番外編 更に七年後のマレにて・前編
紺碧の海が、太陽を反射して輝いている。長い船旅を終えたマルヴィナは、広大な港を擁するマレ王国の王都ステラエに降り立った。
南国と呼ばれるマレの領内の、さらに南東に位置するステラエは、シーラムの街よりもだいぶ暖かい。
ターリスからステラエにいくには、陸路と、シーラムの港町を経由する海路の二種類がある。シーラムとマレの間には急峻な山脈がそびえているため、マルヴィナたちは海路を選択したのだった。
「セーファス、しばらくぶりの陸地ね。海の上とどちらがいい?」
まだまだ元気なものの、年を重ねたリオを肩に乗せたまま、隣を歩く今年で四歳になる息子は、シーラムの帆船を振り返る。
両親譲りの金髪とブルーグリーンの瞳を持つセーファスは、親の贔屓目かもしれないが、大変愛らしい少年だ。
「海はすき。お魚やイルカがいるから。でも、陸もすき。動物がいるから」
「セーファスはどちらも好きなんだな。まだ小さいのに船酔いしなかったのは、偉いぞ」
夫のフィラスが、嬉しそうに言った。今日のフィラスは、プラチナブロンドの髪を、襟首でひとつに結わえている。今年で二十五歳の彼は、妻の自分が言うのも何だが、ますます精悍な男ぶりに磨きがかかっている。
シュツェルツと別れてから七年後の六月、マルヴィナたちは初めてマレの地を踏んだ。六年前に兄王子の死後、王太子となったシュツェルツの結婚式に出席するためである。
正直、マルヴィナは不安だった。
何せ、風の噂で聞くシュツェルツの近況といえば、やれ女官と恋愛騒ぎを起こしただの、やれ女性を取っ替え引っ替えしているだの、眉をひそめたくなるような話ばかりだったのだ。
今回の結婚に関しても、あまり良い噂は聞かなかった。
(父王陛下と取り合った女官と結婚って、本当なのかしら……?)
いくら噂には尾ひれがつきものとはいえ、さすがに微妙な気分になってしまう。
マルヴィナは、人知れずため息をつく。
やがて、シーラム王室の馬車が帆船から搬出された。
家族と馬車に乗り込む時も、マルヴィナは浮かない顔をしていたようだ。席に座ると同時に、フィラスに声をかけられた。
「マルヴィ、どうした?」
さすがに、結婚から五年もたつので、フィラスはマルヴィナ相手に敬語を使わなくなった。
「うーん、ちょっとシュツェルツ殿下の噂を思い出してしまって……どんなお相手と結婚するのか、不安なのよ」
「噂が本当だとして、今まで遊び回っていた方が、ようやく身を固める決心をなさったということだろう。それだけのお相手なのではないかと、俺などは思うが」
男性の目から見ると、そんなものなのだろうか。まあ、考えていても仕方のないことだ。リオを膝の上の乗せて遊ぶ息子や夫と会話をし、窓外の美しい街並みを見ているうちに、いつしか心配は消え失せていた。
*
マルヴィナたちが馬車に揺られ、幻影宮と呼ばれる王宮の門を潜ったのは、午後のことである。馬車を降りると、侍従が応接室に案内してくれた。リオはセーファスが持つバスケットの中だ。
従僕に荷物を預け、品の良い調度品で統一された応接室で待つこと数分、シュツェルツが女性を連れて現れた。
シュツェルツは以前、マルヴィナとフィラスの結婚式に出席してくれたのだが、その時よりもさらに背が伸び、ぐっと大人になった。ともにラトーンで学んでいた時は、可愛らしい印象だった顔立ちも、繊細ながら引き締まり、貴婦人たちを夢中にさせること、疑いない。
そして、彼が連れてきた女性。波打つ黒髪を背中に流した、ものすごく整った顔の美少女だった。シュツェルツも黒髪を長く伸ばしているので、二人が並んでいるとバランスの良い絵画のようで、うっとりしてしまう。
特筆すべきは、彼女のプロポーションだ。豊かなバストに、きゅっとくびれたウェスト。多くの女性が一度は憧れるような体型をしている。マルヴィナは思わず自分の胸に目を落とし、切ない気分になった。
(ラトーンの食事のせいだわ……全く)
「マルヴィ、五年ぶりだね。フィラスとは四年ぶりかな」
シュツェルツは輝くような笑顔で、歩み寄ってきた。マルヴィナたちは立ち上がる。セーファスも両親の真似をして立ち上がった。
「本当に久し振りね。ルズ、そちらが……」
「ああ、彼女が明日、わたしの花嫁になる、ベティカ公爵令嬢ロスヴィータ・ハーフェン」
「お目にかかれて光栄でございます。レオニス女公殿下。それに、フィラス殿下。ロスヴィータ・ハーフェンと申します」
ロスヴィータはシーラム語で挨拶すると、膝を折り、スカートを摘んで優雅に頭を下げた。
「そちらの小さな貴公子のことも、紹介してくれるかな?」
シュツェルツは声も低くなり、言葉遣いも大人の男性らしくなった。若干、胸がむずむずするような寂しさを覚えながら、マルヴィナは息子の肩に手を置く。
「こちらは、わたしたちの長男のセーファスです。ほら、セーファス、きちんとご挨拶なさい」
セーファスは小さな右手を胸に当てると、ちょこんと頭を下げた
「はじめまして。王太子でんか。ロスヴィータさま。セーファスともうします」
「まあ、可愛らしい! お利口さんね」
ロスヴィータが口元を抑えて、感激している。息子がきちんと挨拶ができた上に褒められたので、マルヴィナも鼻が高い。
マルヴィナとフィラスもロスヴィータに挨拶をし、みなでソファーに腰かけた。
まず、マルヴィナたちは近況を語り合う。会話はシュツェルツの気遣いで、シーラム語で行われた。
「前にもらった手紙にも書いてあったけど、セオンとラティーシャが結婚したんだって?」
「ええ、わたしたちが結婚した一年後にね」
「もうラティーシャは、マルヴィの侍女をしていないのかあ。何だか、変な感じだね」
「今となっては、彼女も次期公爵夫人だから。寂しいけれど、わたしの世話をしているわけにはいかないのよ」
「けど、二人は義理の姉妹になったんだね」
「そうなのよ。わたし、嬉しくって。わたしの義姉です、ってラティーシャを人に紹介できるんだもの」
久し振りに会ったせいもあり、話はたいそう弾んだ。フィラスも遠慮しているのか、あまり会話には参加してこない。
マルヴィナとシュツェルツが笑い合っていると、ロスヴィータがおずおずと言った。
「……あの、お二人は、とても仲がよろしいのですね」




