4-3 エンジン
打野自動車の修理工場では、先日消防署からの頼みで作ってあげた簡易ランタンの引き渡しも終わり、ようやく時間もできたので、本業の動かなくなってしまった車の修理を考えていた。
「おやっさん、これキックしてもピクリとも動きませんね」
「キックスターターがついている古いバイクでも、やっぱりエンジンは掛からねえか……
スターターが故障したって訳じゃなさそうだしなぁ。
バッテリー端子を直接ショートしてみても、電線の先から火花すら出やしねえ。
こりゃ電気がうまく流れてないので、当然プラグだって火花が出てねえな」
世の中から、すべての自動車が故障してしまい、道路には放置状態の車両が野ざらし状態になっていた。
大失電から5日が過ぎ、主要な道路からは車両の撤去が始まったが、放置車両を牽引するにも自動車が使えず、一台ごと人力による撤去作業となっている為、作業は遅々として進んでいなかった。
特に荷物をたくさん積んだ重いトラックを移動させる場合、少しでも路面に段差や上り坂が有ると、そこで止まってしまう。
下り坂に差し掛かると、今度は勝手に動き始めて事故となってしまう。
狭い道路で退避できるスペースが無いと、停まった車の脇を移動が出来ないため、解体場に連なる先頭から、停まっている車を順に移動させる必要があり、終わりが見えない作業であった。
この小さな自動車修理工場にも、これまで何台かの車が押して運び込まれてきた。
しかし、現在修理など出来るはずもなく、小さな工場では持ちこまれた車を置いておく場所すらない為に、近所の人には申し訳ないが再び押して帰ってもらった。
当初はバッテリーが上がってしまったのが動かなくなった原因ではないかと考えていたのだが、どうやらそれは違うことがわかって来た。
近くの同業者を訪ねて話もしたが、全く同じような症状であるらしい。
「おやっさん、俺 最近家に帰ってもネットは無いし、テレビもないし、暗くなったら寝るだけで、このまま朝が来ないのじゃないか、毎晩怖いんですよ」
「だったら、新聞でも読んでろ!」
「新聞なんて、以前から取ってませんよ。
第一、世の中に もう新聞なんてないし、例え有ったとしても、夜は暗いので新聞も本も読めませんよ」
これまで身の回りにあふれていた情報というものが一斉に無くなった。
この停電もいつまで続くのか判らないが、自分の工場を見るだけでもこれが単なる停電ではないことが良く解る。
打野は車が動かないのはバッテリーが原因でないと考え、それを確認する為に工場に置いてあった昔のバイクを使って、そしていくつかの確証を得ることが出来た。
工場にあった古いバイクは、マグネトーと呼ばれる磁石式発電機がエンジンのフライホイールの内側に組み込まれている。
これであれば、例えバッテリー電圧が下がっていても、マグネトーにより自己発電した電気を使ってエンジンを起動させることが出来る。
足でキックするスターターの力でエンジンを回転させ、その回転力でマグネトーが回転して発電し、発生した電気で点火プラグから火花を飛ばす。
一度エンジンが掛かると、あとは連続してエンジンは回り続けることができ、バッテリーも発電機から充電されるはずだ。
打野は、バッテリー残量が無くなっていたとしても、これであればエンジンはかかり、そしてバッテリーへの充電もできるはずだと考えた。
マグネトーのように永久磁石とコイルを使った発電機は身近に沢山あり、自転車のライトもこの発電方式だ。
自転車の発電機はダイナモと呼ばれ、これは直流(DC)発電機だ。
まあ、直流とは言っても一定の電圧ではなく、発電機からは脈流と呼ばれる振幅を持った直流が出来ることになる。
これは直流モータに電池をつなぐと回転するが、電池を継ながずに回転軸に外から力を加えてモーターを回すと、モーターを使って発電ができるのと同じ原理だ。
また、自動車で使われている発電機は、オルタネータと呼ばれる交流(AC)発電機だ。
こちらは永久磁石ではなく電磁石が用いられており、オルタネータが発電した交流を整流し、そこから車が必要とする直流電源を得ている。
テスターも使えずバッテリーの残量が判断できないので、打野はバッテリーを使わずに発電機から直接電気が起こせないかを調べはじめた。
そして電線を接続しようと被覆を剥いた時、以前であれば綺麗な銅色でピカピカしていた電線が、なぜか真っ黒になっていた。
煤が付いたのかと思い、電線の表面を紙やすりで磨いても、銅線の中まで真っ黒であった。
「何じゃこれは! いったい何が起きたんだ!」
その黒い電線を見てからは、これでは電気は流れないと思えてきて、理由などはわからないが、この世から電気を流せることが出来る電線が失われてしまったのではないかと考えるようになっていた。
それで先ほどのバイクの確認を行ったのだ。 そして、予想通りその試験はうまくいかなかった。
悲しいことに、打野が考えたように発電自体が出来ておらず、やはり電気と言う物が失われたことを確信した。
そして、これは世の中から電気を流せるものが無くなり停電している。
車が動かない原因は、エンジンが壊れたのではなく、世の中から電気というものが使えなくなっており、点火プラグから電気火花が出なくなった。
そう考えると、今回のいろいろな事の理屈がつながった。
「こりゃまずいな。 ガソリンで走る車と言っても、今の車は電気無しじゃ走らねえぞ!」
「おやっさん? 昔は電気なしでも車は走れたのですか?」
「うーん、そう言われてみると、ガソリン車は出来た時から電気を使っているな。
現代の自動車の出発点であるT型フォーデですら、最初からバッテリーを積んでいたようだしな」
ガソリン自動車としての記念すべき第1号量産車の開発者フォーデは、電気を広めたエジサンの会社で働いていた電気技術者であり、その技術を使って独立してガソリン式エンジン車を作ったようである。
エンジンはガソリンに限らず、何かの燃料が内部で燃える事により、シリンダー内の空気が高温となり急速に膨張し、その膨張圧力によりピストンを駆動する。
エンジンを継続的に動作させるために、一定のサイクルでシリンダー内に燃料と空気を入れ、それに点火する必要がある。
シリンダー内の気化したガソリンに、火を点ける役目が点火プラグだ。
バッテリーから得られた電気を、昇圧トランスであるイグニッションコイルに加え、コイルで発生した高電圧を点火プラグに与えると、プラグ先端の狭い隙間に電気火花が飛び、それがシリンダー内の気化したガソリンに引火する。
しかし、燃料に着火するために、全てのエンジンで点火プラグが必要かと言うと、実は点火プラグが無くとも発火できるエンジンもある。
それらエンジンでは、燃料と空気の混合気体を高い圧力で圧縮する事で、断熱圧縮により混合気体は高温となり、それが発火温度を超えると自己発火して燃焼が開始される。
エンジンが回転を始めると、圧縮と点火のサイクルが繰り返される。
点火プラグを使わずに、燃料気体の断熱圧縮による着火の原理を使ったエンジンとしてはディーゼルエンジンが有る。
発火温度が低いガソリンは強く圧縮すると、まだ圧縮途中で発火温度を超えてしまい、必要な圧縮が出来ていない時に発火してしまうので、ディーゼルエンジンの燃料には、発火する温度が高い軽油、灯油や重油などで動作する。
しかし、打野の身近にあったディーゼルエンジン車は、どの車両も動かすことが出来なかった。
ディーゼルエンジンに電気を用いた点火プラグは必要ないけれど、エンジンの起動時のほか、最近のディーゼルエンジンでは燃料に圧力をかけて噴射するインジェクタが搭載されており、この動作には電気を必要とした。
特に、排ガス規制が適用されたディーゼルエンジンは、電子制御がないとエンジンを動かすことが出来なくなっていた。
手に入るいずれのエンジンも、回転サイクルを維持するために電気が使われており、打野は困り果てていた。
「まあいずれにしても、エンジンを一から作ることなんぞはうちではできねえしな。
その辺はぼちぼち考えるとして、本業の自動車とは異なるが、とりあえずはランタンみたいな今の生活に必要な物でも作ってみるかな」
打野はひとり呟くと、あらたなチャレンジを始めるのであった。




