5-4 若き市長と市民会議
各地が停電により壮絶な状況となる中、日比谷会議のメッセージも届かないここは、日本海に面した山形県の庄内地区にある鶴田市。
江戸時代には、北前船による海上貿易により大きな富を得た町でもあり、古き思いや文化が沢山残されている良い町である。
北前船は、風の力で日本海各地の港を廻っていた木造船であるが、海上で単に荷物を運ぶ船とは異なっていた。
現在でも、海上運送には船で荷物を運んでもらう荷主がいて、船会社はその荷物を運ぶことが仕事である。
しかし、北前船は違っていた。
それは、船自身が各地の港で商品を買い付けを行い、以降に立ち寄った港でそれまでに買い付けてきた商品を売ると言う、『買積船』と呼ばれる商売をしており、今でいう移動販売のような物である。
その為、鶴田市は現在こそ山形県の地方都市ではあるが、古くには海路により日本海の貿易港同士が結ばれており、山を越えた県の中心よりも関西や遠くは江戸までもの文化交流をもった地区である。
しかし時代が進むと陸上交通が発達し、どうしても天候に影響されてしまう海上輸送というものは衰退してしまった。
特に日本海は、冬場は大荒れとなってしまう日が続くのだ。
しかし、この地の陸路は大きな山脈に阻まれており、新幹線もそこまでは届いておらず、例え飛行場はあっても路線や便数が少ないなど、交通的にも取り残された感が否めない街となってしまった。
県の商圏としても、中央部からは少し遠い目で見られてしまう。
しかし、ここには最上川がもたらしてきた肥沃で恵まれた土地が広がり、またメーカーの工場なども多くあり、経済的にも少し独立した地域である。
ここ鶴田市役所も周辺地域との通信が途絶えてしまい、県庁との連絡すらできないでいた。
「この先がどのような状態になっているのか判らないから、無理があるようであれば引き返してくれ。
では二人とも、くれぐれも怪我が無いように、気を付けて行って来てくれたまえ」
「はい、市長。 では行ってきます」
昨日の朝早く、市の職員二名を自転車で県庁に向かわせたのだが、まだ到着できていないと思われる。
今回は月山を山越えするルートを選択したので、県庁までは距離的にここから100kmもないのだが、山を越えるまではずっと上り坂が続くので自転車には厳しく、長いトンネルはライトが点かないので避けて走る必要がある。
そして、暗くなる前に道路周辺の安全な場所を探してビバークする事になる。
停電からは各地で混乱が発生しており、道中でも何が起きているかわからないので、到着にはどうしても時間がかかるものと思われる。
送り出した責任者として、彼らが無事に到着して戻ってくるまでは気が抜けない。
停電から既に1週間が過ぎ、まだ30歳代前半の若い鶴田市長は、市役所の市長室の中で悩んでいた。
彼は市長としては珍しい、工科系の大学を卒業した理科系バリバリの人間であり、今回の停電の異常性について自ら推察して気が付いていた。
多くの自治体がまだ何かしらの動きすらできずにいたこの時期に、彼は『現在何かわからないが大きな問題が発生していて、それをこのまま放置した場合、市民生活が破綻する』との独自の考えがまとまった。
そして、それに対処する方法を、短期、中期、長期と様々な方向性から検討すべく、職員達と検討と計画を進めていた。
この地区はもともと米処であるために、非常に広い面積に耕作された水田がある。
この秋にその米を確実に収穫しないと、中期的、長期的な食料問題が発生する。
また、ここ鶴田市でも銀行が営業を停止しているので、短期的にも経済の凍結が心配されている。
今回は市長の呼びかけで、行政、警察、消防、自衛隊などの公共防災機関の代表のほか、鶴田市周辺の町村の行政、小中高校の学校長、そして市内の各町会長までも1,000人ほどが座れる市民会館に一堂に集まってもらった。
これまで、市の関係者をこれほど多く一堂に集めたことなどは無かった。
本当は明るい屋外で集会を行いたかったのだが、電気を伴う音響設備は使えないために、一度に多くの人に話しかける為には、どうしても声が響きやすい屋内ホールを使うしかなかった。
階段形状の市民会館ホールの中には沢山のオイルランプが置かれ、薄暗く蒸し暑い中、会場は騒めいていた。
「皆さん! 本日はお集まりいただきましてありがとうございます!」
会場に現れた市長はメガホンを手に、大きな声で舞台から挨拶をした。
拡声器は使えないため、メガホンと言ってもスポーツなどの応援に用いる黄色いプラスチック製の物だ。
「今日は、まず最初にお詫びから始めます!
今回、このような事態になり、市では何もできない状態が続いており、大変申し訳なく思っています!」
市長は、遠くの人にまで声が届くように、必死に声を張り上げながら、そしてゆっくりと話しかけている。
「そして、いまだにその原因すら判明しておりません。
さらに、外部との連絡すらできておらず、現在市の職員を自転車により県庁にまで送り出していますが、未だに彼らは戻って来ておりません。
既にご存じの通り、電気はもちろんの事、市が提供するインフラである、上下水道、ガス、バスなど交通機関もすべて停止しています。
市内でも遠方からこの会場にまでいらして頂いた方には、交通機関が無い中、大変なご苦労をおかけしました」
市長は声が枯れそうになったので、一度水を飲んでから話を続ける。
最初はざわついていた会場であるが、遠くで必死で叫ぶ市長の声を聴き洩らさないように、話している人には周りの人が注意をし、会場は静まり返っていた。
「私は、市民の大きな混乱を防止するためは、正確な情報開示が必要であると考えています。
噂という物は怖いもので、常に悪い方向への内容にすり替わって届きます。
この会場で各組織や町会の長の方に直接集まって、私たちの話を聞いていただくことで、第三者によるデマなどに惑わされず、最初に正しい情報を伝える道を付けたいと思っています。
今日は、これから皆さんとの今後の情報伝達方法について、そしてこれからの市民活動、最後にお金についての話を行いたいと考えています」
そこまで話すと、市長はメガホンを隣にいた職員に手渡した。
「では、情報伝達についてご説明いたします。 私は、広報課の広川と申します。
本来であれば、今日皆様にお配りすべき配布物があるはずですが、いま印刷する事ができませんので、皆様ご自身でメモを取って頂くか、この後廊下にも紙を貼り出しますので、そちらをご参照ください。
同様に、今後の連絡につきましても、大量の印刷物を作成して各所宛てに配布することが出来ません。
そこで、役所にて最初の何枚かは手書きしまして、それを回覧板のようにして各組織や各町会などに配布しますので、それを複写してさらに下位の回覧ルートに廻してください。
市役所では、まだ最適な回覧ルートというものが決まっておりませんので、明日第1回の連絡回覧網の実験を行い、それで検討いたしますので、皆さまご協力をお願いします。
もし明後日になっても回覧が届かない地区がある場合、そこは未到達地域ですので、周辺地区で再度回覧ルートの検討を行ってください。
想定した明日の回覧ルートを、この後に廊下に提示しますのでご確認ください」
「次に市民生活について、環境課の吉田が説明をさせていただきます。
まず、水道が止まっておりますが、残念ながら給水車を市内に動かすことが出来ません。
ご迷惑をおかけしますが、今のところ水道の復旧は長期戦であるとお考え下さい。
まず、各所へ給水するために必要なポンプが使えません。 これにより、給水水圧が得られずに、それは地上の高低差の影響を受けます。
それに対応するために、山の上流にて新たな水源を確保し、給水ポンプを使わず、従来の送水管へ高低差による水圧を利用した給水ルートを検討しております。
上水道とするためには、さらにその水源付近に新たな浄化設備の設置工事が必要となりますので、最初に通水できるまででも数ヶ月かかるものと考えております。
また、今敷設されている送水管のルートでは、高低差の関係で水を通せない箇所が多く考えられますが、途中で加圧する方法は今のところ有りませんので、市全域への給水となると、全く予定が立っておりません。
次に下水道ですが、いろいろ不都合が大きいことは十分承知したうえでのお願いですが、今後下水道への排水はご遠慮ください。
こちらは汲み上げポンプが動かない為、目途すら全く立っていません。
また、ゴミ回収は人力でリヤカーを曳いての回収となりますので、市民の皆様が出されるゴミの回収量が多くなりますと、今の職員では運搬が不可能となります。
可燃ごみにつきましては、地区で管理して焼却処理を行い、生ごみ等はコンポストなどで処理を行い、極力ごみ減量にご協力ください。
火災が発生しても、水道は止まっていますし、消防車は出動できませんので、焼却する場合、決して野焼きなどはせずに、必ず焼却炉を用いて、くれぐれも周辺火災を起こさないように注意してください」
「続きまして、政策課からお話しさせていただきます。 そして、これは市民皆様全員への協力のお願いとなります。
これから、この地域では秋に向けて米の収穫期が近づきます。
皆さんも以前であれば田んぼのあちこちで見られたように、コンバインという農業機械を使うことが出来れば、米の収穫は簡単に行うことが出来ました。
しかし、残念ながら、エンジンが必要なコンバインは動くことが出来ません。
ここでこのまま秋の時期を逃すと、米の収穫は出来ずに、それはそのままこれからの皆さんの食糧問題に繋がります。
そこで、『市民全員による農作業への従事』をお願いしたく考えております。
しかし、いきなり農作業は難しいと思いますので、秋までに各町内毎に農作業訓練の実施を検討しています。
ここで、合わせてお金の話もさせて頂きたいのですが、今金融機関は停止しており、お金の流れという物が止まってしまっています。
先ほどの農作業についても、お手伝い頂いた方に対しても、農家はお支払いするお金は有りません。
そして、市長は、今後もお金という物が使えないであろうと予測しています。
そこで、今日この中にもご出席いただいていると思いますが、市長は多くの農家の方と話し合いを行いました。
そして今回の市民による農作業のお礼として、この市が発行するお金の代わりとなる紙札、昔で言うと『藩札』に相当する物を発行し、お手伝い頂いた方にそれをお渡しします。
さらに収穫されたコメはすべて市が農家から買い取り、その札、クーポンと言った方が良いですかね? それで米を受け取る仕組みを作ります。
近くこのクーポンを配布できるように今準備を行っています。
また、市内に残っている、食品材料やその他材料関連は、そのクーポンにより市で買い上げさせていただきたく考えています。
更に今後 鶴田市では、なるべく多くの仕事を捻出し、それを多くの市民の皆様にお手伝い頂き、そしてこのクーポンにより支払いを行ってまいります。
例えば、先ほどのコンポストで造られました堆肥を市で買い上げさせていただき、それを農家に販売し、それの回収や配布などを市の新たな仕事にして行きたいと考えています。
とにかく経済活動が止まらないように、沢山の仕事を生み出し、市民の皆さんにはすぐにでもそのクーポンを使い始めていただき、市内での仕事の賃金やお店での商取引を行ってもらえればと考えています」
藩札とは、江戸時代の幕府が発行した通貨ではなく、その地域だけでしか使えない諸藩が発行したローカル通貨だ。
言ってしまえば、商店会の金券と同じようなものかもしれないが、地域全体で使う通貨をすべて藩札に切り替えてしまうと言う、少し大掛かりな考えだ。
市長は銀行業務が停止し、すでに通貨が使えなくなっていることを重く受け止め、市独自のローカル通貨により、経済の停止を早急に回避しようと考えていた。
まだ印刷機など無い時代に作られた藩札の製造技術を参考に、手彫りされた金属製の版板を作り、それで手刷りされた紙札をベースに、そこにいくつかの処理が加えられた。
そこには、配布する町会毎のスタンプと印鑑、あとナンバリングで1枚ごと異なる番号と有効期限などを手でスタンプした。
そして重要な部分として、使用する際には手形や小切手ように、裏面に使用者の裏書を行う事とた事である。
特に、通貨ではありえない使用する者の署名を必要とすることから判るように、この札は流通貨幣などではなく、短期間で回収される事を前提としたクーポンである。
また、そこに有効期限を設ける事で、受け取ったクーポンをタンス貯金には回せずに、経済を動かすために市内を流通する生きたお金として使われていく事になる。
これらは偽造を防止するとともに、後に通貨法に抵触する事を避けた処置でもある。
裏には4×2マスの8回分の署名欄が設けられており、たとえ有効期限に達していなくとも、裏書で一杯になると使用できなくなり、その場合は市役所に持参して新しいクーポンに交換してもらう事になる。
印刷技術自体は旧態依然としたものであるが、技術系の市長として考えうるいろいろな偽造対策はやってはいるようだ。
「再び市長です。
鶴田市は、県内でも孤立しており、応援などは期待できないものと考えています。 ましてや首都などからの支援は難しいと考えます。
停電が復旧する事に期待している人も、まだ多いかと思いますが、それを待っていることは我が鶴田市では出来ません。
いろいろなご意見や、不満、不平はあると思いますが、自分たちで立ち上がる決断は早い必要があります。
私はこれから更なる厳しい時代が来ると考えており、それは市長として皆さんをお助けできるレベルをもはるかに超えているものと想定しています。
少しでもその日に備えるために、まず市としてできる対策から、今回その第1弾として実施させていただきます。
さきほど申し上げました、我が市が発行する藩札、クーポンにつきましても、名称すらまだ決まっておりませんし、偽造防止などは未熟ですので、皆様の良心に頼りたいと思っております。
これは、この札を持参された方には、市がお米を渡しますと言う、一種の信用状です。
市として将来へ負債を抱える事になりますが、市債として発行します。
市民が食べる事をやめる事はできませんので、この厄災を乗り切る為にはこの私、市長を信じてください。
とにかく、今できる事からやっていきたいと考えています。
そして今日のように、皆さんには市として情報を包み隠さずにお伝えていきたいと考えております。
ですので、何卒、皆様の力をお貸しください。
何卒よろしくお願いします」
そう言うと、市長や、壇上の人が一斉に立ち上がり、深いお辞儀をした。
最初は会場内にヤジも飛んでいたが、やがて多くの拍手によりヤジや罵声は消えて行った。
誰もが薄々この災害の大きさに気が付き始めている頃であった。
この運動は鶴田市にとどまらず、やがて周辺地域にも広がりを見せ、この周辺ではいよいよ経済の動きが始まった。




