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ルネサンスの女神様 - ねえ、電気つけてよ!  作者: 亜之丸
パラダイムシフト [2週間後]
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7-4 油圧通信

 ここ武蔵野に広い敷地を持つ通信文化研究所の中庭には、長いホースが置かれ、そこでは油圧による信号伝達の試験が行われていた。


「それでは、俺の手元にある油圧ポンプで、油圧シリンダーのロッドが中間位置で止まるように調整してみます。

 うん? あれ? これは、ちょっと難しいか?」


「本当ですね、先輩。 出力のロッドの先がピクピクブルブルと震えていますよ」


 今、ここで作業をしているのは、通信文化研究所の研究員とその工事を担当する2名のエンジニアである。

 1kmある長い油圧ホースは、研究所の庭の中で何度か折り返えされ、送り側の油圧ポンプをたどるとその一番先には油圧シリンダーが取り付けられていた。

 調整を担当している先輩エンジニアに、油圧で動くシリンダーの出力側ロッドを中間位置で止まるように調整していた。

 そして、その受信側を監視していた後輩のエンジニアが尋ねた。


「出力ロッドが震えたままでは、うまく中間位置で停められませんね。

 この揺れって、先輩がポンプのレバーを微調整しているのですか?

 それとも手の震えですか?」


「俺は油圧ポンプから手を離しているぞ!

 油圧ポンプのレバーを完全に押すか引いている場合はロッドに震えは無かったが、このように中間のポジションでレバーを停めると、ロッドが微振動するようだ。

 この計画は失敗だったかな」


 すると研究員が説明する。


「この現象が発生する事は僕の予想通りです。

 このロッドの小さな揺れは、長いホースに大気圧の変化が加わり、それがノイズとなって現れた影響だと思います。

 このロッドの振動は、風など空気の流れや周囲の騒音など空気の変化が影響しているものと思います。

 この後2本のホースを並行して接続する事で、多分ですがこの微振動を打ち消してくれるのではないかと考えています。

 今回はその確認の為の実験ですから」


「あ、これはあらかじめ予想されていた現象なのですね。

 それを聞いて、少し安心しました。 では、その別の方法に対応した装置というのを試してみませんか?」


 高速に通信を行う為には、この中間域の圧力を使う予定なので、このノイズの存在は障害となる。

 研究員が取り出した、その新しい装置の試作機は、四角い装置の箱の真上に伸びた太く短い軸に、水平方向に金属棒のレバーが付けられた装置だ。


 送り出し側であるこの装置は、レバーを右に傾けると装置の中で油が左に押され左側のホースの圧力が高くなり、同時に右側のホースの圧力は低くなる。

 逆にレバーを左に傾けると、装置内部では油が右に押され、右側のホースの圧力が高くなり、左側のホースの圧力が低くなる。

 このレバーによる操作は、ホースに小さな圧力変化を起こすが、それは油圧シリンダーを動かせるほど大きな力ではない。

 小さな力で動くと言う事はとても重要で、操作を軽くでき、それは高速な動作が可能と言う事になる。


 そしてこの装置に接続されたホースの先に付けられた受け側には、2本のホースの圧力差でバーが動くという、一見すると送信側とも似た感じの装置であった。

 しかし、こちらの装置にはレバーではなく、昔のアナログメーターの針のような細いバーが付いており、その装置内部の構造はかなり異なっているとの事である。


 研究員は油圧ホースを接続した受信装置のバーをセンターに合わせた状態で、装置に付いたノブを最初に回した。

 この操作は、装置内部で2本のホースに直結したバルブを開き、ホース間に残った圧力差を消している。

 バーがセンターにして圧力差が消えた状態で調整ノブは戻された。


 これでパイプに圧力差が発生すると、このバーが左、右と指し示すようになるはずである。

 そして、この状態でバーがきちんと静止している事を確認する。


「うん、バーに振動はありませんね。 うまくノイズは打ち消されています」


「どういう事ですか、それ?」


「この装置は、2本のホースの油圧差を示す、いわばメーターなんですよ。

 今回用いる2本のホースは常に並行するように配置するので、ホースが周囲環境から受けるノイズは、同じタイミングと同じレベルで受けるのです。

 2本のホースはこの装置で繋がりますので、もしどちらか一方のホースだけが圧力変化した場合はこのバー、メーターの針がどちらかに傾きます。

 しかし、2本のホースから同時に同じ強さのノイズが届いた場合、それを同相ノイズと呼びますが、これについては先端の接合部で両側からの力を打ち消し合いますので、ホースが経路中で受けたノイズは消えてバーは動きません。


 2本のホースを使う事で、ホースに加わる同相ノイズは無視できますので、送信した信号だけがはっきりと表れるはずです。

 そして、この状態で送信側のレバーを動かすと……」


「おお! レバーと同じようにバーが動きますね。

 ちょっと、俺もやってみてもいいですか?」


「左右に動かすと同じように動きますね。

 それにこれは油圧ポンプの時とは違って、レバーを動かすのに、ほとんど力が必要ないのですね」


「そこがポイントなんですよ。

 この送信側の箱の中にはシーソーのような構造が入っており、レバーを動かすと中のシーソーが動きます。

 シーソーの根元で2本のホースがつながっており、押された側のホースには圧力がかかり、もう一方のホースの圧力は下がります。

 シーソーを逆に動かすと、ホースの圧力差も反対に変わります。

 これはポンプで油を送りだすのとは異なり、2本のホースの圧力差を変えているだけなので、ほんの僅かな力だけでそれを行うことが出来ます。

 相手の受信装置のバーも僅かな力で敏感に動きますので、長距離の伝送に使えるのではないかと考えています」


 何度も試すが、レバーを軽く動かすとほとんどタイムラグを感じず、1km先となる受信バーは同じように動いている。


「これまで僕の頭の中の理論だけであった油圧による通信ですが、それって本当に可能なの? って言う大きな山は、これで乗り越えられたと思っています。

 そしてここから、僕らは油圧通信で使える装置を作っていく事になりますが、これは油圧通信がうまくいく事を前提に作った試作機なのですが、ちょっとこれを継ないでみますね」


「え? まだ基礎実験がうまくいくか判らない時から作っていたのですか?」


「せっかくの努力が無駄になる事は、研究の中では良くあることです。

 特に今回は時間が有りませんからね」


 努力がすこし理解されて嬉しそうに、研究員は受信装置のホースを外し、その新しい装置をホースの間に継なぎ込み、新たな短いホースで再び受信装置と継なぎ直した。


「この装置は、連結するホースの間に挿入する事で、受信した油圧差の力に、更に外部の力を加え、装置内部にある次段送信用の油圧レバーを力強く動かす事で、次に繋がるホースに同じ信号を中継するものです。

 ホースの連結コネクタの替わりにこの装置を入れる事で、伝送の距離を大幅に延ばすことが出来るはずです。 まあ、それはこれからわかりますけど。

 そう、これは中継増幅装置、ブースターです。

 またこの装置には、送信用のレバーが複数組入っていますので、複数のホースへ同じ内容の出力を同時に送信できる機能があります。

 この装置を使う事で、配管は一直線ではなく、枝状に分岐させて複数方向に信号を伝える、『分岐』が出来るようになります」


「へぇー! これが完成すると、長距離の通信ができるだけでなく、いくつもの場所へも連絡が同時に出来るようになると言う事ですか」


「そうですね。

 ただ、この装置では信号を増幅する為に、外部から力を加えてあげる必要があります。

 この試作機では外力としてゼンマイを動力として使っており、定期的に装置横のネジを巻くようになっていますが、これは特にゼンマイで無くとも良いので、その場合何らかの外力が必要です。

 また、分岐の機能を使う事で、経路途中で通信内容のモニタリングが出来ますので、この装置は信号の中継所などに置いて、その途中の地域にも情報を共有する事を考えています」


「いろいろ考えて試作されているのですね。

 いや、試作検証に立ち会わせて頂けたので、それぞれの装置の意図が聞けてものすごく参考になります」


「この試作装置は動作が確認できましたので以上ですが、それとですね……」


「まだ何かあるのですか?

 この短期間に、すごいですね」


「ええ、うちの研究所も不眠不休でやってますから。

 研究員は何日も家に帰れず、もはや研究室は男臭い巣窟となっています。 ハハハ」


 とてもブラックで笑い事ではないが、研究室は一晩中オイルランプで照らされ、メニューの内容はともかく、食堂ではいつでもご飯は食べられるし、仮眠室もある。

 食事の確保が自分で必要な、昼なお暗いアパートよりも、独身者にとってはここで仕事をしていた方がよほど幸せなのかもしれない。


「これは、最初の油圧差メーターの変形と言っても良いかもしれません。

 先ほどの受信状態を示すメーターの針の部分ですが、この装置ではそこが細いヒートパイプというもので出来ています。

 装置の中にはベンジンやアルコールを燃焼する機構が入っており、装置内部でそのヒートパイプを熱していますので、装置を稼働した状態で針に触ると熱いですから注意してください。

 そのヒートパイプの先には、ペンとなる滑らかな金属チップが付けられており、下から伝わってきた熱は先端に付けられたペン先に集中します。

 そしてそのペンの下には、熱を加えた部分が黒く変色する感熱紙という特殊な紙を置いてあり、その紙をゆっくりと引っ張る事で、針の動きを熱で紙に記録することが出来ます」


 そう、研究員が取り付けたこの装置は、油圧の変化を記録する機械式ペンレコーダの試作品であった。


「記録にインクは使わないのですね。 電気ヒーターが使えなくなると、熱をかけるのも一苦労ですか。

 でも、熱で色が変わる特殊な紙なんて、どうやって入手するのですか?」


「以前であれば、もっと幅の広いファクシミリ用の感熱ロールが沢山手に入ったのですが、今は普通紙FAXすらほとんど見かけなくなってしまいました。

 それで、ここで記録を行う感熱紙には、ほとんどのお店にあるレジで使う安価な感熱ロールペーパーを用いています。

 紙幅は6センチくらいと狭いですが、針の記録にはこれくらいの幅の方が、後で取り扱いやすいので、たまたまですがうまくいっています。

 ロールの巻き径や紙厚で異なりますが、この装置に入っている薄いロール紙だと、これ1巻きで100mくらいの記録が取れます」


 POSレジが使えなくなった世の中なので、このような感熱紙を使ったレシート用紙などは他に使い道がなく、世の中にたくさん残っている。

 安い感熱ロール紙は永く太陽光線に晒されたり、時間が経つと色が薄くなり、やがて消えて行くので、記録用には10年保存の高保存タイプのロール紙を選んでいる。


「動く針自体は、先ほどの装置の応用なので、この装置の一番主要機能は、ゼンマイ仕掛けで紙を一定速度で巻き取る装置です。

 簡単な仕掛けですが、これで相手から送られてきた信号を記録し、後に残す事が出来ます」


「こんなペンが動いて記録をする装置を昔の映像で見た事が有るな…… そう、確かあれは地震計だったかな」


 データロギング(記録)が電子式になるまでは、長い紙や円筒のドラム、回転する円盤状の紙などに、インクペンで記録を行うペンレコーダが普通に使われていた。

 ペンレコーダは、原理的にはアナログ電圧計の針のように、針先に付けられたインクペンが入力信号で左右に振れ、その下にある用紙が一定速度で送られる事で、紙に波形が記録されていく。

 地震計の他にも、温度や湿度を記録したり、中には心電図のように沢山の針が同時に動き、複数の信号を1枚の紙に記録するマルチペンレコーダと言う物もあった。


 機械式ペンレコーダが使えるようになると、油圧ホースで送られてくる信号を、確実に記録保存できるようになった。

 人が受信操作するのではなく、自動的に受信ができる装置は、破綻した手旗信号のように、常に観測員が24時間神経をとがらせて連絡を待つ必要が無くなる。


 機械式ペンレコーダーでは、常にゆっくりと紙が送られ、常に線が書かれており、バーが左右に振れるとその波形を記録していた。

 受信した側はその振れでモールス信号のように信号を読み取る事になる。


 ただ、ワイパーの先端ようにペン先は動くので、針が描く線は直線ではなく、軸を中心とした円運動であり、記録紙上には曲線で振幅が描かれていた。

 本当はなるべく直線的に動かしたいのだが、そうすると直径を長くする必要があり、装置が巨大化してしまう。

 ただ、研究員が話したように、この装置は試作品であり、まだこれが最終形と言う事ではないようである。


「それとですね、先ほどお見せした中継器の分岐コネクタに、このペンレコーダーを取り付けて使うことが出来ます。

 中継器の分岐にこのペンレコーダをつなぐ事で、伝送路で送られている中継の情報を、モニター装置として知る事が出来ます」


「ほう。 これを使うと、同時に情報を見ることが出来ると言う事だな」


「そうですね。

 中継器を置く場所は常駐人がいる場所を想定していますので、途中の地域でも情報を受け取ることが可能になります」


「先輩、これは敷設したホースを管理するとき、油圧の変化が波形で残りますので、どこかで異常が発生しても後からでもそれが確認できますから、メンテナンスが楽になりそうですね


「そうだな。これはすべての中継箇所に設置すべきだな。


「僕ら研究員も、お役に立てそうなことがわかり、みんな頑張っていますので嬉しく思います。

 ところで、この1㎞継ないだホースって、いつまでここにあるのでしょうか?

 いくつかの試作品を試してみたいのですが、まだ出来上がって無い物もあるのですよ」


「この実験がうまくいきましたので、俺たちはこれからさらに長い距離でのホースを別の場所に敷設にいきますが、ホースにはまだ予備がありますので、これは撤去命令が出るまでここに残しておきます。

 こちらの研究所の庭は、施設課から2週間の設置許可をもらっていますので、少なくともその撤去依頼が来るまでにはもうしばらくありますから、来週中であれば自由に使えますよ」


「あ、とても助かります。

 あとですね、実用的な敷設をされる時、聞いている計画では2組のホースだけだと思うのですが、将来的にはいろいろな装置が作られることになると思います。

 なので、最初から複数のホースを敷設しておいた方が、後から楽なんじゃないと思うのです」


「そうですね。

 あとから追加で敷設工事するのは、大きな作業量となります。

 油圧ホースはまだ残っていますし、最初から計画されていればホースを一纏めにし、敷設しますので、それであれば全体の作業量がそれほど増やすことなく出来ると思いますし、予備ホースが有れば、故障やメンテナンスにも使えますからね」


「予備という考えは大事ですよね。

 こちらから研究所からの提案書に入れておきますので、設置される側からもぜひ要望をお願いします。

 お金は無くなったというのに、財務は相変わらず細かいところにうるさいですから。

 少し長いスパンで考えれば、絶対にお金は無駄にならないことをアピールして……

 では、次の設置も頑張ってください」


「今日は良いものを見せて頂きありがとうございます。

 俺達も自分がやっていることが良く分かり、励みになります」


 こうして実験はうまくいき、皆が次のステップへと進み始めるのであった。た。

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