだけで加工ができ、試作にもほとんど時間がかからなかったおかげで、実験はすぐに実用的な運用へと移行していった。

 カーゴには荷物や公務で移動する人を乗せて、定時的に運用が開始された。

 各駅には、自転車をこぐ人が待機しており、到着するとすぐに交替する。

 給炭所や給水所などの設備はいらないので、あと計画に必要な物は、自転車を漕ぐ人間だけであるが、自転車で高速道路を疾走するよりも安全であり、健脚自慢が集められることになった。


 ただ、これを実現する前に、いくつか大きな作業が必要となり、1つは軌道上で停車していた新幹線の排除であった。

 新幹線車両は重量級であったため、非常ブレーキのロックを解除し、1両ごとに何台もの人力トロッコで牽引して車両基地まで搬送して撤去していった。

 また、車両基地まで離れた場所で停車していた車両は、高架軌道にやぐらを組み、滑車により吊り上げて、軌道から人力で撤去していった。


 その作業と並行して、垂れ下がった架線で怪我をしないように、ここでも新幹線の架線撤去が行われた。

 この作業が終了すれば、北海道から九州まで、高速連絡網が出来るのではないかと皆が大いに期待をしていた。



 自国内の事情が把握しきれていないという意味では、日本でも同じであった。

 北海道へ初めて向かう銀輪隊は道路を走り、青森県庁にまでは達してはいたが、ここで足止めを受け、すでに1週間以上が経過してしまっていたのだ。

 青森と北海道の間には津軽海峡があり、青森県には東に大きな下北半島、西に津軽半島があり、津軽半島の先の海底には青函トンネルが通っている。


 青函トンネルは、距離として53.85kmのちょっと長い新幹線用のトンネルだ。

 しかし、停電が起きてからは、そこを新幹線や貨物列車は走っていない。


 銀輪隊はオイルランプを使い、暗いトンネルの中を走っていくつもりでいた。 そう、その予定でここ青森までやって来た。

 そして計画は、ここで変更を余儀なくされてしまったのだ。


 青函トンネルは、津軽海峡の海底のさらに深い場所を掘って、海底の地下を通っている。

 しかしトンネルが深くなると工事に費用が掛かり、また電車も急角度での走行が余儀なくされるため、なるべく距離が短く、海底の浅いところを通したい。


 そこでトンネルが通る場所は、津軽海峡の中でも海底が浅い場所が選ばれており、そこは津軽半島の先であった。

 それでも、そこは海底まで水深150mくらいあり、その海底から更に100mほど深い地下にトンネルは通っている。

 青函トンネルの最深部は、その津軽海峡の最も深くなる位置であり、トンネルとしてはそこで緩いV字を描いている。



 今回の大失電発生の際には、上りの新幹線が北海道側から青函トンネルの中に入っている時刻であった。


 そして大きな問題は、トンネルが非常に長く深い事や、新幹線が途中でトンネルを塞いでいる事ではない。

 途中で緊急停止した新幹線の乗客は、既に徒歩で青函トンネルから無事に避難していた。


 実は、海底トンネルという物の宿命で、トンネル内部には染み出した海水により、常に水が湧きだすことになる。

 以前であれば、それを何台ものポンプで汲みだすことで排水できていたが、今そのポンプが停止している。

 どれくらいの水が湧きだしているかと言うと、青函トンネルでは毎分20トン以上の海水がトンネル内に湧き出ているのだ。


 3辺が1メートルの立法体の水が1トンであるので、見方を変えると1㎥の海水ブロックが3秒に1個積まれていく事になる。

 排水処理が1日停まると、トンネルの一番低い底から1日当たり28800個を超えた海水ブロックが、積み上げられていく事になる。

 水は低い場所に流れるために、底から順に埋められて水位は昇っていき、トンネルはやがて海面と同じ高さまで海水で満たされることになる。


 既に停電から3週間を経過したので、現在どの高さまで海水が上がっているか判らないが、いずれにしても通過に必要な最深部は完全に水没したと考えられている。

 さらに、海水は現在も上昇し続けていると考えられるため、水没地点にまで向かう事は危険なため、実際にトンネルの最奥までの調査は行われていないらしい。


 銀輪隊が到着した時点で、トンネルは既に水没しているであろうと考えられたために、そこを通りぬける事は無理だよと言われてしまった。


 この海峡は本州と北海道の動物の生態分布を分ける境界線であり、津軽海峡にはブラキストン線と呼ばれている仮想的な動物相の分布境界線が存在していた。

 大失電前であれば、新青森から新函館間は新幹線により1時間で行くことが出来るちょっとしたお隣感覚であったが、人類も再びこの線で往来が遮断されてしまっていた。



 日比谷会議では、深いトンネル内に取り残された新幹線車両の撤去方法についていろいろと検討して、それを今回青森に伝えに来たが、残念ながらそれらはすべて無駄となっていた。

 紙に印刷された書籍として国会図書館にでも残っていれば、日比谷会議でも湧水問題について気が付いた可能性はあるが、人類はインターネットを失い、多くの情報をサーバーの中に忘れてきてしまっていた。



 大失電以降、本州と北海道との行き来が全く無いのかと言うと、すでに船による海路が試されていた。

 但し、津軽海峡は青森港から函館港であれば約100km、下北半島の大間崎から渡る場合であっても最短距離で港間が20km近くあるために、手漕ぎ船では無理な距離であり、そこは少し大型のヨットが用いられたそうだ。

 大型のヨットであれば、簡単にこの海峡を渡れるかというとそんなことは無い。

 海峡の海流は早く、天候にも大きく影響されるために、まだ海峡越えは数度しか試されていないとの事で、銀輪隊は次の試行の機会を待つことになった。


 その時に使用したヨットは天候の良い日中で航海を試したとの事で、大間(おおま)という場所の港に現在停泊しているとの事である。

 そう、大間はあの高額で取引される天然の本マグロで有名な場所だ。


 函館を目指す銀輪隊は、次の試行の日に合わせて下北半島を北上し、その先端にある大間に向けて一路進む事になった。

 何台かの自転車であれば、ヨットの甲板に縛り付ける事は出来るとの事で、同行している青森県庁の人にその辺の手配はお願いしてある。


 航海の準備と風待ちで青森で1週間近くも足止めを食ったが、なんとか銀輪隊は函館の港にまで到着することが出来た。



 なお、国内にはもう一か所、九州と本州を繋ぐ海底トンネルである関門トンネルがある。

 関門トンネルは何本か設けられており、道路トンネルのほか、新幹線用に新関門トンネルが通っている。 また、少し離れた場所に在来線の山陽本線の関門鉄道トンネルがある。

 これら海底トンネル部分は、すべて同じ理由で使うことが出来なくなっていた。

 しかし、こちらには幸いなことに、新関門トンネルのすぐそばに関門橋がかかっていたため、海底トンネルの部分は線路を迂回させる事で地上の橋を使うことが出来た。


 幸いなことに……



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



 この頃になると、銀輪隊のおかげで少しは周りの様子が見えるようになってきて、日比谷会議 外交分会では日本国外についての考察も始まっていた。

 と言っても、地続きではない海外についての情報は全くと言って入っていない。


 当初、この停電は国外からの特殊な攻撃かとも言われていたが、あれから3週間たつが、外国軍が侵攻してきたと言う情報は聞こえてこない。

 どこかの海岸に既に上陸しているかもしれないが、連絡網が途絶しているので、そんな事があっても実際に東京では知る方法がないが。

 日本はこのような状況であり、現在の対外的な防衛能力はゼロに近いため、今更ながら周辺国の状況を知っておく必要は重要である。



 そして自国を守る為には、積極的に海外との外交ルートを今一度確立しておく必要がある。

 当然お互いの情報を知る事や、もし支援を仰げるものであれば、食料支援を何としてもお願いしたい。


 これまで日本は多くの食糧を輸入してきた関係で、それがいきなり止まると言う事は、逆に産地の国では消費しきれない食料が、行き場を失い困っている事が想像される。

 ここでも大きな問題として、これまで使ってきた貿易取引における国際通貨も同様に失われてしまっている事だ。



 日比谷会議 外交分会では、それらを踏まえたうえで海外の状況の調査と、日本国からのメッセージを届けるために外国調査隊を結成する事となった。

 そこでは、エンジンが動かないため、大型の帆船を使う事が提案された。

 大型船が必要な理由として、海外まで往復もしくは複数の国を廻る為には、航海中に必要な大量の飲料水と食料を積載する必要がある。

 海外の情勢によっては、治安が悪く寄港すらできない可能性すらあり、現地に到着しても食糧が調達ができない事も考えられるので、全行程分を携行しておく必要がある。

 さまざまな現地状況に対応できるように、航海士の他に自衛隊レンジャー、外交官、通訳、ポーター、調理人、医者などが、海外探索派遣任務として乗船する予定である。

 また、相手先通貨状況も不明であるので、調達品の支払いのための大量の金や宝飾品などが、少しでも支払いに使えそうなものが積み込まれている。



 動力を使用せずに運行できる大型帆船というものは、日本では実務として運行されていなかったが、練習用として大型帆船がまだ残っていたので、今回はそれを利用する事にした。

 到着した国の治安が判らない状態で、船を岸壁に接岸する行為は、港に沈んだ危険物や、攻撃や襲撃、拿捕される可能性も高いため、大変危険だと考えている。

 まあ、このような状況で、見ず知らずの海外の船が突然やってきたら、この日本であっても、まずは大きく警戒する事であろう。


 その為、帆船は沖合に隠すように停泊させ、搭載した小型のゴムボートを用いて上陸する事を考えている。

 船が見つからなくとも、上陸地の治安が分からないので、危険は当然承知の上であるが、その為の航海であり、上陸してみない事には調査にならない。


 日本と同じように電気が止まっていれば、暴動や戦闘が発生している事は十分予想されている。

 ここで特に注意すべきな事として、電気は失われたが、この状態でも銃火器類は使用できる。

 これは互いにいえる事なので、特に最初に引き金を引かないために最新の注意が必要である。


 今回の計画は、海外でも近距離となる台湾、そして中国への訪問を計画しているが、海外に出る前に最初に沖縄への寄港を予定している。

 今回は地球上の現在の状況の調査・探検を目的とする旅ではなく、まずは近隣諸国の調査が目的である。

 アメリカやヨーロッパについては残念ながら訪問は難しく、シルクロード経由で陸続きである中国が情報を持っていればそれを教えてもらうしかない。

 そこで、中国へは台湾に近い厦門(アモイ)にまず入り、そして次に上海にまで船で北上し、そして日本に帰るコースを予定している。



 世界で3番目に長い川は、中国を大きく蛇行しながら広い大陸を巡っている。

 チベット高原の氷河を源流とする沱沱(とと)河は、途中でいくつか名前を変えて、最後は長江として上海にまで達し、そこで東シナ海へと消えてゆく。

 この大きな川により、船による交通や物流、またその川がもたらす肥沃な流域には農業の大きな恵みをもたらして来ていた。

 肥沃な土地があると言う事は、そこではかつて大きな氾濫が繰り返されて来た証でもあるが。


 夏になると上流では大雨が記録されることもしばしばあり、途中に作られた巨大なダムは流れ込む大雨を貯め込んでしまっていた。

 今回の停電により制御を失った巨大ダムは、放水量を超えて流れ込む濁流に対して越水を起こし、それはすぐにダムの崩壊を招き、世界最大級のダムに貯められた大量の水が一気に下流へと解き放されてしまった。


 その大量の水は、流域の街を流したり、広い範囲の穀倉地帯をも水没して、地域は全滅していた。


 やはり大失電により連絡網が寸断されている大陸では、その流域から千キロ程離れていた北京へ、その情報はなかなか届くことが無かった。

 

 そしてダム災害が発生した知らせが政府がある北京にまで届いたのは、被災からすでに一ヶ月を経ってからの事であった。

 しかし、被災地の人々には中央政府と交通や通信が寸断している事情すら伝わっておらず、国民、特に農村の不満は爆発し、その声を受けた地方政府が中央政府に対して、自治権を取り戻す独立を宣言してしまった結果のようである。


 日本からの帆船による訪問団が、厦門に到着した後に判明する事ではあるが、この時中国はすでにいくつかの国に割れていた。

 昔の中国のように、大陸にはいくつかの独立した国が存在するというのだ。

 長江の氾濫もあり、最終目的地である上海の状況がどうなっているかはまだ判らない。

 それが分るのは、次の航海の後であるので、まだ先の事である。

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