4-2 各地の生活
停電から5日目ともなると、生きる為に人々は街を歩いていた。
すれ違う人で、特に気になる事もあった。
それは、ほぼすべての女性が化粧をしなくなっていた。
化粧をしたくとも鏡は失われており、自分の顔をよく見ることが出来ない。
さらに、水が自由に使えない事で、一度化粧をしてしまうとそれを洗い流すことも簡単ではない。
たとえ日焼け止めのファンデーションすら、一度塗ってしまうと、それを簡単に落とすことが出来ないため、素顔で出歩くしかなかった。
風呂やシャワーはおろか、洗顔すら満足にすることが出来ず、着飾った服装やお洒落なヘアスタイルなどは出来やしない。
いよいよ夏本番となるが、エアコンが効いた涼しい場所などはない為に、とにかく汗をかきにくい涼しく実用的な服装をしていた。
幸い、女性の洋服は家の中に沢山仕舞われていたので、家の中には洗濯すべき汚れ物が、高く積まれていく事になった。
東京で行われている日比谷会議などの状況は各地に伝わっていないし、各地域の状況も東京には伝わってきていない。
ここで少し関東以外の状況も見てみよう。
ここ北海道庁は連日の停電で悲鳴をあげていた。
北海道は大地震により、日本初となる電力管内全域にわたる停電であるブラックアウトを招いた経験もあり、その際は長時間の停電を余儀なくされたことも記憶に新しい。
そのため、北海道では他の都府県に比べ、停電への対応が進んでいたと言っても良いかもしれない。
自家発電などにより多くの重要施設や企業などには給電を維持できるように準備され、非常用の電灯なども設置されていた。
一般家庭でも懐中電灯などの常備や、冬季の対応を強化するように電力だけに頼らない暖房などを設置していた。
寒冷地と言う特殊事情から、北海道ではエアコン冷房などの普及率はもともと低く、暖房が重要であり、家全体の暖房を行うセントラルヒーティングが使用されていた。
これは、パイプを家の居室に通し、1か所の集中したボイラーで沸かしたお湯やスチームをそのパイプに通すことで、室内の各部屋を同時に暖める、家としての暖房を考えた場合効率が良い方法である。
ボイラーは灯油やガス、もしくは電気などによりお湯が沸かされている。
ここで注意しなければならないことは、家中のパイプに熱を巡らせるためのポンプやフィンを用いており、それらには電気が用いられているため、火を燃やしただけでは家全体の暖房には使えない。
道庁ではセントラルヒーティングを補完する冬の暖房方法を急いで考える必要に迫られていた。
道内には真冬に平均気温が氷点下10度近くまで下がる地区がいくつもあり、その対応には時間がかかる為急ぐ必要が特に有ったのだ。
また、北海道は農産物の大生産地である。
北海道だけで国内の約1/4の耕作面積を誇り、これまでも国内の多くの人々の生活を支えてきていると言っても良い。
一見すると、本州と比べてとても広い耕作面積があるように思われるが、どうやらそうでもないようだ。
もともと北海道の面積はもともと国土の22%あるので、約1/4の面積と言うのは特に広いと言うわけではなさそうだ。
農産物の大生産地となる為に、北海道の広い大地を大きく区割し、大型農業機械を活用することで効率的に運用され、少ない人力であっても大規模な生産活動を行っており、生産コスト的に大きなメリットを生み出していた。
さらに極寒の地であると言う大きなマイナス面ですら、度重なる努力により、品種改良されてきている。
以前、北海道産の米である『道米』は、まずい米の代表みたいに言われていたが、今や道米は食味ランキングで最上位の特Aランキングに入り、うまい米のトップに肩を並べるほど改良されていた。
米以外の低温では育ちにくい数々の農作物も、その北海道の地であっても、より現代人の舌に合うように変化されていた。
そして、この大停電が起きた夏直前の時期、既に多くの夏野菜が収穫期を迎えていた。
野菜の多くは旬の期間が短く、収穫を数日逃してしまうと育ちすぎてしまい、多くの野菜は美味しく食べれる時期を逃してしまう。
また、時期を少しずつずらして種や苗は植えられているので、次々と収穫時期を迎える為、収穫しないで待っていてくれるわけではない。
野菜の収穫をしないければならないが、大型農業機械が使えない為、農家は悲鳴をあげていた。
たとえそれが収穫できたとしても、収穫された大量の野菜の出荷や運搬を行う事が出来ないので、結局多くの野菜類は畑の肥やしとなってしまうのであった。
また、酪農業や畜産業は生き物を相手にするだけあって、更に大変であった。
食べるエサだけでも大量に必要であり、夏場にそれを確保して、冬場向けにサイロで発酵させる必要がある。
特に、乳しぼりは毎日行わないと牛が乳腺症を発症するが、これまで機械で行っていた搾乳作業を人間が行わなければならなくなっており、大規模な酪農農家では人はその現場に張り付き状態となっていた。
「父ちゃん、牛舎三号棟のオハナが産気づいたさ。 まもなくだべ」
「やっぱ、今夜べかな? 何とか明かりを準備しておかないと、暗い中では助産作業が出来ないからな。
牽引用のワイヤーが掛けられる離れの小屋に移して、そこで篝火でもたくか。
本当は、出産直前に環境は変えたくないんだけどな」
「そだねー、でも火なんか近くで見せちゃうと、他の牛にはあんまり良くないべさ」
その夜、予想通り産気づいた雌牛の出産は待ったなしで始まり、酪農家は寝る暇も無しの状態となっていた。
大変な状況ではあるが、日本にとって、農業、酪農業、畜産業、漁業など盛んである北海道の復興は悲願であった。
そして、北海道では農作業に対する人手の補充が大至急必要であった。
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北の北海道とは反対の、南にある沖縄ではどうなっているだろうか?
南の土地であれば、温かく植物が育ちやすいので、食料自給率は高いのかと言うと、そんなことは無い。
農業には、土地や水、気候、農業人口などが重要であり、痩せた土地や砂地で育つ植物は限られてくる。
また、台風の影響や、強い日射なども野菜が生育するには厳しい環境となる。
もともと沖縄の食糧自給率は他の地域と比べてもかなり低いため、食料の多くは県外から調達されたり、海外から輸入されていた。
北部は低い山岳形状であり、人口が多い中南部には丘陵地であり大きな川が少なく、細長い沖縄の島を流れる川は長さも短い。
もともと人口に対しての水源が乏しい沖縄県ではあるが、多くの年月をかけて島内に太い水道管が通され貯留ダムが準備された。
送水ポンプから送り出された水道水は、調整池や高い場所に設けられた排水池に一度貯められ、各家庭に安定的に配られている。
しかし、今回の停電で送水ポンプによる揚水が止まり、高地にある排水池が空になると順に断水していった。
水については、昔から苦労しており、雨水や井戸などで水は賄われていた。
島内には湧水が湧いている場所も一部あり、再びそこには水を汲みに多くの人が集まっていた。
また周辺の諸島部などでは、機械により飲料水を作っている場所もあった。
海水から淡水化を行って飲料水を製造している施設も、今回の停電により水源を失う事になった。
水や食料も問題であるが、沖縄では、本土との連絡が完全に途絶えてしまっていた。
沖縄は、これまでも台風などで空も海も本土から孤立する事はたびたび発生する事はあった。
ただそのような状況であっても、通信までは途絶することが無かったが、今回はそれすら失われてしまっていた。
そこで、何とか本土との連絡を取ることが急務となっていた。
「やっぱ、内地との連絡方法はあれしかないやさ。 まあ、なんくるないさー」
かつて沖縄には、海洋文化と呼ばれる手漕ぎの小さなカヌーなどで、アジア太平洋地域の遠く離れた島にまで渡る技術があった。
エンジンを使わずに風だけで走ることが出来る小型のヨットで本土まで連絡を取る事が計画されたが、気象衛星やレーダーを使った気象観測が利用出来ないため、航海途中の天候については大きな賭けであった。
太平洋には日本上空を西から東に向けて流れる偏西風があり、冬には強い風が吹き抜ける。
また、日本本土より南側には、ハワイなどを東から西に向いて吹いている貿易風が有り、北半球の太平洋上には偏西風と貿易風の2つの風で大きなループが出来ている。
沖縄から九州を目指す場合、そこを流れる風は貿易風となり、それは西向きの風となるため向かい風となるが、夏であるために幸い貿易風は弱く、何とか九州への到着を目指すのであった。
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日本各地にある大きな都市やその周辺では、東京と同じような状態に陥っていた。
特にトイレや下水事情が悪くなり、5日も電気が止まった状態では、どこかしらから臭気が漂うようになり、人口が多かった都市近郊では街全体が匂うようになってきていた。
自宅での臭気を抑えるために、ゴミ袋が残っているうちは、排便などはゴミ袋に入れられ、強く縛られて屋外の密閉容器で保管されていた。
本来であれば、どこかに穴を掘って埋めたいところだが、自分の家にそれを埋められるような広い庭は無く、また舗装されていない場所は限られており、さらに残されたゴミ袋もあとわずかとなってきたため、皆困っていた。
上水道という物はポンプで加圧して送られているために、ある程度自由な場所に給水することが出来る。
しかし、下水道は、勾配が付けられた下水道管の中を、常に低い方に向かって流れるという、地球の重力により自然に流れる自然流下方式を使っている。
最終処分地の下水道局まで緩やかな傾斜が付けられているが、長い距離を流すと徐々にそれは深くなっていく。
配管をあまり深くに設置することはコストや技術的に難しくなるために、途中何度かで中継ポンプにより地上近くまで汲み上げる事で高さを持ち上げ、そこからまた下に向かって流れて行く。
流れが止まってしまった下水道は溢れる事になり、マンホールから漏れ出る匂いは、都市の臭気の大きな原因となっていた。
そんな都会で今一番の人気は、以前に捨てられていたペットボトルである。
軽くて落としても割れず、水漏れしないペットボトルは、断水生活で必需品となっていた。
特に2L用ミネラルウォーターのペットボトルは運搬にも優れ、ゴミ集積場やリサイクル施設には、いまや宝物となった廃棄ペットボトルを漁る多くの人が集まっていた。
では、田舎ではどうなっているのであろうか?
都市部に比べると、村の生活はましであったのかもしれない。
ここでも食糧などの輸送は都会からされてこないため、そう言った面では厳しい生活ではあるが、ここでは多くの家庭でタンス貯金がされていた。
タンス貯金とは、現金を郵便局や農協など金融機関には預けずに、家庭のどこか隠された場所、例えばタンスの服の中などに現金を隠しておく事である。
ほとんどの家庭でかなりの額のタンス貯金が残っていたため、それを使い合う事でお店は長く営業を続けていた。
電気は停まっていたが、都市ガスはもともと来ていないので、全ての家庭はプロパンガスを使っており、町営水道は山の湧水を浄化して、それを貯めた山の貯水池から送られてきていた。
また、下水道が無い村落では、未だに浄化槽が用いられており、し尿を含む汚水は地下に埋められた浄化槽で濾過された後、きれいな水として排水されている。
バクテリアの浄化を助ける空気を送り込む電気ポンプは止まってしまっているが、それでも浄化槽は十分に機能していた。
お釣りが貰えるくみ取り方式トイレから水洗トイレに変わった時代であれば、日本中のいたるところで浄化槽は活用されていたが、下水道の普及により浄化槽は埋め戻され、その姿を消していた。
電気が停まっているので温水便座は使用できないが、停電であってもそこでは水道も使用でき、水洗トイレが利用できた。
村で取れた野菜や川魚、山で取れた獣の肉、お店で売られる商品も自宅で煮炊きした総菜などが中心であり、もともと人口が少ない事もあり、お店は十分に営業を続けることが出来ていた。
また、多くの家庭では米は大きな米袋の状態で保存しており、また庭の畑では野菜も普通に暮らすには十分に採ることが出来ていた。
このように急激に悪化する都市部と村落とでは生活格差は大きくなっており、それまで都市部で生活していた子供や孫たちが、生活に困って懐かしい故郷に疎開してくる事が始まっていた。




