6-6 アルキメ デ スイッチ
昼を過ぎ、街には正午を知らせる3回の鐘が鳴り響いていた。
この鐘の音は、日比谷会議の生活分会が行っている物である。
以前であれば、宇宙天気予報を発表していた、あの情報通信研究機構、通称NICTが日本国としての標準時の管理を行っていた。
そして、誰もが電波やインターネットを通じて、NICTから提供される日本の正確な時間を知ることが出来た。
人々に共通した正確な時間と言う物が失われてしまったため、鐘の音は少しでもそれを解決しようという生活分会による標準時の提供の仕事であった。
各地の寺の鐘や、鐘の音が届く範囲に次となる鐘がない場合、生活分会がお願いして地域の自治会で新たに設置した鐘を鳴らしてもらっている。
そして、皆が時刻を失わないように、毎日、日の出の時刻には1回、9時には2回、12時には3回、午後3時には4回、そしてその日最後の午後6時には5回の鐘が撞かれて、時刻を知らせていた。
朝一番の鐘は日の出と言う、とても朝早い時間から鳴らされていたが、これは重要であり、暗い家の中で寝ている人に知らせる意味もあるが、多くの人が夜明けと共に行動を開始するようになった為、早朝こそ鐘の音が必要であった。
日の出は季節の太陽の状態により変化するので、一番鐘が鳴らされる時刻だけは太陽に同期して毎日少しずつ変化していった。
また、曇ったり雨の日などは太陽は見えないが、生活分会から配られた日の出時刻の表を元に、一緒に渡された自動巻きの腕時計に合わせて、各地で同時に鐘が撞かれていた。
その腕時計の基準は、日比谷公園に設置された日時計の昼12時を基準に合わされており、貸与されている腕時計は定期的に回収されて、日比谷で時刻合わせが行われていた。
機械式の時計は精度が低く、短い間隔で時計を合わせるという作業が必要になる。
また、音の速度は比較的遅いので、鐘から離れた場所に住んでいる場合、音が聞こえるまでの誤差は大きくなるが、皆が時計を持たなくなった世の中で、秒単位の遅れを気にする人はいなかった。
日比谷会議新エネルギー分会では、新たなエネルギー源を探してきたが、残念ながら電気を介さずに長期的・永続的に用いることが出来るエネルギー源は見つからなかった。
先ほどの時刻の同期について、そこでは電気を使わないでも動く機械式の古い腕時計が利用されることになったが、同様に古い機械や装置の見直しが話し合われていた。
これまでであれば、熱や運動などのエネルギーを一旦電気エネルギーに変える事で様々な装置で利用する事が行われてきた。
その中で、自然現象から『力』を取り出す方法として、古くから使われて来た物として水車がある。
水車の良いところは、金属製の精密な機械装置を作らなくとも、木製の水車を川の側に設置する事で利用することが出来たため、日本でも昔からよく利用されてきた方法である。
水車は水の流れ、すなわち高いところから低いところに流れる水の力、その高低差による地球の引力を使っている。
高低差から生まれる水の位置エネルギーを、水車で回転エネルギーに変え、水車小屋では回転する水車の芯棒を使い、それで杵の上下運動を作り、下に置かれた臼に杵を落とすことで、搗くという連続的な作業を行っている。
単に水車と言っても、いろいろな形式があり、水車の天頂付近から桶状に作られた羽根に水を流し込む上掛け水車は、水の重量を最大に引き出し強い力を得ることが出来る。
ただ、水車を今ある工場に用いる為には、一定の流量が得られる川を工場の近くに引き込んでくる必要がある。
工場の移転は難しいし、ましてや川の流れを変えることなどは、今使える技術では途方もなく時間がかかる事になる。
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日比谷会議でも頭を悩ましていたが、町の機械工場でもその方法を探っていた。
このまま機械が動かないこと、それは自分たちの工場が破綻する事を意味していた。
ここは中小企業の中でも板金加工を専門に行う工場であり、以前であれば大きなプレス機やNC加工機を使い、鉄板を切ったり、穴を開けたり、折り曲げたりといった金属加工を行ってきた。
しかし、機械が動かなくなり、せめて手作業で良いからドリル刃を使って穴を開けたいと言う事で、昔ながらのボール盤の復活が試みられていた。
ボール盤は、モーターで回転した軸の先端に付いたドリルビットを素材に押し当てる事で、穴を開けていく。
機械的にもシンプルな構造なので、これまで使っていたモーターの代わりに、回転軸に外部からの動力をつなぐ事で、再び穴あけ作業が可能になると考えていた。
たとえボール盤が復活したからといって、すべての作業が出来るようになるわけではない。
それでも機械で穴があけることが出来れば、それは加工の基本であり、止まってしまっている工場の復活の初めの一歩になると言っても良いだろう。
その為に、ボール盤を回す為にモーターの替わりとなる、外部に溜めておける力を探していたのだ。
「社長、やっぱりこの大きなハンドルを社員が押してグルグル廻すのでは、無理じゃないですか?
なんか俺達ローマ時代の奴隷にでもなった気がしますし、すぐに疲れちゃって、長時間の回転を維持できませんよ」
社長が書いたアイデア図を見ながら若い社員は話していた。
「うーん。 そうかなとは思ったが、やはり無理か。
牛がいれば、善光寺まで曳いてくれるんだがな」
「何ですか、それ?
牛の替わりに俺達に紐を巻き付けて、引っ張らそうって話ですか?」
社長はまだ何かを考えているようで、独り言をつぶやき出した。
「でも、回転軸にロープを巻きつけておいて、そのロープを牛が強く引っ張れば、軸は回るな。
でも牛がいないから無理だとして、回すのであればゼンマイみたいに力を溜めておけないかな。
ん? ゼンマイか! そうか、それで力を保存しておく方法もあるんだな……」
「社長、ゼンマイって山に生えているあれですか?
それって、食べるとキノコのようにパワーアップするのですか?」
「そうか、君の世代はゼンマイを使った機械の中って見たことが無いか……」
ここでいうゼンマイとはもちろん植物の山菜などではなく、電気を使わない昔の時計や玩具に用いられた動力源となるバネの事で、ねじを巻くとでゼンマイバネに力が保存され、後からその力を取り出し使う事が出来るものだ。
そして、鐘撞の人に貸与された自動巻きの腕時計は、腕時計に加速度が加わった時、時計の中に慣性を作用させてゼンマイが巻かれる仕組みが組み込まれている。
腕時計をしたまま普通に生活していると、自然と腕を動かす事になり、いちいち時計のネジを巻かなくとも、その腕の動きで少しづつではあるが、常に時計の中でゼンマイが巻かれているのだ。
そのゼンマイの原理は、板バネとして弾性が高い薄い鉄板が、渦巻状にゆるく巻かれており、ゼンマイの中心に付けられた軸をネジ巻きで巻き絞めると、鉄板が元の形に戻ろうとする反発力が働き、その軸が回転する。
貯えられる力はゼンマイの板バネの長さにも関係するので、柱時計などで使われるゼンマイでは、板厚がなるべく薄く長いバネ板を用い、力をたくさん溜めることで長時間働いた。
しかし、板を薄くすると強度が低下する為、ネジを強く巻き過ぎて時計のゼンマイが切れてしまう事故は良くあった。
今回のように強い力を必要とする機械を動かすには、強い反発力が必要であるが、それを巻くには大きな力が必要となり、さらにゼンマイは最大でもその巻いた板が重なるよりも巻くことが出来ず、力を貯めるには限界がある。
そして、社長はボール盤の軸を回す方法として、ゼンマイのように事前に力の元を溜めておき、必要な時に蓄えておいた力を取り出して用いる事を考えていた。
「水車を回すための水を高い位置に貯めておけば、いつでも水車を回すことは出来るな」
「でも、ポンプが動かないのに、どうやって水を高い位置にあげるのですか?」
「そりゃお前がバケツを担いで、階段を上がってさ」
「やっぱりそれじゃ、やっぱり俺がローマ時代の奴隷になっている絵が頭に浮かびますって」
「それは冗談だとしても、風が吹いたとき風車で持ち上げて溜めておく方法もあるな」
「社長、でもここにはそんな大きな風車を設置するスペースは有りませんし、大量の水やそれを入れるタンクも有りませんよ。
それに、もし在庫の鉄板が漏れてしまったら、それこそ今度は今ある材料もすべて逝っちゃいますよ」
「もっとも風はいつ吹くかわからないし、こんな街中まで川を引き込むわけにもいかないしなあ。
うちはボイラーの設備は無いから、蒸気を使うことも出来ないしな。
でも、水より重い物が有ればって…… そうだ、餅は餅屋、うちは鉄屋だった!
だから、餅より重い鉄をあらかじめ高い位置に持ち上げておいて、ベルトにつけた箱にその鉄を入れ、ベルトを一周回して、回転軸から回転を取り出せば……」
そして、社長は訳が分からない事をブツブツとつぶやきながら、頭に浮かんだいくつかのアイデアを紙に書き始めていた。
「おい、うちの工場に使わなくなったベアリングって、まだ捨てていないよな?」
「はい、社長が捨てるなって言ってたから、まだ残っています。
沢山残っていますから、倉庫の棚を何段も取ってますよ」
軸の回転をスムーズに動かすベアリングには、軸の間にいくつもの鉄球が入っている。
たまたま以前仕入れた、1センチくらいの鉄球が入った大きなベアリングの在庫が沢山残っていた。
「これで、鉄球の重量を使って、それを位置エネルギーとして保存して、その伝達も出来るな、と……」
社長はどうやら不良在庫のベアリングをばらして、取り出した鉄球で何かをするようだ。
「資材を運ぶベルトコンベアに箱を取り付け、それを梯子のように2階の踊り場もしくは壁の周りのキャットウォークに斜めに立てかけよう。
ベルトに付けた箱に、高い位置で鉄球を入れると、鉄球の重さで箱を付けたコンベアのベルトが下に降りるてくる。
そして、箱が一番下まで下がってくると、ベルトで回転する為に、箱は下を向くので、そこで箱の中の鉄球は下に排出される。
高い位置の鉄球を連続して補充できれば、コンベアは下に向かって動き続け、空になって軽くなった箱は再び上昇し、うん、これで連続的にコンベアは回転できるな」
丸い鉄球はレールで溝を設けて、レールに緩い傾斜を付けるだけで、自らが転がることで指定した場所まで転がっていく事は出来る。
うん、いけそうだ」
「社長、どうやってその床に戻ってきた鉄球を踊り場の上にまで運ぶのですか?」
「鉄球は手で持てるから、バケツにでも入れて階段を運んでも良いぞ!
でも、天井の滑車を使えば高い位置でも小さな力で鉄球を持ち上げられるな。
まあ、軽くなる分、何度も滑車を引くことにはなるけどな。
鉄球を2階の踊り場に溜めておければ、必要な時に回転力を使うことが出来るな。
うん、これであればこの板金工場にある資材だけで何とか作れそうだぞ」
社長は、鉄球が引力から受ける位置エネルギーを利用し、それを回転運動に変え、連続的に動力を得る事を考えていた。
金属加工工場の天井には高い位置にクレーンが設置されており、作業場にはむき出しの鉄製の階段や踊り場が設けられていたので、良く知った自分の工場をベースに、社長は新たに考え付いたアイデアを図面を起こし始めていた。
社長の考えは、重量物である鉄を高い場所に一度持ち上げておき、必要な時に降下させることで、位置エネルギーの保存と、重量物に丸い球を用いる事で、人が運ばなくともレールの上を自在に転がり、移動させる事が考えられていた。
かなり大掛かりな装置ではあるが、それを組み立てる為の材料は工場の中に眠っていた物だけで考えられていたので、工場ではすぐに試作に取り掛かっていた。
そして、そのベルトコンベアはボール盤の近くの壁にあるキャットウォークに斜めに掛けられ、床にあるベルトコンベアの軸からは、連結シャフトにより回転は取り出され、さらにクラッチを挟みボール盤に連結された。
ベアリングの鉄球はバケツに入れられて、滑車で踊り場まで引き上げられると、そこでバケツが傾き、踊り場に置かれた受け入れ箱に転がり込んだ。
踊り場の箱からは、ゆるい傾斜が付けられたレールがキャットウォークを通り、ベルトコンベヤまで敷かれている。
そして、踊り場からレールを転がってきた鉄球は、レールの先端まで来るとゲートで止められ、ベルトコンベアのベルトに付けられた箱が頂上を過ぎる時にゲートが開く仕組みが付けられており、一定量の鉄球が自動的に箱に入って行く。
そして箱に入った鉄球の重さでベルトコンベアは回り始め、ベルトで回って箱に次々と鉄球は入って連続して回転が始まった。
床付近に達して、ベルトの箱から排出された鉄球は、床のレールを伝わり踊り場の階段付近まで転がり、ここでもストッパーで止められた。
そして踊り場から滑車のバケツが降りてくると、その中に一定量がガラガラと入って行った。
連鎖で動くこの装置は、『アルキメ デ スイッチ』か?!
この装置により、安定した回転エネルギーが得られる事になり、ボール盤に続き、電気を使わずに旋盤や、フライス盤など、工場は再び動き始めたのであった。
この頃になると電気を失った世界を認識し、その中で藻掻き、そこから懸命に脱出しようとする人々が現れはじめ、この工場のように小さくはあるが、確実に社会は変わり始めた。




