6-5 ショッキングな予測
日比谷会議では、もしこのまま復興が捗らなかった場合の、将来の日本人の生存率を予想する特別な会議が、テントではなく室内を用いて内密に行われていた。
この会議は復興を目的としたものではなく、復興に失敗してこのままの状態で世の中が推移していった場合に、どれくらいの人間が生き残る事ができるであろうかという、人口の推移を予測する、ある意味とても恐ろしい検討会であった。
その結果を基に、なにが生存率を下げることになり、どこをどうすれば生存率の低下を回避できるかと言う検討を行う為の会議である。
この会議では、総務省の統計局が持つ過去からの詳細なデータを基に検討されていた。
集められた膨大なデータは統計データとしてまとめられ、その一部は総務省のウェブで一般にも公開されていたが、今ウェブを見ることが出来なくなってしまったので、元のデータを使って検討されていた。
当然、その中には一般公開ができないデータも多く含まれていたため、この会議は内密に行われていた。
「報告をまとめますと、大失電後、最初の1週間ほどで、事故や火災などの災害、そして病院などでは生命維持装置や治療機器の停止など、それらにより全国で100万人近い人が亡くなったものと推定されています。
現在正確な統計を取る手段はありませんので、報告はあくまで推定であるとお考え下さい」
「あれほど多くの人が亡くなってしまったと感じていたのだが、それでも死亡者は人口の1%にも満たないのか」
「しかし、この予想結果にある10%とはなんだ!」
多くの人が、渡された資料の最終予想結果の10%という数字をみて顔をしかめていた。
この会議は、死亡者の割合を求めるのではなく、ここで提示されている予想結果の数字は生存率である。
自分たちで導き出した結果の数字に、皆愕然としていた。
「たったの10%しか、日本人は生き残れないのか……」
「これまでの90倍近い人が、ここから更に亡くなるって事か……」
これまで食料を輸入に頼ってきた日本の食糧自給率は極端に低い。
そして資料では、その大きな死亡原因として、今後発生する国全体での食料不足による餓死と、栄養や免疫力低下した中で、衛生状態の悪化による疫病による死亡となっていた。
「この数字の根拠としましては、鎖国によってまだ日本の主食の輸入が行われておらず、食料自給率が100%であったと仮定できる、江戸末期を想定しています。
江戸時代と比べ、埋め立てなどにより、陸地面積は多少増えていますが、日本では山林が多く、農地として利用できる面積はそれほど変わっていないため、その日本国土の面積で、どれくらいの人間を養うことが出来るか検討しています。
江戸時代は、米の収穫量である石高が武士の給料となっており、米をお金として経済を回していたため、作付けとしては田んぼの面積は大きく、また農業に従事する人間の比率は現在よりずっと高かったと思われます。
その江戸時代の農地ですが、およそですが300万haほどであったと過去の資料が残っています。
覚えているかもしれませんが、1haは一万㎡で100m×100mの面積です。 ちなみに1aは100㎡であり10m×10mの面積ですね。
そして、この米で養われていた日本の人口ですが、江戸後期の日本では3000万人程の人口があったと記録されています」
「江戸時代と言っても、意外と多くの人口が有ったのだな。 いまの四分の一か……
北海道は開拓前の土地だし、東北に住む人口も今よりも遥かに少なさそうだから、江戸の町だけを考えると人口密度はそれなりに高そうだな」
「そうですね。
そして、次に時代を江戸から少し進め、昭和では大きな戦争が有った為、食糧増産が必要となった日本では、全国で600万haくらいまで農地が増えたようです。
この頃は、日本が焼け野原となった頃でもあり、多くの国土が農地に転用されていたと思われ、日本の農地が一番増えた時期ですね。
そして現在では、人口は最大にまで膨れ上がっていますが、多くの農作物は海外から輸入されており、農地は400万ha近くにまで減ってしまっています。
しかも、最近の農地として、北海度が全国の1/4ほどの面積を占めており、さらにいくつかの農業王国と言われるような地域が、全国の農地の大きな割合を占めています」
「それ以外の地域では、増えた人口に対して農地はすでに宅地などに転用されていて、あまり残っていないと言う事か」
「そしてですね、それら大規模農地では、高性能な近代農業機械を活用する事により、広大な面積の農地であるにもかかわらず、わずかな人間だけで大規模な耕作が行われています。
皆様もご存じの通り今回の大失電の影響で、これまでの農業形態はもはや成り立たなくなっています。
たとえ、これまでにような広い農場が有っても、大型農業機械が使用できない場合、人力だけで耕作や収穫などは不可能になってしまいました。
その代表的な大農作地帯である北海道は、そこは冬は極寒の地でもあるため、今後満足な暖房が準備できなければ、越冬できない住民はその地から引き揚げざるを得ないと考えます。
さらに大きな問題として、仮に従来のように大量の農産物が収穫できたとしても、それらを人口密集地域にまで輸送する方法が有りません。
野菜は時間とともに、すぐに傷んで食べられなくなりますから、その保管方法と輸送方法の問題も出ます」
「確かに、もともと人口密集地の近くには農家自体が少ないし、北海道のような大規模な農地も無いからな」
「従って、江戸時代の収穫量すら望めず、これらを改善しない限り、食糧事情がより悪化する事は必須と考えています
現在の農作物の耕地面積や農業従事者数を考えると、江戸時代の食糧の半分程度を確保する事が出来れば上出来であり、多分それを達成する事はかなり難しいと考えています」
「それはどうしてだ?」
「なぜならば、近年までは各農家で代々守られ増やされてきた、植物の種や苗が全国各地に存在していました。
昔の在来種の野菜というものは、各農家が自分で育てた野菜から出来の良い株を残し、何代にもわたって良い種として引き継がれてきたもので、それらは地場野菜として独特な特徴などが有りました。
ところが近年農家が持つ種は、種苗会社によりバイオ技術で作られた種を買っており、一世代限りの作物を目指したF1とよばれる種であり、例え育てた野菜から種子を採っても、その種からでは元の品質を維持できません。
ですので、長期的に栽培できる『種』が失われているのです」
「うーん、耕作地を増やしたり農業従事者を募集しても、継続して植えることが出来る種自体が手に入らないのか……
事態は深刻だな」
「江戸時代の農業で支えることが出来た人口ですら3000万人ですが、今のままの食料供給量では、それをかなり下回ってしまいます。
これら推測値を用い、今の状況で国内で生産できる食料の量から、今後の日本で養える人口が最大1000万人を割り込むと言う計算が出ました。
それが生存率10%の根拠となっています」
「恐ろしい数字だと思ったが、確かにこのままいくと、その10%すら甘い予想数字に思えて来たな。
江戸時代の地方の農民まで考えると、その時代の食糧事情が良かったとは決して言えないが、その江戸時代すら良かったと思えるような時代が来るのか。
そして、それが1年を超えて続くとなると、次に使う種子が無くなり、生存率はさらに下がるのと言う事だな」
これまで国内各地における食料自給を怠ってきた政治の付けが、ここで一気に出てしまった。
この日比谷会議では、その低い生存率を、これからどうやって引き上げることが出来るかを検討する事が本来の趣旨である。
あまりにもショッキングな数値で、皆黙り込んでしまったが、試算の根拠からも分かる通り、人口を維持するためには大量の食料生産が緊急に必要な事はわかっている。
「それとですね、一回だけ使える手が有ります。
それは政府として緊急用に備蓄してきた米などが倉庫にまだ有ると思います。
政府がこのような状態に陥っていますので、いまその政府備蓄米や民間の備蓄を誰が管理しているか判りません。
ぐずぐずしていると、誰かが持ち去る可能性もあり、それを使えるようにする為の態勢をすぐに整える必要が有ります」
「確かに、今の状態でも誰かがその蔵を開けるける鍵を握っている。
しかしこのような世界となり、眠っている備蓄を開放して使用しても良いという指示をいったい誰が出すことが出来るのか?
これは日比谷会議にはできない判断だな」
政府備蓄の使用は緊急用に限られており、その為に毎年米を貯蔵し、保存が5年をすぎた備蓄米は家畜の飼料にまわされてきた。
以前発生したコメ不足の危機から、将来の緊急事態に対して大きなお金をかけて準備してきてたものだ。
しかし、国全体が同時に被災し、さらに中央官庁も機能しないと、せっかくの備蓄ではあるが、その運用方法がはっきりとしていない。
「今、どれくらいの備蓄米が残されているんだ?」
「えっとですね、国民が消費する米の量が減っている統計結果から、備蓄米の量も減らされてきました。
なので、現在はその総量として全国で100万トンを切っています」
「えっ!
統計的に米の消費量が減ったといっても、国民は米だけを食べているのではないので、国全体で食べているカロリー量が減っている訳では無いんじゃないか?
その米は、今回のような本当の非常時用に保存された最後の頼みとなる米だろ?
だったら、単にコメの消費量が減ったからと言って、非常用の備蓄量を減らしてしまったら、他の食べ物が手に入らなくなったときに困るじゃないか!」
長期間備蓄できる食料品というものは意外と少なく、米はそれが可能であり、災害や緊急時で食糧供給が絶たれた場合、人々は備蓄の米に集中する事に成る。
民間の流通在庫として、米の在庫は国の備蓄量に対して最大3倍近くなるが、秋に収穫された米は収穫後から消費されていき、新米の出荷が始まるすこし前の夏の頃が、民間在庫の米が一番少なくなる時期である。 それが、今である。
さらに、すでにコンバインなど農業機械が使えない為、今年の収穫量の減少は避けられない。 いや大激減となるかもしれない。
「その100万トンの備蓄で、どれくらいの人間が食べて行けるのか?」
「最近の日本人は、年間50kg程度の米を消費していると言われています。
基本的に草食と言われる日本人ですので、主なタンパク質は植物から得ていますが、近年は肉からのタンパク質摂取も大きくなっています。
当然、米だけを食べている訳ではありませんから、米としてはこの量で済んでいます。
この年間50㎏という米の量、月でいうと約4kgですが、それは自宅で米として買ったり、外食で食される米、その他煎餅や餅などを足し合わせて考えますと、男女平均ではそれに近い数字で間違ってはないと思われます」
「まあ、うちは息子が大食らいだけれど、家族全体で見ればまあそれくらいだな」
「そして、さきほどの備蓄米の100万トンを月あたりの4kgで割り算しますと、もし1億人で備蓄米を分け合うと単純計算では2か月半食べることが出来る計算になります。
しかし、先ほど計算された人口が一千万人にまで減った場合であれば、それは25か月分になります。
ここで計算結果の数字が1年を超えますと、次の年には新たな作物の入手が可能となりますので、備蓄米で生き残れる可能性が出てきます。
備蓄米により飢餓が回避されることで、大幅な人口減少は回避できます。
すると、こんどは人口が維持された事により、供給可能な量を超えた大量の食糧が必要となり続け、やはりいずれ飢饉が発生します。
ただ、人口が減ると、備蓄は少なくともすみます。
最終的に生き残る人口は、これからこの国土で生産できるカロリーの総量が、養えることが出来る最大人口になると考えています」
「その生産カロリーと残った人口が消費するカロリーの天秤の均衡が取れた時、そこにいったい何人の日本人が生き残っていられるのかな?」
会議では、人口を維持したうえで飢饉を回避するための方策として、救荒作物の栽培、耕作可能な土地の確保、耕作従事者の増援、従来の農機具に替わる新たな工作機の開発、種苗の配布、そしてその運搬・保管などが提案された。
このままでは、時間と共に生存率は大きく下がってゆく為、特別な権利を持たない日比谷会議であるが、提言として各自治体に先ほどの検討結果が伝えられる事に成った。
会議での検討結果には、農協や政府倉庫が持つ備蓄米の開放、個人が持つ土地や家屋の放棄と、接取した土地を農地として確保、農業への強制従事など、以前であればネット炎上ともなりそうな過激な内容が沢山含まれていた。
それは生存率というグラフの傾きにすぐに反映する事であり、非常事態下において誰かが一刻も早く決断する必要があった。
そう、それは最終的には人の命の値段という考えに至る事になっていく。
そして、食料を増やす方法の議論は今も続いている。
「そこでですね、これはあくまで一つの方法であると思って聞いてください。
大量の食糧を得るために、以前の北海道の農地のような大規模の耕作地を、日本各地に作ります。
冬が長かったり、そこの地で冬越しが出来ない様な地域は避けた方が良いでしょう。
その為には、人口密集地に近い平野部に、国が民間の土地を強制接取して、土地をひとまとめにして大規模な公営農園を作ります。
もしくは、今ある大規模農地を生かして、その周辺の農地や宅地も、さらにその農地に集約します」
「それは、国営農場や集団農場と言う考えなのかね?」
「国営農場は、国民から提供いただいた土地を国の農場とし、そこに人を配して国の農場として耕作してもらう。
集団農場では、地域の大規模農家に国が協力し、採れた収穫物から一定の割合を国に納めてもらう方法ですね。
いずれにしても国がかかわり、これまで自由経済で作られ流通して来た農作物を、今度は国がコントロールしたいという考えですかね?」
「今のままでは、飢饉となっていく事は目に見えていますので、なんとしても大量の食糧生産を計画しないと、大変な事になってしまいます」
「それは理解できますが、国営農場となると、大根一本を盗みに畑に忍び込んだら、自衛隊の人が銃を構えているなんてことになりませんかね?」
「確かに、既に農作物の盗難や強奪被害するあるようだ。
農家の人だけでは、それらの監視は無理だと思われますね」
「あの、僕も意見が有ります。
大規模農法の真逆ですが、国民総農家化と言うのはどうでしょうか?
全員がどこかに農地を設け、自分が食べる食料は自分で育てるって言うの」
「君さ、それが出来れば国として苦労しないよ。
以前にもそんな理想論を語る奴がいたから、会議から追い出してやった。
そもそもそれを育てる土地や、その種はどこから持って来るんだ」
「そうだな。 あまり非現実的な事を提案されるのは時間の無駄になるから困るな」
批判的な意見を返されてしまい、提案した男は悲しそうな顔をしていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「マリエさん、この前聞いていただいた僕の国民総農家化の話、覚えていますか?
今日会議の場でそれを話したら、大批判を受けちゃいましたよ。
やっぱり、ちょっと無理だったのかなぁ?」
日比谷公園のベンチで、落ち込む男の話を聞いていたマリエは、
「この前も言ったけど、自分で行動せずに、誰がやってくれる事を期待しての意見だったらそれは失敗するわね。
その意見を考えたあと、あなたはそれについて具体的に何かをやったのかしら?」
「いえ…… 特にはやっていません。
そもそも国民全員にやってもらう作業なんて、どうやって始めたらいいんですか?」
「うーん、そこね。 君の問題点は。
世の中には人に頼らず、自分の考えで動きだしている人達もいるわよ」
マリエは、今頃行われている、地理部の会議の事を思い浮かべていた。




