第六章 5 気にしなくていい
「めちゃくちゃ怯えてるけどどうすんだおい」
小声で伝えながら、俺はひっそりと優斗の背中を小突く。
「やっぱり大の男二人で押し掛けるのは問題があったかな?」
「むしろ入れてもらえただけで奇跡だろうが」
言ったそばから、目の前の少女はスマートフォンに手を掛けているのが見えた。
俺たちが何かしたらその場で通報でもするつもりなのか、あるいはボイスレコーダーでも使って会話の録音をしているのか。
「えっとその…話ってなんですか」
少女は怯えたまま背筋をただして、俺たちに向き合う。なるほど確かに咲坂芽衣とは似ても似つかないが、対称的という意味で言うなら、確かに姉妹としてはしっくりと来るかもしれない。
「いやぁ、ちょっと君のお姉さんについて聞かせてもらいたくてね。それだけ聞ければ僕たちは何もしないよ」
こいつわざと怖がるようなこと言ってねえか?
「芽衣ちゃんの何なんですか?居場所については私も知りませんし、何をしているのかも私は詳しくは聞かされてません」
「うーん……知らないかぁ」
ま、下手に伝えてそっちの口から漏らされても困るしな。あれがそこまで考えてるとは思えないが。
「単刀直入に聞きますけれど、もしかして芽衣ちゃんに何かするつもりですか?」
「いや?ただの調査目的だよ。ある事件の調査でね。そこに咲坂芽衣が関わっている可能性を考えていたんだ。だから何かするためって訳じゃない。ただ……」
優斗が細めていた目をゆっくりと開く。
「もし咲坂芽衣が事件を起こしている張本人だとしたら、僕は仮に君のお姉さんだろうと君を排除する」
「突然そう言われて、はいそうですかって言えると思いますか」
「納得できるかじゃない。実際に犠牲者が出ているなら」
「優斗」
「納得できるわけねえよ。俺だってそうだ」
我慢ならなかった。
庇いたかったわけじゃない。ただ、目の前の少女の顔に、何故か嫌な胸のざわめきを覚えていたのだ。
俺はこういう顔をしていたやつを、知っている。
ただ、それが何故かというのまではわからなかった。
「悪いな。こっちも仕事なんだよ。恨まれるのは覚悟してる」
本当は、覚悟なんて出来ちゃいないが。
「もし……芽衣ちゃんを、その、殺したりなんかしたら、一生恨みますよ。もしそうなったら。私と顔合わせないように生きてください。その時は、どうなってしまうかわからないので」
声が震えていた。
こいつだって覚悟できてる訳じゃないんだ。
「聞かれたことについては、本当にわかりません。なので、もう帰ってください」
「うん、わかったよ。協力ありがとうね」
「……おう」
こうして俺たちは、咲坂家をあとにする。
驚くほどに何の情報もなかった。出来れば友人筋でも当たってみれば良かったのかもしれなかったが、流石に俺はあいつの交遊関係までは知らない。
「麻倉さんから何か聞いても良かったかな?」
「アホか。手がかり知ってるならとっくに向こうから情報来てるだろうし、何もないってことはそういうことだろ」
「手厳しい。それにしても本当に謎なまま終わりそうだねぇ」
「だな。少しモヤモヤは残るけどな」
実のところ、俺の中でモヤモヤしている気持ちというのはまだ別のところにあった。
咲坂葉月が俺たちに向ける視線の既視感、そしてそこに覚えた既視感の正体。
俺のなくしたはずの記憶が、そこに既視感を与えているのか。
気にしたことはなかったはずなのに、今や気になって仕方ない。
俺は昔、恭平さんにこんなことを言われたことがある。
「なくなってしまうような記憶なら、それはなくていいものと同じだ。だから、気にしなくていい」
今思えば、あれは恭平さんが俺に気を遣ってくれたんだろう。
何もない自分が本当に嫌だというのを察して、なら何もなくて良いと言ってくれた。
「なぁ、優斗はさぁ、俺の記憶が戻ってもし亜人狩りを続けられないってなったら、お前はどうする?」
「そんなの今更だよ。一緒に抜ける」
「いいのか?お前は向いてるだろ。なのに抜ける必要なんてねぇって」
「いや、今鳴がいなかったら僕は亜人狩りなんて続けてないさ。危険な仕事だしね。
それに僕は頭が良いし全うに進学が出来れば仕事のひとつやふたつくらい見つかるはずさ」
「嫌味かよ。そう言われてみりゃ、俺の方がその点切羽詰まってるのかもな」
「そうかもしれないね?まあ、僕としては辞めてくれない方がありがたいさ。ずっと一緒にいられるからね」
「お前は何でそんなに俺の存在に執着する?俺じゃなくてもいいだろ」
「寂しいことを言われてしまったね。いやぁ、君じゃないといけないに決まってるじゃないか。僕の心はあの時から君に囚われてるんだから……」
不意に後ろから抱きつかれる。優斗の体温が、背中から俺の身体に伝わってくる。
「やめろ、人が通ってるだろうが」
「二人きりでも恥ずかしがるくせに」
「お前はほんとにああ言えばこう言うな」
二人で道を歩きながら、時々軽口を叩き合って、俺たちは事務所まで戻った。
「恭平さん」
「お?珍しいな。何か用でもあるのか?」
「過去の事件の記録、見ても良いか」
「またどうしてだ?」
「知りたいことがある。俺自身のことだ」
恭平さんはその言葉に目を丸くする。まあ、突然こんなこと言われたら驚くのも当然か。
「いいぞ。出来るだけ手短にな」
そのまま、記録のある事務所の二階まで足を運んだ。
記憶がないのは5年前。つまり、何かあったとしたらそれは5年前ということになる。
2015年頃の記録を、ぺらぺらとめくり続ける。痛々しい事件や、一見信じられないような出来事がいくつも綴られていた。
そして、俺はある一つの真実に辿り着く。




