8-3 行き倒れ
「わっ、危ない!」
長野県の東側にある城岡高校に通う高校生、原田耕平はその高校から摩導自転車で、自宅がある山の上の農家へ帰るところであった。
周りは薄暗くなり始めていたため、ライトを点けていたのだが、街道を走る自転車の前に急に子供が飛び出してきた。
細い山道に曲がる直前であり、普段でも人が少ない場所であったので、ちょっと油断していたため驚いてしまった。
かなりの速度が出ていた摩導自転車であるが、その摩導自転車のコントローラは的確に作動し、自転車は転倒などせず、子供のすこし手前でしっかりと停止した。
その子供は女の子だったようで、こちらを向いて両手を広げて立っており、明らかにこちらを意識して停止させようとしたと思われた。
「危ないじゃないか! 急に飛び出して轢いちゃうところだったぞ!」
一歩間違えれば大きな事故になったかもしれないので、僕は思わず声を荒げてしまった。
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが動かないの。 お願い、助けて!」
そういうと、女の子は自転車に乗ったままの僕に駆け寄って、ハンドルにかけた僕の手をつかんで泣きだした。
「えっ? 君のお姉ちゃんって、どこにいるんだい?」
この周りに、他の人の姿は見えない。
女の子は泣きじゃくっている顔をぱっと上げると、
「助けて! こっち、こっちよ!」
そう言うと、女の子が街道をその奥へと駆けだした。
すぐ近くなのかと思ったのだが、そのまま街道を真っ直ぐ走りつづけ、その後ろを自転車でゆっくりとついて行く。
女の子はとことこと走りつづけたが、上り坂を走る小さな子供の足なのでかなり遅く、結局僕も自転車を降りて押しながら、後ろから追いかける事になった。
しばらく行くと街道の脇、道路脇の低い土手を女の子が降りていくので、急いで自転車を停めて、あわててその後ろを追いかけると、確かにそこには誰かが倒れていた。
「おい、しっかりしろ!」
そこには、ポロシャツにチノパン姿の耕平と同じ年くらいの女子がいたが、意識を失っているようで、白い顔色をして、唇が紫色だ。
衣服に泥汚れは有るが、どこにも血はついていないので、外傷はなさそうだ。
なんとか弱い息をしているので、死んではなさそうである。
とりあえず自転車からペットボトルを持ってきて水を飲まそうとするが、口が上手く開かず流れてしまう。
しかたなくペットボトルの水を口に含み、片手で少し顔を上にあげ、横から水が漏れないように強く唇を押し付けて、口移しで少しずつ流し込んだ。
隣では、女の子が心配そうにそれをのぞき込んでいる。
少し飲んでくれたのか、気道に水が入り込むと、『ゴホッ』とむせ、そして薄っすら目を開けた。
「大丈夫か? 僕の言葉が聞こえますか?」
「は、はい」
それだけ話すと、女子は力なく再び目を閉じてしまった。
「僕がここにいてもお姉ちゃんを助けられないから、お兄ちゃんは一度家に戻るので、君はお姉ちゃんを見て、ここで少しの間待っていて欲しい。
お姉ちゃんを守って、待っていてくれるかな?」
「うん」
「おりこうさんだ。 水を渡しておくから、お姉ちゃんが気がついたら飲ませてあげてくれ。
じゃあ、急いで戻ってくる」
耕平は摩導自転車のリミッターを外し、山道から自宅へ駆け戻った。
自分の部屋に布団を曳き、寝かせる場所を最初に確保しておく。
そして農家の納屋に畳んで仕舞ってあった摩導カートを組み立てると、すぐに上空向けてスキップ移動で山を飛び越えた。
そして女の子が待つ街道に到着した。 その間、ものの数分ではないかと思われた。
周囲は既に暗くなっていたので、摩導カート側面を光らせて周囲を照らしながら、足場が悪い土手は女子の腕を僕の肩にまわし、すこし引きずるように小さな坂を引っ張って昇り、摩導カートの座席に押し込んだ。
「体調診断起動」
摩導カートには、乗車中に気分が悪くなっていないかをチェックするために、搭乗者の健康状態をモニタリングする機能が有る。
通常はその結果は通知されていないが、今回はその結果をレポートしてもらう事で、簡易的な健康診断を行った。
『簡易スキャンが終了しました。
体温低下、血圧低下、酸素飽和度の低下がみられます。
低血糖による意識混濁と診断されます。
緊急処置として、ブドウ糖を投与することを強く推奨します』
「わかった。ありがとう」
耕平は持ってきた小さな箱からラムネ菓子の小袋を開け、女子の口を少し開け、口を少し広げて押し込んだ。
この小粒ラムネの原材料はブドウ糖から出来ている。
急激な低血糖症状が出た際にブドウ糖液が無い場合、ラムネの粒を食べる事でも血糖値を高めることが出来る。
食事がきちんととれていないであろうから、待っている小さな女の子にも少しラムネを分けてあげ、食べてもらう。
「君達が持ってきた荷物はこれだけ?」
女の子に確認し、彼女たちの荷物を摩導カートの後部に収納すると、僕は反対側から女子の隣に乗り、小さな女の子を僕の膝の上に座らせた。
基本的に二人乗りの摩導カートなので、ちょっと狭いが緊急時なので仕方がない。
摩導カートが家に到着すると、もう一度女子一人を乗せた状態で健康診断を行った。
『簡易スキャンが終了しました。
前回との比較では、脈拍、酸素飽和度の上昇がみられます。
血糖値は危険域は脱したと考えられます。
しかし、体温低下の改善のために、更なる糖分接種、および適切な食事、血流を高める処置を推奨します』
摩導カートから女子を降ろすが、ここから家までは、両手で僕の胸の高さに持ち上げる、いわゆるお姫様抱っこスタイルだ。
布団に寝かすのに、申し訳ないが泥だらけの服は入り口の土間で脱がさせてもらう。
一度土間に寝かせ、靴と靴下を脱がせ、濡らしたタオルで顔、そして手足を拭く。
チノパンのベルトを外し、なるべく直接見ないように脱がしていく。
そう、これは緊急処置だ。 変な考えを持ったりはしていない、ぞ。
泥汚れがひどいポロシャツの胸のボタンをはずして脱がすと、いよいよ下着姿となった彼女を再び抱き上げ、そっと僕の布団に寝かした。
「さっき飲ませたブドウ糖で、君のお姉ちゃんのスキャン結果は少しよくなったみたいだよ。
このまま少し寝かしておこう。
ところで、二人は年が離れているようだけど、姉妹なのか?」
「ううん、ちがうわよ。
このお姉ちゃんは、有希ねえちゃん。 うーん、佐伯有希さんというお名前だったと思う。
私は田山梨花、6歳です」
「え? 姉妹じゃなかったのか。
じゃあ親戚のお姉ちゃんなのか?」
「ちがうわ」
「ではどうして、梨花ちゃんはこの佐伯のお姉ちゃんと一緒にいたのかな?」
「この前から梨花のお母さんやお父さんが帰ってこなくて、その時初めて会ったのだけれど、それからはずっと一緒にいてくれたの」
「ふーん。
どうして、さっきはあんな何もない道路を歩いていたのかな?」
「お母さんが帰ってこないから、梨花のお母さんのところへ一緒に行こうって、ここまできたの」
「じゃあ、梨花ちゃんの家からここまで一緒に来たんだね」
「うん。
あとね、お姉ちゃん歌がとっても上手なんだよ。
途中でね、お歌をうたって食べ物が貰えたんだよ」
「へー、そうなんだ」
どういう事だろう? 駅前で募金箱でも置いて歌っていたのかな?
危険値は脱したとはいえ、もう少し血糖値を上げさせた方が良さそうなので、残っていたラムネ粒を土間脇の台所あったすり鉢とすりこぎで砕き、少しの水に粉状にしたラムネを溶かしてブドウ糖液を作る。
布団に寝かせた彼女であるが、梨花ちゃんに作ったブドウ糖液を口から飲ませるようにお願いし、ティースプーンをいっしょに渡しておく。
何となくではあるが、事情は少し見えてきたが、この時間なので梨花ちゃんもお腹が空いたであろうから、食事の準備を急いだほうがよさそうだ。
そして、僕はこの人達にも食べさせるために今夜の夕食を作ることにした。
普段はここの畑で取れた野菜や、摩導ボックスに保存してある肉を使うが、来客など考えてもいなかったので、人数分の在庫は残っていない。
摩導ボックスはカノ国から支給される食料や日用品などの物資であり、リクエストをすると必要な物が東京ブランチから届けられる。
摩導ボックスの配送では、普段は基本食材の定期便だけしか頼んでいなくて、これまでは近くの町で買ってきた肉などを用いて自炊していた。
しかし、この災害で町で材料を買うことが出来なくなり、先日からは定期便に若干内容を追加を手配していた。
明日次の定期便が到着するはずであり、1日分以上の材料はまだ残っているつもりであったが、それが3人分となると残った材料もすべて使い切りそうだ。
残念ながら、レタスやキャベツなどはこの畑では作っていないので、庭にあるホウレン草やインゲンなどを更に取って来て、さっと湯でて氷で冷やし、あとはトマトやキュウリなど畑の野菜を多めにしてサラダにする。
農家のキッチンには、自炊用にいくつかの摩導調理具を設置してある。
プロパンガスや灯油を農家まで配達してもらっているが、摩導具があるのでガスや電気を使わなくとも調理や暖房は可能だ。
しかし、普通の生活も体験したいので、今電気は給電が止まってしまっているが、使う量こそ少ないが、ガスは使う時々使っている。
あと、ここの山から引いた水は、カノ島の飲料水よりも美味しかったので、簡単なフィルター機能は使って、ここの水を利用している。
それから最後に残してあった肉を細かく切って大量の葉野菜と合わせて炒め、野菜マシマシ肉少な目で、多めの量の炒め物を作り始めた。
主食の玄米はまだたくさん残っているので、摩導鍋で精米して、そのまま炊飯まで行った。
ご飯を作っている香りが流れ込んだのか、女の子がやって来て、
「お兄ちゃん! お姉ちゃんが目を覚ましたよ」
と、知らせてくれた。
彼女の胃の調子が判らないので、作るのはおかゆの方が良かったかなと思ったが、血糖値が心配なので食事を急がせた方が良いかと、とりあえず今作った物を持っていく。
その女子は食事を見ると、布団の中からするっと抜け出し、挨拶も無しで、作ったご飯に飛びつきパクパクと食べだした。
さっきから香りが届いていたと思うけど、既に我慢が出来なかったようだ。 できたてだけど、熱くないのかな? それ。
おいおい、ところで君、下着姿なんですけど。
その隣で、梨花ちゃんは「いただきます」と小さくつぶやき、手を合わせ食べ始めた。
大失敗であったのは、いつも一人であったため皿に取り分ける習慣がなく、大皿で出してしまったため、僕が食べる分が何も残っていなかった。
人心地着いたのか、
「ふー、生き返ったわ。 あれ、ここはどこ? どうしてここにいるのかしら?
梨花ちゃんは、ちゃんといるわね」
そういいながら、周りを見渡してふと下を見ると、自分がいつの間にか下着姿である事に気が付いた。
そして、それまでスルーしていた目の前にいる見知らぬ男の子にようやく気が付いた。
「きゃー、あ、あなた。だれ?」
やっぱり、そうなるよね。




