5-1 化石燃料
停電から1週間を迎えると、街のあちこちは重い空気で包まれていた。
後から振り返ると、現実を突きつけられたこの時期が、精神的にも、世の中の状態も 一番厳しい時期だったかもしれない。
買い物ができる店舗はすべて閉まってしまい、街はシャッター街に変わっていた。
大切に所持していた現金は、もはや街では使えなくなっていた。
避難所などで行われてきた炊き出しも、その食料や水を求めてくる人の数があまりにも多く、配給すべき備蓄食糧が早々に尽きていた。
日本中の全てが被災地であるため、どこからもボランティア支援などはやって来ず、そして炊き出しで使用していた物資の補給をされる事はなかった。
そんな世の中を早く何とかしようと、日比谷会議では話し合い以外にも、いろいろな試験が行われていた。
日比谷会議 相互連絡分会なんて、ちょっと変な名前の分会だと最初は思われていた。
この分会には東京周辺の大学や企業などから研究者や技術者が参加し、そこは主に技術系の会議であったため、彼らは付けられた名前などは特に気にしなかったらしい。
この分会から生まれた銀輪隊であるが、既に実用連絡網として活躍を始めており、それは日比谷会議からはすでに独立していた。
同じくこの分会で先般から始められていた手旗信号による連絡網であるが、こちらはあっけなく破綻していた。
そもそも手旗は本来大量のデータを送る為のものではないし、一度の伝達距離が短いので、それを延ばすためには途中で何回も中継しながら、次々と手旗で信号を伝えていく必要がある。
繰り返して送られていく事で、伝達にはとてつもない時間がかかり、また伝文をリレーする途中で発生する情報誤りの訂正方法が無かった。
そして、破綻した一番大きな原因としては、その通信だけの為に、あまりにも多くの隊員を必要とした事であった。
情報範囲をなるべく広げるために、複数方向へ同時に情報を伝達しようとした為に、各通信伝令所には方向毎に複数の交代要員が必要となっていた。
伝令所は見通し距離が長い山の頂など、人が通いにくい場所に配置する事が多く、そこの場所への移動手段は徒歩でしかなく、たとえ通信がない待機時であっても交代要員や糧食配送などが必要で、隊員が不足し破綻した。
その為、日比谷会議の相互連絡分会は、手旗信号に代わる通信技術を至急確立する必要があった。
そうは言っても、相互連絡分会も必死であり、いろいろな方法を実験していた。
音を使ったらどうだと言う事で、大きな太鼓を叩いてどこまで聞こえるか、寺の鐘を何回も撞いてどこまで聞こえるかいろいろ調べていた。
それらの実験が何度も繰り返されているうちに、『やかましい』と言う苦情がたくさん寄せられて、実験は中止された。
中にはレールに耳を当てると、遠くの汽車の音が聞こえるなんて言う昔話から、ハンマーでレールを叩く実験も行われていたが、それほど遠くにまで音を伝えることは出来なかった。
とにかく思いつくことはすべて試されているが、夜間や雨の降る日もあり、周辺環境に影響されずに連絡できる方法を必死に探っていた。
これまで気軽に使ってきた電気や電波と言う存在が、いかに重要であったたかを改めて思い知らされることになった。
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こうして相互連絡分会では皆が頭を悩ましている中、交通分会のテントでも、やはり頭を抱えていた。
ここは新たな交通手段を作ることが話し合われていた。
比較的早いころから、蒸気機関車の復活は検討項目に入っていた。
熱により発生させた蒸気の力で機械を動かすことは、古くはギリシャ時代から行われてきた。
これは蒸気機関であるが、現代では直接蒸気の力を使って動かす機械はほとんど無い。
確かにガソリン自動車が出来る前には、蒸気で動く自動車も作られた事があったが、その装置や動かすための燃料などが必要となり、時代と共に消えゆく運命にあった。
間接的に蒸気の力を使った装置は現代でも大活躍をしている。
現在実用化されている大出力の発電所は、火力や原子力で発生した熱で蒸気を作り、その蒸気の圧力でタービンを回して、回転力から発電をしている。
しかし蒸気機関車だけは、直接蒸気の強い力で重い車両を牽引し、長らく使われる事になった。
そして、蒸気機関は石油機関へと変わってゆき、蒸気機関車はディーゼル機関車にその座を譲り、姿を消していった。
日比谷会議の壁に貼られた会議の経過資料によると、すでに別の分会で動態保存されているSLの復活調査を依頼しているようである。
蒸気機関車を復活させ、日本全国を走らせる為にはその燃料となる石炭の配備と水の補給が問題も残っている。
現在国内では石炭はほとんど採掘されていないが、旧式の火力発電所にまだ石炭は残っていた。
しかし、石炭発電所で使用する燃料は重量物であり、それは海外から船で運びこまれる為に、施設は海岸近くに作られ、町から遠い辺鄙な海岸の場所に建てられていた。
そのため、発電所から鉄道基地にまで石炭を輸送する手段が無かった。
蒸気機関車が復活すれば、遠くから石炭を運んでくる事も出来るようになると思われるが、今はまだ鶏が先か、卵が先かの状態であった。
それと並行して 新エネルギー分会は、蒸気機関車でも使用するであろう化石燃料が、この後いつまで使えるかを検討していた。
化石燃料の中でも石炭は、かつては日本でも多くの炭田で産出され、日本の経済を支えてきた。
日本の炭鉱は坑道を掘り、採掘する石炭は地底深くにある為、炭鉱自体を見ることは出来ないが、その鉱山基地であった跡は、大牟田などに行くと文化遺産として目にすることが出来る。
北海道の石狩炭田や、九州の筑豊炭田などには、まだ掘り出されずに多くの石炭が残っているが、かつてあった炭鉱を復活して採掘する事はかなり難しく、今は静かにその活動を止めている。
そして電気が失われたため、石油や石炭など採掘のための機械を動かすことが出来ず、世界的に新たな採掘は出来なくなってしまっていた。
ただ、これまでそれらの資源は大量に消費されてきたため、発電所、工場、自動車などが同時に停止すると、それまでに輸入され備蓄されてきた石炭や石油は、日本でも多く残っていた。
備蓄基地に残されている石油や天然ガスを使用する事で、当面はそれらを使う事は可能である。
新エネルギー分会では、代替えとなる新エネルギーを探す検討から、残されているエネルギーの管理・利用方法を改めて考えなおす方向に討論の軸足を変化していった。
さらに、石油はこれまでも燃やす以外にも、プラスチックの材料など多くの素材に変わっていた。
石油からだとは思えないような化学繊維で作られた洋服であったり、合成ゴムから車のタイヤなど、身の回りに石油は多く使われていた。
石油が今後も化学製品の材料として使用できるか、どうすれば電気を使わずにそれが再び生産が行えるか、検討する必要もあった。
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同じく日比谷会議の交通分会の別のグループでは、周辺調査と現在の町の状態を記録する為に、上空からの観測を行うことにした。
プロペラやジェットで飛ぶ航空機は使えないため、電気を使わずに空中に浮くことが出来る方法として、熱気球を使い上空に昇る事を計画していた。
熱気球の飛行コースは、その時の風の方向に影響されるため、その日の天候に合わせて着陸可能な場所を最初に検討し、その風上となる場所にまで移動して離陸する方法が採られた。
熱気球はゴンドラに搭載したプロパンガスのバーナーに点火し、熱して軽くなった空気を気球に貯めて浮力を得る。
ゴンドラや搭乗する人間も含めると、気球自体が数百㎏とかなりの重量となるため、都心部で不用意に落下すると危険であり、安全な着地場所を決める事は難しい。
そして、この計画では地上で熱気球を追いかける、チェイサー隊というものが編成された。
彼らは熱気球の着陸を補助すべく、また着陸した熱気球や操縦士を基地まで回収してくる事が仕事であり、自転車の後ろにアルミ製の大きなリヤカーを連結し、空と地上を眺めつつ、リヤカーを引っ張りながら走っている。
一度上空に昇ってしまった熱気球は、地上との連絡が出来ないため、あらかじめ風の方向に合わせ、地上の街の中をいくつかの方向にチェイサー隊が分かれて走り、着陸する場所まで熱気球を追いかける事に成っている。
今回、熱気球には一眼レフカメラと銀塩フィルムが乗せられていた。
カメラは電池を必要としない古いメカニカルタイプであり、中古のカメラやフィルムは、大きなカメラショップにまだ在庫が残っていたので、それが手にはいった。
さすがに生きていくために必要ではない物は、こんな時期であっても、まだ残っていたようだ。
フィルム現像の薬品も手に入ったが、それを印画紙に紙焼きする際、焼き付けに必要な強い光源がない為、太陽光を使った特別な部屋が作られた。 一部屋を丸ごと使った巨大な引き延ばし器だ。
そのおかげで、日比谷会議の人々は災害後の空撮写真を初めて見ることが出来た。
火災が発生したエリアでは周辺一帯が焼失していたが、写真ではそれまでと変わらない町並みも多く広がっていた。
そしてその写真を見つめながら、これ以上町が荒廃しないことを望むのであった。
交通分会では空撮実験に成功した熱気球を利用して、風任せなどでなく、操縦により方向を制御し、空を移動する乗り物が作れないか検討されていた。
熱気球では貯まった空気を、紐を引いて排出させているが、その勢いをもっと強くして、自由に空を飛べないかとも検討されていた。
その分会の中には、本物の航空機の設計をしていた人たちもいたが、残念ながら彼らが持つ最新の航空機の設計技術をそこで生かすことは出来ていなかった。
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