7-5 摩導自転車
佐藤隆二は、先日東京ブランチでマリエさんからもらった摩導自転車を使い、コンビニ会社本社がまだ業務をしていた時に取引を行っていた仕入れ先などを廻っていた。
都心では企業は活動を停止しており、多くのオフィスは閉鎖されていたが、工場などがある地方では、社員はその会社の近くに住んでいることが多く、かなりの事務所には誰かしら人が出社していた。
隆二は先日東京ブランチで里美さんと酒を酌み交わした日、その後に帰ってきたマリエと話したコンビニの再興プランを、彼自身の手で実際にやってみようと考えていた。
マリエはコンビニの店舗運営について強く興味を持っており、その時いろいろと隆二に質問をしていた。
隆二は今回のコンビニの復活計画について、以下のように考えていた。
停電から時間が経過してしまったので、仕入れ先に残っている冷凍・冷蔵材料はすでに使えない。
だが、それぞれの食品会社や工場には、小麦や米など未加工の原材料や出荷前の製品は、まだ食べられる状態で残っていると考えられる。
それと配送先であるコンビニが閉まってしまった為、流通商社の倉庫にも、同様に菓子などの食品の多くは、まだ出荷もされずに手つかず状態で眠っていると想像できる。
しかしこれら商品は、例え世の中が復旧しても、その時点では賞味期限を超えると予想される為、多分商品はすべて廃棄となるであろう。
幸いなことに、隆二はマリエから東京ブランチで飯の提供を受ける約束を貰ったので、彼が持てる時間を最大限に使うことが出来、さらにカノ国の摩導具などを計画に利用させてもらう約束もできた。
カノ国から支援は貰えなくとも、大きくはないがマリエ個人からの支援は貰えそうだという話が隆二に伝えられていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
俺がマリエさんから貰った自転車は、スカートでも跨ぎやすいようなフレームが湾曲したデザインのママチャリで、後ろに荷台は付いていないが、ちょっと高めのハンドル部には籐で出来たおしゃれな前かごが付いていた。
最初その見た目から女性用なのかと、乗る事をちょっとためらっていたが、他に代わる乗り物もなく、一度乗ってみると、その性能の凄さに驚いてしまった。 さすが摩導自転車と言うだけある。
摩導自転車という物は、軽くペダルを漕ぐと、慣性が失われたかの如く、磨かれた氷の上をスーっと滑るような感じで抵抗なく走りだす。
自転車で地面を走っているという感じが全くない。
そして、ペダルを一漕ぎするたびにその速度が上がり、そして軽いブレーキにより速度がすっと落ちる。
路面からの振動は皆無であり、それはタイヤが地面から僅かに浮き上がっているのではないかとすら思えた。
それであるのに、舗装されていない道であってもタイヤは路面をしっかりと捉えており、砂が被った急カーブであっても横滑りなどはせず、また、かなり速度を上げてから強くブレーキをかけても、何の衝撃も無くその場ですっと停止する。
素晴らしい性能であるが、周りに車が走っていない状況下であるので、あまり飛ばして走ると目立ってしまうので、精々オートバイ程度の速度で走行している。 まあ、それでも結構目立つのだが。
今の時代 唯一の交通手段となってしまった自転車は、非常に貴重な存在となっており、そのためうっかり放置すると誰かに盗まれてしまう。
しかしこの摩導自転車は、東京ブランチで作ってもらったIDリングが鍵となっているようで、IDリングを持たない人が動かす事はできないようだ。
今日は朝からちょっと足を延ばし、伊豆半島にある以前取引をしていた食品加工工場を訪ねてきた帰りの事である。
帰りに干物を買いたかったのだが、魚屋や土産物屋はどこも閉まっていたので、里美さんとマリエさんへのお土産は残念ながら買えなかった。
摩導自転車は熱海の海岸のヤシの並木をしばらく前に通り過ぎ、既に山道へと差し掛かっていたが、俺の少し前方を蛇行しながらよろよろ走っていた自転車が、目前でぱったりと倒れた。
それも何でも無い緩い坂道の真ん中でだ。
倒れた自転車の前カゴには大きなカバンが入っており、その重みでハンドルがふらついたのだろう。
スピードを出していて激しく転倒したという訳ではないが、倒れたままの状態から立ち上がってこない。
そのまま通り過ぎるのも何なので、とりあえず声を掛けてみた。
「あの、大丈夫ですか?」
「み、みず、水を、くれ...」
なんとこの男は、暑いのに背広にきちんとネクタイまでしており、とても夏場に自転車に乗る服装ではない。
そのせいもあるのか、額には大量の汗をかいており、顔色は青白く 目線もうつろであり、多分ではあるが貧血か熱中症による脱水症状のように見えた。
どうやら前かごの大きなカバンの中には、水分補給のペットボトルは入っていないようだ。
俺は、その男に肩を貸して木陰まで移動させ、肌を触った感じでは体温が高いようなので、まずは自転車のボトルケージに付けて有った俺のドリンクボトルの水を渡した。
男は、蓋を開けたボトルを受け取ると、勢いよくすべて飲み干し、また少しぐったりとした。
自転車で倒れた場所はゆるい登り坂であり、速度がほとんど出ていなかったのが幸いしたのか、着ている高級そうな背広に砂こそついているが、その背広がクッションになったのか、とりあえず出血などの怪我は無さそうであった。
「見た感じですが、多分あなたは熱中症だと思いますよ。
病院なんてどこもやっていませんから、着ている上着を脱いで、ネクタイも緩め、しばらくここで体を冷やせば良くなると思います。
では、俺はこれで行きますので」
「あっ、待ってくれ。
どうもありがとう。 君はこの近くの人かね?」
「いえ、俺は埼玉から来ていますので、もう帰らないと暗くなってしまいますので」
「おお、遠くから来ているのだなぁ。
私は岡山県から今東京を目指しているのだよ。
途中までは秘書が一緒だったんだが、自転車が壊れたり、パンクしてしまって、私一人になってしまった。
とにかく一刻も早く東京に戻らないといけないのだが、電話を使うことが出来ない。
この自転車もついにチェーンが切れてしまい、これ以上走るのは無理なので、大変申し訳けないのだが、私の伝言を東京まで伝えてくれないだろうか?」
さっきは、ふらふらの状態でチェーンが切れてしまったために、そのまま転倒してしまったらしい。
「何を弱気な事を言ってるんですか! 東京なんかほんのちょっと先ですよ」
「私は、体力も、気力も、もう限界のようだ。
なにより食料が無いし、それを買う事すらできない。
何て世の中になってしまったのだ……」
とりあえず、空になった俺のドリンクボトルは返してもらい、背負っていたリュックから予備のペットボトルを出し、その1本の水を彼に渡した。
悪い顔色は空腹による低血糖から来ている様であるので、さらに彼にカロリーバー1本と、血糖値がすぐに上がりそうな1枚の板チョコをあげた。
以前見かけた座り込んでいる親子の光景がまだ俺の脳裏に残っており、あれ以来 東京ブランチの売店で売っている幾つかの高カロリー食品、少しでも命をつないでもらえそうな食料をリュックの中に常に忍ばせ持ち歩いている。
これまでも、それは何度か役に立った。
彼はそれを受け取るや、渡した2個とも急いで封を切り、それを口の中に押し込むようにむしゃぶりつき咀嚼し、味わう前にペットボトルの水で一気に胃袋に流し込んだ。
それは、まるで人間急速充電のようであった。
「ふうー…… 少し生き返ってきた気分だ。
あ、 何も考えず食べてしまったが、これは君の大切な食料や水だったんだろう?
大変申し訳ないことをしてしまった」
そう言うと、少し元気が出てきたのか、顔を上げてこちらをじっと見てくる。
さすがにどちらもカノ国産の高カロリー食糧である。 さっきまでのゾンビのような顔色も、少し赤みが戻ってきたようだ。
日焼けした顔には無精ひげと、自転車で風に吹かれ髪型は異なって見えたが、以前テレビか雑誌で見たことがある顔であった。
「あの、ひょっとして?」
俺がそう言うと、
「こんな醜態をさらしてしまってお恥ずかしいが、私は東京の電気メーカーで最高経営責任者をやっている中田重久というものだ。
こんな私を救ってくれて、再度お礼を言う。 このままであれば、私はここで朽ち果てていたかもしれない。
とにかくすぐに東京に、本社に戻らねば、このままだと会社が、社員が、そして世の中が大変な事になってしまう」
どこかで見た顔だなとは思ったのだが、経済のニュースで時々見ていた 日本を代表する電気会社の社長さんであったようだ。
厳密には大会社のCEOと社長とは違うが、もうそんな細かな事を言っている時代ではなくなってしまった。
電気を失ってしまった世界で、その電気文明を作ってきた大会社の社長さんを助けると言うのは、偶然とはいえ何とも皮肉な話だ。
「うーん、困りましたね。
チェーンが切れた以上、その自転車を漕いで走るのは無理なのですよね。
この自転車は特殊な仕様で、俺以外は走らせられませんので、他人に貸してあげるわけにはいかないのですよ。
それと、俺の自転車には荷台が有りませんので、後ろに乗せていくわけにもいかないし……
漕げないだけで、ここまでの道のりは自転車で走って来ているのですよね。
それであれば、俺の自転車と紐で結んで引っ張りますから、そちらは漕がなくって良いですから、運転はできますか?」
「いや、いくらなんでも大人一人を引っ張りながら、東京まで自転車で走る事は無謀だろう」
俺はリュックのポケットの中から5mほどの薄く平たい紐を取り出した。
この紐は登山などでも用いられる複合繊維で出来てたスリングであり、重いリュックを担いだ大人を何人か吊り下げても破断しない非常に強力なロープである。
チェーンは切れているが、車輪とハンドルはまだ壊れてない様子なので、俺は後ろに自転車を繋ぎ、牽引して走ることにした。
社長はまだかなり疲れているようではあるが、ここで無駄に時間を使ってしまうと到着が更に遅くなり暗くなる前に先を急ぐことにした。
「前かごが重いと運転がしにくくて先ほどのようにとても危険です。
この紐をあげますので、その大きなカバンは自転車の荷台に縛り付けてください。
カバンがずれるとバランスを崩しますから、しっかりと縛ってくださいね。
この状態で少し走ってみますので、そちらは漕ぐ必要はありませんが、ハンドルとブレーキの操作だけは自分で行ってください。
停まる前に合図をしますが、私が指示しなくともブレーキは適宜使用してくださいね。
では、最初はゆっくり走りだしますので、もし運転が難しいようでしたら、すぐに叫んでください」
「わかった。 では、お願いする」
社長は、空になった自転車の前かごに、綺麗に畳んだ上着とはずしたネクタイを入れ、涼しそうな服装となり準備をした。
摩導自転車で社長を引っ張る事は簡単なのだが、問題は停まる時と下り坂だ。 ヘタすると前を走る俺へ衝突したり、結んだ紐で引っ張られ転倒してしまう。
なので、なるべく早めにブレーキを使うタイミングを後ろに伝えなければいけない。
特に急ブレーキは厳禁だ。
今、俺と社長は途中で休憩をしている。
「君、ちょっと落ち着いて来たら、いろいろと聞きたい事が出てきたのだが、それにしても君のその自転車は凄いみたいだな」
社長の自転車は普通の自転車なので、固いサドルから伝わる振動で、お尻はかなり痛かったはずだ。
なので、彼の為に少し休憩を入れている。
休憩中、軽くストレッチをして体を延ばしながら、お互い気が付いた事などを話していた。
「ええ、これはカノ国の知り合いから頂いた、カノ国の技術で作られた自転車です。
電気ではなく、摩導という技術を使って作られているそうです。
俺は、停電の前までは東京にあるコンビニの本社に勤めていたのですが、この大停電で会社は業務を停めてしまっています。
コンビニが復活できないか、商品を納めてもらっていた会社やその時担当していた店舗などを最近廻っているのです。
伊豆に魚の練り製品を仕入れていた会社が有ったので、今日はそこを訪問に行ったのですが、船が出ず魚が手に入らなくなったらしくて、残念ながらそこの工場は閉鎖されていました。
常温で保存が出来る真空パックなどの食品などは、まだ倉庫に残っていると思うのです。
コンビニなど販売店がすべて閉じてしまうと、生産者が物を作っても出荷が出来ません。
とにかくみんなが生活を戻さなければと思っているのですが、大事なものが失われており、それが無いと動き出すのが難しくって困っています」
「それは、電気かね?」
「そうですね。 電気もありますが、それはお金です。 これは、別に沢山のお金が欲しいって言う意味ではありません。
お金が使えなくなってしまったので、経済の流れがすべて止まってしまい、食料を買う事や、作る事や、売る事、そのいずれも出来ません。
例え、倉庫に食料品の在庫が大量に眠っていても、それを売る事も、買う事もできないのです。
世の中を動かすためには、お金が世の中を動いてくれないと物事が始まりません。
そこが何とか早く解決してほしいですね。」
「そうだな、私もここまで来るまでに、それを自分でも痛感したよ。
途中で飲み物を買いたかったんだが、自動販売機は動いていないし、財布に沢山の現金は入っていたが、誰もそれを受け取ってくれなかった。
と言っても、その人達が悪いわけではなく、このまま停電がいつまで続くかわからない状況で、無料で他人に施しを続けることなどできないからな……
あ、そう言う意味で、君は奇特な青年だな」
「いや、俺は十分恵まれていますから。
さっき話したカノ国の知り合いから援助をたくさん頂いており、自分はきちんと食べられていますので」
「カノ国か。 日本人は、あの国にはずいぶん冷たくしてしまっていたがな。
そうか、あの国の人は、今でも少しは日本の事を覚えていてくれたんだな」
「学校で習う事は有りませんでしたので、恥ずかしながら僕も最近までカノ国と言う存在すら知らなかったです。
あ、この後は休憩なしで一気に東京まで走り抜けますので、軽くですがこれを腹に入れておき、あとトイレも済ませてください。
これも、そのカノ国の売店で買っておいたものですので、美味しいですよ」
「それも半分貰ってしまって、いいのかね? 君の分だろ?」
「ええ、食料の残りはあとこれだけですから、半分しかありませんが、よろしければどうぞ。
俺はあなたを東京まで引っ張って行った後、足を延ばしてカノ国施設の売店で買い出しをして帰りますのでご心配なく。
それと、もしトイレに行かれるのでしたら、これをお持ちください」
隆二にとって旅の途中で拾った行倒れの一人であったので、それが大会社の社長であっても、特に意識せずに普通に接していた。
「それは何かな?」
「紙とスコップです。 外ですので、後始末は大事ですから」
この後も少し話をしたそうだが、あまりここでゆっくり休んでいると遅くなってしまう。
「まだお尻は痛いとは思いますが、あとひと踏ん張りして進めましょう。
暗くなるまでには東京に到着できると思います」
「ああ、そうか。
君のおかげでここまで自転車を漕がないでも済んでいるので、体もだいぶ楽になったよ。
それに、君にもらったタオルをサドルに敷いてからは、座っていてずいぶん楽になったな。
すまないが、それでは東京の芝浦までお願いするよ」




