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ルネサンスの女神様 - ねえ、電気つけてよ!  作者: 亜之丸
人々の認知 [1週間後]
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5-2 ねえ、電気つけてよ!

 日比谷会議では、電気が使えない状況で、その電気自体を調査する作業は難航したが、ひとつ停電の原因につながる大きなヒントが見つかった。

 それは、電気とは関係がないと思われた、『鏡』の存在であった。


 今回の太陽風の通過で、金属に電気が流れなくなると同時に、すべての鏡も黒くなってしまい、光を反射しなくなっていた。

 鏡で太陽光を反射させて連絡が出来ないかと言う検討も行われたが、鏡が光を反射しなくなっていたので、既にそれは却下された。


 鏡は、表面のガラスが光を反射しているように思われるが、実はそうではない。

 鏡の構造は、基本的に透明なガラス板の裏に光を反射しやすい薄い金属箔が貼ってあったり、塗ってあったり、蒸着したりすることで、その金属膜によりさまざまな波長の光が反射している。


 磨かれたガラスの表面には、鏡とまではいかないが、光の反射はある。

 ガラス板は光を反射するが、鏡のようにくっきりと像が写るレベルの物ではない。

 それは窓ガラスに顔が映る程度の反射であり、明るい室内から暗闇の外を見たり、ガラスの後ろに黒い紙を当てれば、ガラス表面での反射は少し見えやすくなる。


 当然電子顕微鏡などは使えず、実際に黒くなった鏡を詳しく調べることは出来ないが、学者さんの見解によると、鏡から反射が失われた原因は、反射させている金属の自由電子が失われた事が原因ではないかと言われていた。

 彼らの意見としては、金属から自由電子が失われた事で、導体に電流が流れなくなっているのではないか、そしてそれこそが今回の大停電の原因ではないか、と言う結論にたどり着いた。

 電気とは全く関係がなさそうな鏡から、電気が失われた仮説に思い至ったようだ。


 しばらくして発見された事であるが、アクセサリーショップの金庫の中から、何故か今でも光沢が残っている純金とプラチナが見つかった。

 金以外の成分を25%含む18金は変色していたが、成分がほぼ金である24金、そう純金は輝きを保っていることが各所で確認された。


 純金は光を反射する金属であるので、ガラスの表面に金を蒸着して作られた鏡は、今でも光を反射することが確認出来た。

 これは金色に見える鏡であり、レーザー光を表面反射する為に作られた特殊な鏡が見つかったが、残念ながらそれは光反射通信に使えるほど大きな鏡ではなかった。

 そして、新たに金を蒸着した鏡を作ることが出来る大型の真空設備は、既に使うことは出来なかった。


 先ほどの仮説から、貴金属は今でも自由電子が残されている金属であり、電気的に数限られた導体であると考えらた。

 それであれば金を導線として使う話となったが、金は以前からでも高価な金属であり、また素材的にも柔らかすぎるので、強度が必要な電線として金を使用する事は難しかった。

 例え金には導電性が残っていると推測されたが、電気を流す部分がすべて金や金メッキされた部品だけで出来ている電気製品は無かったので、実際に金であれば電気製品が動くことを確かめる事は出来なかった。

 電気が流れる事を試すための電池や電球も電気を流せないので、途中の電線だけが金であっても仕方がない。



 電気を調べる為の測定器は電気で動いていたために、計測しての証明ができずにいたが、多くの物理学者からこの日比谷会議の意見への賛成にほぼ傾いて行った。


 そして、『地球上の金属に電気は流れなくなった』と言う事が判った(・・・)事が重要である。

 これは、今回の停電は一時的な問題ではなく、地球から電気そのものが失われたと言う事を認めた事になる。


 それは、すでに変質してしまった電気製品や電線などの素材は、今後も元に戻ることは期待できず、電気素材として2度と使えなくなった事を認める必要がある。

 高炉が使えなくないので、鉄鉱石や銅鉱石を高温で熱変化させる事は容易ではないため、新たに作られる金属が、再び電気を流せるかどうかはまだ分かっていない。



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



 今回の災害では、住んでいる町も自分の家も、ほとんどの物はそのまま残っている。

 これまで災害と言うと、台風や地震や津波、噴火などと言った誰の目にも見える、大きな破壊を伴う自然災害が常であった。


 どこの施設も毀損していないが、インフラとしての社会機能は完全に停止し、崩壊されている。

 人々は、最初自分が災害に巻き込まれたことにすら気が付かず、ましてや宇宙からの嵐により直接怪我をした人などはいない。

 すべての施設が元の綺麗なままであることは、災害の爪痕などを感じさせずに、皮肉にすら思えた。


 音も無く広がった太陽風の通過は、そっと染みわたることで築きあげられた文明を一夜にして破壊した。


 さして珍しくもない停電から始まった今回の事故。 多くの人々が気が付かないうちに、それは大災害となっていた。

 それは、誰とは無しに『静かなる大災害(Silent Catastrophe)』とも呼ばれるようになっていた。



 地球が一度に被災してしまった場合、どうすればよいのであろう。

 誰もがその日の食事すら怪しい状態で、他人まで助ける余裕などはない。

 どの国も局所的な災害についての考慮しかない為、国民全員、国土全体、そして地球が一斉に被災者となった場合の災害対策案は有ったのであろうか?



 もしこれと同じ災害が、今から100年前に発生していたら、果たして世の中はどうなっていたであろうか?

 まだ電気という発明は生まれて間もない時期であり、電気が失われたくらいでは、世の中での影響はほとんどなく、災害どころか人々の生活に変化など無かったであろう。


 いまの電気文明(・・・・)という物は、発見され自然に成長してきたものではなく、人類の英知によりすべて一歩ずつ築き上げられてきたものである。


 本当に、この大停電は天災なのであろうか?

 これは、これまでにあった自然災害や天災などではなく、人類が高く積み上げすぎた文明が一気に崩れた事であり、これは人為災害ではないのかという噂すら囁かれていた。


 失われると大災害と呼ばれるほど、人類が気が付かないうちに、電気は 深く、深く根付いていた。




 第二次世界大戦後の日本の世の中には、家庭用の電化製品などという物は、まだ無かった。

 当時の家庭に供給されているAC電源は、家庭に電気の明かりを灯す事が主な目的であり、それは電灯線と呼ばれていた。 そう、電気による(ともしび)である。



 当時の家屋に配られた電灯線は、天井の梁からぶら下げられた1個の電球ソケットしかなく、そこには裸電球がソケットにねじ込まれてぶら下がっていた。

 今のようにたくさんの電気製品が溢れ、各部屋の壁にたくさんのコンセントがある、そんな便利なものではなかった。

 まだ電気と電灯とは同義に近く、単に「電気点けて!」とか「電気消してね」と言うと、それは天井の電気の明かりのオン・オフを示す事であり、今でもその名残はある。


 やがて電灯線は、ある発明により電灯以外の用途にも利用され始める。

 二股ソケットの登場により、ぶら下がった電球のソケットは2つに分岐し、新たに増えたソケットには 電球の替わりに『セパラボディ』と呼ばれるコンセントアダプタがねじ込まれた。

 そのアダプタはガラスの球の部分に、替わりにACコンセントが1つ付いていて、コンセントに電化製品の電気プラグを差し込める、(なぜか?)この現在でも販売されている物だ。


 我が家の天井からぶら下がり、分岐され新たに設けられたACコンセントには、電気コードが空中から吊り降ろされた。

 そして、そこには登場始めた最新の電気アイロンなど、家庭用電化製品、いわゆる家電が使われ始め、電気はより身近な物となってゆく。

 人々は、身近にある電気の便利さを知ってしまった。


 そこから僅か10年程の時間が進むと、〇〇電気と書かれた町の電気屋の小型トラックが走り回る事になる。

 トラックには木枠で梱包された大きな荷物が縛り付けられ、子供たちはその車が自分の家にやってくるのを楽しみに待っていた。

 家に電気洗濯機がやってくると、皆で中を覗き目を回したり、絞りローラーを手で回してみたり、電気冷蔵庫では氷を作ったり、白黒テレビが設置されると、なんと近所の人までもがそれを見に集まってきた。

 世の中に電気製品を普及させようと言うこの話は、それほど昔のことではない。


 その当時の家電メーカーが目指したものは、電気を中心とした新しい社会。 電気製品で明るい生活を届けたい。

 それは電気による、明かり、モーター、暖房、そして音楽や映像。


 光る、回る、走る、歌う、そして輝く光、強い力。 なんか、どこかの電気製品の会社のCMや社歌で聞いた気もする。


 その中から、電気により増幅したり、計算するという、新たな進化も生まれた。

 鉱石や真空管は、ゲルマニュウムを用い半導体と呼ばれるダイオードやトランジスタへ、さらにシリコンを用いてそれらを集積したICへと進化していった。

 それまで電気とは関係なかった様々な物に、電気は影響を与えていった。

 電気を使って作られたコンピュータにより、いろいろな物は設計されていく事になる。



 長い人類の歴史から考えると、電気による変化は社会に対する劇薬であり、あまりにも大きな変化を社会に起こしたが、それは戦後の昭和という時代の、それもほんの僅か数十年の間にもたらされたものである。

 それから電気は、すでに生活から無くてはならないものとなっていた。

 そして、今度は一夜にしてそれが失われたのだ。



「ねえ、誰か電気つけてよ!」

はやくもタイトル回収回となりますが、人々は電気を失った事を受け入れたことで、物語はこの後もまだまだ続きます。


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