7-1 伝承技術
大失電から2週間経過し、明日まで待っても電気はもう戻ってこないだろうと、人々の中に諦めにも似た想いが広がっていった。
電車に給電する架線については、電車が走らなくなってしまった為、このまま放置すると切れた架線がぶら下がって危険であると判断された。
しかし、再び鉄道を動かすことになった場合、ここで架線を撤去してしまうと、すぐに電車を走らせることが出来なくなる為に、その決断にまではかなり悩み続けられてきた。
決定打となった事は、全ての鉄や銅の黒化が確認されて、金属に電気が流れなくなったことがわかり、このあとどれだけ待っても送電は復旧しないと言う事から、架線を撤去する判断となった。
電気鉄道という日本全体の巨大システムから、電気を送り込むのに必要であった架線という重要な設備を捨て去る、これまでにない思い切った決断がなされた。
そこでは、鉄道網という日本の大動脈の再編成が行われようとしていた。
そして、次に必要となる物が、電気を使わない新しい鉄道である。
交通網が遮断されて2週間、日比谷会議ではかなり早い時期から。各地に残されているSLこと蒸気機関車を走らせられないかと言う話が出ていた。
その目的は、人を移動させる事もあるが、それよりも鉄道による食料の大量輸送が出来ないかという観点で検討が行われていた。
その為には客車よりも、貨物列車を中心に据えた運用の検討が行われてきた。
食料となる農産物を運搬する為に、路線や駅を復活させる場所は、農作物が大量に作られている農業生産地帯を通った路線にしようと計画が進められていた。
会議では、既に鉄道計画は進んでいたのだが、そこに思わぬ横やりが入ってきた。
「蒸気機関車の復活は、日本の復興のシンボルとなり得る物である。
わしは、文明の象徴である機械が戻ったことを全国民に見せつけ、これを更なる復興への起爆剤としたい」
いかにも政治家が考えだしそうな話である。
少しの食糧を運ぶ事よりも、全国民に蒸気機関車を見せて、希望の灯としたいというのだ。
そして、これまで皆で知恵を出し合って計画を練ってきた残存蒸気機関車の運用方法について、それを使って全国一周をさせたいという話をいきなり持ち込んできた。
「現役当時のように、蒸気機関車で多くの人を乗せた客車を引っ張る、ましてや複数台の機関車を多重に連結して何十両もの客車を引っ張るなんてことは、機関車の台数が揃わない今ではできないと思います。
さらに、全国一周はあまりにも検討する事項が多くあり、銀輪隊しか連絡網がない状況で、全国での稼働は難しいのじゃないでしょうか?」
「だからこそだよ、君。
蒸気機関車を走らせることで、皆に復興が始まった事を印象付け、各地で滞っていた社会の動きを一気に盛り上げようと言う事だよ
君達のような小さな考えでは復興なんかできないぞ。 我々政治家のように大きな考えで物事を考えるべきだ」
「しかし、ここでは会議の話し合いで物事が決まり、そして動いています。
そこで出た結果を無理に曲げる事は難しいと思います」
「何を言う! わしは多くの国民から選挙で選ばれた国会議員だぞ! お前ら役人は、わしの言う事を聞いていればいいのだ!
お前らに、国の事を決める権利があるというのか?」
日比谷会議に突然現れて叫んでいる地方出身の国会議員は、帰っていた地元から東京までようやく出てきたのだ。
日比谷会議は銀輪隊を通じて各地の農協に対して、配給に必要な食料の原資を得るために、各農協の倉庫に貯蔵されている食料の提供を求めていた。
しかし、自分たちの資産を手放すことになる農協としては、それには当然猛反発し、それまで多くの寄付を得てきた農林族の族議員は、陳情を受けると何とか東京に出てきて、そして日比谷会議に怒鳴り込んできていた。
農協の倉庫についての苦情なので、それは日比谷会議の食料対策分会に交渉に行くべきであった。
しかし、日比谷会議も分会が増えており、新参者には少しわかりくくなっていた事もあり、分会の存在すら良く調べもせず、彼は目についた蒸気機関車の話し合いのテントに文句を付けていた。
そこには、確かに自分の田舎にまで鉄道を走らせたいという、地方出身議員の思惑があったのかもしれないが。
「先生、ここは物事を決めている場所ではありません。 それに私は国家公務員でも有りません。
ここはあくまで復興のための知恵を出し合っている場であり、どこかに命令している場所ではありませんので、私たちに文句を言われても困ります」
政治家の彼にとって必要な事は、利権を自分に引き寄せる権力であり、うまくすればこの会議を自分の手柄とし、ここまで築き上げた日比谷会議の功績をも奪い取ろうと考えていた。
彼はもともと農林関係省庁出身の国会議員で、国会では大きな声で罵声を投げかけ、どちらかというと国会運営を妨害してきたような議員であった。
そして国会と同じように、大きな声で周りを恫喝する事で、主導権を奪うことが彼の常とう手段であった。
「どうして民間企業である農協が、彼らが持つ資産をこの会議に提供しなければならんのだ!
その対価が支払われる保証をお前らがするのか? いい加減なことをしてるんじゃない!」
「あの先生、ここは交通分会です。
先生がおっしゃる農協の事につきましては、ここの分会の担当ではありません。
申し訳ありませんが、先ほどのお話であれば食料対策分会にして頂いた方がよろしいのではありませんか?」
そう言われて、蒸気機関車から話がずれていった事に、政治家も少し気が付いたようだ。
「ゴホン。 あー、確かに話がちょっとそれてしまったようだ。
わしが言いたかった事はだな、見放されてしまう田舎にこそ蒸気機関車を走らせたいということだ」
蒸気機関車は走行する際の方向が決まっており、終点では機関車の方向を反転させるための転車台が必要となる。
また、蒸気機関車を走らせるためには、燃料の補給所を沿線に作る必要があり、重機が失われた状態で建物設備を新たに作ることは難しくなっている。
蒸気機関車は、すぐ後ろに給炭車を牽引しており、ここには山盛りの石炭が積まれているように見えるが、実際には露出した石炭よりも、その下に隠れている水のタンクの容積の方がはるかに大きい。
機関車が蒸気を発生して走行する為には、多量の水が消費されているのだ。
蒸気機関車を運用する為には、燃料の補給だけではなく、途中で大量の水や砂を補給する給水設備が重要となってくる。
その為に蒸気機関車の運行には、数十キロから長くとも百キロごとには給水補給所を設ける必要があった。
しかも水道が止まってしまっている状態で、蒸気機関車が必要とする大量の水を、都市部においてどうやって運ぶかも大きな問題となる。
そう言った数々の事情も考慮して、会議では時間をかけて検討がされてきていたのだ。
「あとですね、昔と違って、今や日本のレール網は寸断されています。
新幹線が開業すると、その地区の在来線の路線の多くは廃線となり、もしくは第3セクターに払い下げられています。
確かに昔は蒸気機関車が日本全国を走って巡るといったイベントも開かれていましたが、今では新幹線と在来線の線路をつないだような鉄道を走らせることは出来ません」
「それは、どういうことだ」
確かに過去には日本全国が1本のレールで繋がっており、どこまでも線路は続くと、特別な車両を使って日本を一周できる時代もあった。
しかし、新幹線の時代となった際、鉄路の建設が終わり新幹線の営業運転が始まると、それまでその路線を走っていた従来の鉄道路線は廃止されるか、廃止を免れた鉄道路線は、第3セクターに私鉄として移管されていった。
他社に移管された路線は経営母体が変わるため、そこは料金徴収者が異なり、同じ場所に駅舎は残っても、改札は別れ、以前は繋がっていた線路もホームで分断されてしまった。
こうして在来線の鉄道網は分断されてしまい、新幹線や3セクに乗り換えたり、廃線区間はバスを使わないと乗り継げなくなっていた。
そのバスですら、さらにその後に廃止されていった路線は少なくない。
「先生は、鉄道というものを良くご存じではないのですか?
新幹線と蒸気機関車では、敷かれている線路の幅が違うのですよ。
なので、新幹線の幅が広い標準軌に、車輪の幅が狭い狭軌の蒸気機関車は走らせられません」
「誰がそんなややこしいことしたんだ!
そんな事は、技術屋に言えば何とかなるだろう?」
「それが出来れば鉄道屋さんは苦労していませんって。
理想論は結構ですが、最初に技術的に可能かを確認して頂かないと、無理な事だって沢山あるんです」
鉄道網として、在来線と新幹線の線路を結んで補完しあう事で、地図的には繋がって見える部分もある。
日比谷会議としても蒸気機関車を日本一周走らせたかったのだが、途中で線路の幅が異なるため、蒸気機関車は狭軌である在来線にしか走らせる事が出来なかった。
具体的な話をされると、その議員が描いた絵図は潰える事となった。
余計な横やりで計画が遅れてしまったが、日比谷会議では当初の計画通り蒸気機関車の利用は日本一周ではなく、都市と生産地を結ぶ短距離輸送をする事になった。
しかし、新幹線の標準軌道を使い、全国を走り抜けることが出来る新たな方式の機関車が作れないか、残っている車両製造会社に打診も始まった。
復興が見え始め、いよいよ大掛かりのインフラ復活が行われ始めようとすると、いろいろな利権争いなども同時に現れ、それは復興を妨げる暗い影となるのであった。
そして利権に染まった政治家達は、多額の献金を受けてきた支持団体の強い苦情や陳情を受けて、選挙区から東京へと戻る事になっていった。
日比谷会議の立ち上げから参加してきた議員とは異なり、族議員にとって、資産や利益を一切無視して純然と復旧を進めようとする日比谷会議は、とても目障りな存在であった。
運転手付きの高級車や、グリーン車やビジネスクラスしか使ってこなかった彼らにとって、この東京への道中は苦行の旅であり、日比谷会議へのお門違いの恨みを更に高める事になってしまった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
しかし、その日本全国で蒸気機関車を走らせるという検討は無駄にはならず、思わぬところで別の結果をもたらしていた。
それは、蒸気機関車への水の補給方法の検討が行われることになり、全国ともなると川が近くになく、水を引き込んでくる事が難しい場所が多く、『だったら給水所に井戸を掘ればいいじゃないか』と言う話が出てきた。
そして日比谷会議では、それを解決する為の新たな分会が生活分会と共同で起ち上げられ、電気やエンジンが使えない中で可能な井戸掘り技術の検討と実験が、蒸気機関車の分会と並行して行われ始めたのだ。
人が生きていくためには飲料水を必要とするため、水道の復旧については特に強く望まれていた。
その為に、この分会で確立された井戸掘り技術が、蒸気機関車が走るよりも早く、全国に広がってゆく事になった。
これは図書館に残っていた古い文献からいくつかの試掘方法を探し、そして実際に試すことが出来た、電気や重機を使わずに人力で井戸が掘れる『上総堀り』という方法が採用された。
上総掘りとは、千葉県の上総地区で明治時代から行われていた井戸掘りの技術であり、最大500mほどまでの深い掘削が可能である。
そう、背の高い電波塔に匹敵するような深さである。
地下水脈は水が浸透しない地層である帯水層の上を高低差に沿って流れてくるが、地面が深くなると帯水層が重なった地層があらわれる。
天地を塞がれた状態で高い山から流れてくる地下水脈は、井戸を掘る低い平地では水圧が高くなり、この層にまで達した深い井戸は、ポンプを使わなくとも地上まで自噴することが出来る。
上総掘りでは深い穴を掘ることが出来る為、地形にもよるがこの自噴する深井戸という物を作ることが出来た。
上総掘りの井戸は、深い井戸が必要な温泉の掘削や、近年でもアフリカなどの水源開発で、重機が入っていない場所であっても人力で井戸掘りが出来る方法として、日本から技術指導などが行われてきた経緯がある。
上総掘り以前の井戸掘りと言うと、大きな穴を人が掘っていく方法から始まり、先が尖った固い鉄管で地面を突いて穴を開ける突き掘り、現代で言うパーカッション・ボーリング方式に進化した。
しかし、穴が深くなり鉄管を継ぎ足していくと、鉄管の重量が重くなりすぎ、人力では鉄管を支えられなくなり、それが穴の深さの限界となっていた。
上総掘りには、いくつもの技術が考えられて用いられている。 昔の事であるので、地域により呼ばれた名称は多少異なる事が有る。
そこでは鉄管を長く繋いでいくのではなく、竹を割って作った『ヒゴ』と呼ばれる竹ひごを使い、ヒゴの先には数メートルもある鉄管の先に硬い鉄のノミを付けた『堀鉄管』が取り付けられた。
先端の重い堀鉄管を、鉄に比べ十分に軽いヒゴを継ないで延長し、何度も地面に叩きつけて、少しずつ穴を掘るという方法である。
竹ひごと言っても小学校の工作で使うような極細い物ではなく、ヒゴは太さが何センチかある丈夫なものである。
垂直方向には伸び縮みしない竹の特性を利用し、そのヒゴには『シュモク』と呼ばれる取り外し式の持ち手が付けられ、シュモクを掴んで重い堀鉄管を地底に打ち付けて穴を掘り進んでいった。
いくら先端だけとはいえ重い鉄管をぶら下げたヒゴと、更にヒゴを数百メートルと長く継ないでいくとヒゴ自体も重い物となり、それを何度も上下に動かす作業は大変である。
そこで、竹の弾性を利用した『ハネギ』と呼ばれる弓状の竹バネを櫓に取り付け、そのバネに結んだ紐で地底より少し上にヒゴを吊り下げる事で、体重をかけてヒゴを地底に押し込むと、ハネギのバネの力で上に戻ってくるという省力化が図られている。
穴には粘土を混ぜた泥水が入れてあり、削った土は堀鉄管の中に入って行くと共に、周りの泥水と混じりあう。
ある程度穴を掘ると、土が溜まった堀鉄管を地上に引き上げて、今度は泥水を掻き出す『スイコ』と呼ばれる器具に交換し、これで穴の中の土砂を排出し、これを交互に繰り返してさらに穴を深く掘ってゆく。
先端器具を何度も交互に取り換える為、穴が深くなりヒゴが数百メートルともなると、穴から引き出す作業は容易ではない。
そこで櫓には、中に人が入れる数メートルある大きな径の足踏み式の回り車である『ヒゴグルマ』が組み入れられていた。
その大きな回り車の中を、ハムスターのように人が歩くことで、ヒゴグルマの外側に巻き付けられたヒゴを地底から引き上げたり、下ろす事ができた。
ここでも、横方向にしなやかに曲げることが出来る竹の特性が利用されていた。
この方法は、手に入りやすい安い資材で穴掘りができ、作業も省力化が図られ、掘った穴の中に人が入る必要がない、とても安全な方法である。
上総掘りは、地元に沢山有った竹の特性を良く理解した人間によって考えられた、とても素晴らしい伝承技術である。
今回の井戸掘りではその上総掘り技術を応用し、残っている資材を使い井戸の試掘が行われた。
竹材や鉄管などの使いたい素材は、ホームセンターにまだ沢山残っており、櫓についても足場用鉄管を使うことで簡単に組みあがった。
高炉が停止した中、新たに鉄を製造することは難しいが、まだまだ使える素材はどこかの倉庫には残っている。
そしてホームセンターの空き地で試掘をすることを交渉条件に、ホームセンターに残っていた井戸掘りに使える資材を無償で譲り受け、上総掘りで水を得る事が確認されると、次々といくつもの井戸掘りが始められた。
関東は火山灰が堆積したローム層なので、海に近い場所では水源が海面より低くなり、場所により井戸水にも塩分が含まれている可能性が高い。
飲料水用の真水が出る井戸を掘る為には、深い地下水脈を引き当てる必要があった。
上総掘りは、その深い地下水が掘れるためにも重要であった。
あちこちで上総掘りの井戸掘りが始まり、僅かではあるが飲料水の問題を解決する道が開き始めた。
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