5-3 初めてのメッセージ
霞が関の官庁では、職員の多くが登庁しておらず、満足な業務が行われていない状態が続いていた。
都心の官舎は数が少ないため、多くの職員は電車で1時間くらいかけて通勤していた。
歩いて遠距離を出勤することが出来なかったので、この1週間の内でなんとか1日くらいは顔を出せたが、それだけの職員も多かった。
そんな中、日比谷公園には、東京に残っていた国会議員や各官庁・省庁から人が集まっていた。
停電して暗く蒸し暑いビルの中ではなく、大空の下で、誰でもが参加できる省庁間の垣根を取っ払った会議が始まっていた。
専門的な話になると、いくつものセッションに別れ、時には野外音楽堂に大勢の人が集まり会議がなされた。
日比谷会議はオープンな会議の場であり、議員さんやお役人よりも、大学教授や会社員など一般人も多く参加していた。
どうしても必要な専門知識が必要な場合、省庁の人が周辺の企業や大学などを訪問して、知識を持った人に参加してもらえないかと訪ね歩いていた。
そこには、どの省庁が担当だなどと言う言葉はなく、日本のこれからの命運がかかっているだけに、皆が自分が出来ることを考え、それを必死でやり続けた。
彼らは屋外の公園で、夜も篝火を焚き、昼夜なく既に5日ほど会議は続けられていた。
そして、その会議として今回の大停電についての最初の見解が、ようやくまとめられた。
以下はその第一号のメッセージである。 ちょっと長いが、そのまま見てみよう。
『現在日本では、国会・内閣などの政府官庁、行政を行う各省庁は正常な機能をしていない。
一部の国会議員、各省庁の有志、有識者など参加できるものが日比谷公園に集まり、復興に向けた会議を行っており、現在ここは『日比谷会議』と呼ばれている。
このメッセージは日比谷会議の話し合いをまとめた文書であり、中央政府からの発表ではない。
停電発生から1週間が経過したが、都心以外の各自治体から各省庁への情報が届いていない。
独自の連絡網を持つ防衛省や海外からも、同様に情報は一切入って来ていない。
当初、他国からの軍事攻撃などが懸念されたが、その情報についても入って来ていない。
これらから日比谷会議では、これは単なる停電ではなく、大きな災害が発生していると考えている。
まず、今回の災害の結論として、この現象は現代生活の基盤である『電気』そのものを失ってしまったと考えている。
その為、『停電を復旧』すると言う考え方では、この災害への対応が出来ない。
今回の災害について、日比谷会議では誰にでも解りやすい名称として、『大失電』という表記を用いる事にした。
ここまで判明している事象を下記に示す。
この大失電は、太陽の異常活動による太陽風が同時刻に地球に到着しており、原因はその太陽風が地球に与えた影響ではないかと考えている。
その影響は、導電性を持った金属の変質をもたらし、導体に電流が流れなくなっている。
電線で用いられている金属は黒く変化しており、時間が経過してもそれが再び元に戻る様子は見られない。
そして、発生時の通信状況から、この大失電は地球規模で発生したものと推測している。
従って、地球全体が被災したと考えた場合、諸外国から日本への支援を待つことは出来ない。
日本は、他国の支援を頼らずに独力で復興を行う必要がある。
日比谷会議としては、最重要事項として各地との連絡網を確立したい。
今回、自転車を用いた『銀輪隊』を結成し、このメッセージを日本全国に届ける事にした。
銀輪隊の滞りない運用が行えるように、各自治体には協力をお願いする。
1.銀輪隊が高速に国内を移動できるように、高速道路上から放置された車両の撤去と銀輪隊に対する高速道路の優先利用。
2.各高速インターチェンジに銀輪隊の中継所を設け、中継所と各自治体事務所との間のメッセージ伝達システムの構築。
3.各ICやサービスエリアに銀輪隊の食事、休憩、宿泊施設の設置。 及び事故や怪我の場合の応急診療体制の確保。
4.IC、SAの区間距離が長い場合、高速道路上の中間位置に、食料、水分、トイレの簡易補給施設の設置とその表示。
5.各地において、銀輪隊の交代要員の選抜、および確保した要員の配備。
6.高速道路を使用するが、短距離の各自治体間を結ぶローカル銀輪隊の設置。
7.インターチェンジと各自治体事務所とをつなぐ一般道路からの車両の撤去。
なお、銀輪隊は日の出から日没までの間、高速道路の上下線別に、平均時速30km以上で走行を予定する。
最大速度での走行を行えるように、道路上の危険物や障害物は極力排除を要望する。
第1回の銀輪隊は 道央自動車道、東北自動車道、東名高速道路、関越自動車道、北陸自動車道、名神高速道路、中国自動車道、九州自動車道のルートで訪問する。
ルート上にあたる札幌、青森、仙台、福島、高崎、新潟、長野、静岡、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島、福岡、熊本、鹿児島の各県にこのメッセージを直接届ける。
直接訪問できない各県に対し、受け取ったこのメッセージを再伝達してほしい。
周辺への中継では、伝達の重複が発生する事は考えられるが、情報ルートを確保するために、なるべく多くの周辺自治体に情報の伝達をお願いする。
今回は伝達速度を優先するために、銀輪隊本体は山越えルートをなるべく避け、平地を直進するコースを取る為、山岳部を超えた周辺自治体への中継連絡を要望する。
青森には、銀輪隊が青函トンネルが通行できるように開通作業を要請する。
神戸、岡山は瀬戸内海の橋梁の整備、および四国に対して同様の情報提供を要請する。
宮崎、熊本、鹿児島各県は、ヨット等による沖縄への海上連絡ルートの確立を要請する。
現在通貨としての『円』は機能を停止しており、代替通貨の製造も困難である。
通貨の代替え案については模索しているが当面難しいと考えている。
その為、食料事情を含み、多くの困難が発生する/していることは理解する。
日比谷会議は正式に議決を受けて作られた機関ではなく、復興に向けて省庁間の有志で作業している為、我々に強制力や決定権はないが、何卒協力をお願いしたい。
各省庁は地方との連絡手段を失っているため、広範囲の行政対応が不可能となっているので、当面は各地の自治体の独自の判断で復興に務めてほしい。
失われた情報網を早急に再構築し、一日も早い復興の開始を願っている。
以降の連絡については、この銀輪隊により順次発信を行う予定である。
以上 日比谷会議記す』
今回は直接復興に係わる内容までは、まとめることが出来なかったようだ。
国内各地がどのような状態になっているか不明なため、具体的な計画が立てられなかったからだ。
しかし、今回各地に放った銀輪隊が戻ってくる事で、少しは生きた情報も集まるものと考えている。
その間にも多くの人の生命が危険にさらされていることを考えると、誰もが休んでいることなど出来なかった。
そして会議は今も続いている。
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会議でまとめられた第一号文章は、各省庁から字の綺麗な人が何人も集まり、何枚も、何枚も、一字一句間違わないように手で書き写されていった。
そして、その文章は多くの食料をリュックに詰めた何人もの銀輪隊に託された。
銀輪隊は1グループを複数人で構成し、それぞれのグループが直接各届け先まで走り出した。
途中で何か所に伝令しながら走ると、最終目的地への到着が遅くなるため、各グループは到着後、文書を渡すとともに口頭で説明をした後、各地の状況を聞き取り後、すみやかに東京へ戻ることになっている。
東京でも各地の現況を早く知りたいと考えているからだ。
高速道路上がどのような状況になっているか判らないが、太陽が出ている時間、毎日300㎞を目標に鹿児島までの1400㎞を約5日間で走り抜ける事に成る。
北海道は青函トンネルがまだ通れないと思われるので、その開通までには更に日数がかかるものと考えている。
したがって、北海道へ向かったグループはしばらく戻って来れない事が予想されている。
長距離を駆け抜けなければならない使命を帯びた銀輪隊は、出発前からハードな状況が予想されていた。
そこで、プロの競輪選手や自衛隊のレンジャー、警察・消防のレスキュー隊など、体力自慢でかつ途中の災害状況を自力で乗り越えることが出来る人達で構成されている。
特に、途中で暴動の恐れや食料の強奪も考えられるし、さまざまな状況が予想されているため、自衛隊員や警察官には護身用の武器の所持をお願いし、自衛のために武器使用の許可も得てある。
彼らは、単なるメッセンジャーではなく、日本の命運をかけたレンジャー部隊である。
あとは各隊に経路上で事故が無いことを祈るだけである。
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この銀輪隊創設にも紆余曲折があった。
自転車など使わずに、飛脚のように人間が道を走れば、道路が使えない場所であっても自由度が高いのではと言う話もあった。
確かに、現代人であっても、東京を早朝に出発して人がリレーすることで、昼間には箱根の山の上にまでたどり着くことは出来る。
箱根駅伝では片道5人の走者でタスキが往復する。
ただ、これが出来る強靭な走者は限られている。
そこに、馬を使えばという意見も出ていた。
実際競馬馬などでは、短い距離であれば高速に走ることが出来る。
また、皇居には都内の一般道路を走る事が出来るように調教された騎馬隊が有る。
しかし、馬は飼い葉や水などの飼料が必要となり、蹄鉄でアスファルト上を長距離走ることは難しい。
各地に蹄鉄交換所と給餌施設を設置すればと言う話もあったが、このような日本列島を走破するのに耐えうる馬の数も限られ、また装蹄師の資格を持つ人間をあらかじめ各所に配置する事は現実的ではない。
そこで、実用性が有るのはやはり自転車と言う事になった。
銀輪隊を編成する場合、何処から自転車を走らせるメッセンジャーボーイを集めるかが問題になった。
各地のサービスエリアなどは閉鎖されていると考えた方が良いので、最悪の場合、食事や水分の補給は出発時に持って出たもので済ます必要がある。
さらに夜間は休息のために路上で野営する可能性もある。
サービスエリアのオープンな駐車場は利用できそうであるが、これも現地がどうなっているか分からない。
これはサービスエリアの売店や高速道路自体が武装した略奪者などにより占拠されていることを想定した対応であった。
道中がどのような情勢となっているかわからず、行程自体ハードな事が予想され、命の危険すらあるので、単に自転車で長距離を走れる以外に、臨機応変な判断ができ、自分の身は自分で守れる人が必要となった。
今、自衛隊や警察、消防署など各所に声を掛け、町でも自転車で走っている人にも必死で声を掛けて勧誘していた。
そして、この会議で決まったことを全国に伝えるための出発までには、準備期間はあと2日ほどしか残されてなかった。




