エピローグ 八年後のラトーンにて
シュツェルツを見送ったマルヴィナたちは、それぞれが物思いにふけるように沈黙していた。ふと、思い出したようにセオンが言う。
「……では、わたしとイーニアスは話がありますので、これにて失礼致します。な?」
「あ、ああ、そうだったな。じゃあ、わたしたちはこれで」
スピリアンの不自然な受け答えに、マルヴィナが突っ込みを入れる暇もないくらい速やかに、彼らはジェニスタ氏寮に向け、去っていった。
あとには、マルヴィナとフィラスだけが残された。
セオンとスピリアンに、気を遣わせてしまった。二人は顔を見合わせ、苦笑する。
「少し、歩きましょうか」
フィラスの提案に、マルヴィナは頷く。今日は天気が良いから、寮の周辺には生徒たちがたむろしている。マルヴィナたちは彼らを避けるように、人気のない競技場のほうに向かった。
日の光を浴び、話をしながら、競技場に着く。周りに誰もいないことを入念に確認していたフィラスが、端正な唇を開いた。
「……やはり、良い気分にはなれないものですね」
「え?」
「好きな女性を、他の男に、間近で抱き締められるというのは」
マルヴィナは少し慌てた。そんな風に言われると、罪悪感を覚えてしまう。好きだったと告白されたとはいえ、シュツェルツはやはり親友だ。
「でも、あれはフィラスも了承して……」
「あれは、シュツェルツ殿下とは、しばらくお会いできそうにないから、仕方なく了承しただけです」
フィラスはぴしゃりと言い切ると、ゲームズが好きなわりに日焼けしていない頬を染めた。
「わたしも、あなたを抱き締めてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。わたしたち、婚約しているのだし」
マルヴィナが返事をするや否や、フィラスは両腕を広げ、しっかりと、だが優しく抱き締めてきた。その感触と温かさに胸をときめかせながら、マルヴィナも彼の背に手を回す。
「早く、指輪ができあがればいいのに。わたしが婚約指輪をしていたら、フィラスの心配も減るでしょ?」
婚約指輪は、春休みの間に高名なデザイナーと打ち合わせをして、既に注文してある。さすが王族の結婚。オーダーメイドということで、できあがるまでに半年以上かかるらしい。
「そうですね。ですが、指輪よりも確かなものを、今、いただいてもよろしいですか?」
「それは――」
何? と問う前に、フィラスが身を屈める。長い指に顎を傾けられ、唇を塞がれた。マルヴィナは目を白黒させたあとで、大人しく瞼を閉じる。たっぷり時間を置いたあとで解放されると、マルヴィナは抗議の声を上げた。
「わたし、まだ返事をしてない」
「そうでしたね。でも、抑制がきかなかった」
「もう! せっかく初めてのキスだったのに……もっと、ロマンチックな流れが良かったわ」
「あいにくと、わたしは、こういう人間なんです」
親密になってから、フィラスは開き直ることが増えた。素の性格を出してくれているのだと思えば嬉しいが、何だか翻弄されてばかりのような気がする。
「あ、そうだ」
不意にマルヴィナは思いついた。
「埋め合わせをして」
「埋め合わせ?」
「わたしと二人きりの時には、これからは『俺』って言って。前に一回だけ言ってもらったことがあるけど、フィラスってセオンと話す時は、いつもそうでしょ?」
「構いませんが……では、俺からもひとつよろしいですか?」
「何?」
「これからは、マルヴィ、と呼んでも構いませんか?」
「構わないけど……ちょっと待って、それじゃ、埋め合わせになってない!」
「もう遅いですよ、マルヴィ」
フィラスは笑った。マルヴィナを抱き締める手に、力がこもる。まるで、離さない、とでも言わんばかりに。
「マルヴィ、愛しています。これからも、ずっと」
マルヴィナは、顔を真っ赤にして照れながら、フィラスを抱き締め返した。
「わたしも、愛しているわ。おばあちゃんになっても、ずっと」
「あなたがおばあさんになる姿は、ちょっと想像できませんね」
「そう? だって、陛下が退位なさるまで、まだまだ時間があるでしょ? 長生きしないと、女王に即位できないわ」
「確かに。……命を狙われてもなお、女王になりたいですか?」
フィラスに訊かれ、マルヴィナは彼の肩に額を当てたまま、かすかに首を縦に振った。
「ええ。そのためにラトーンに入学したのだもの。お陰で、こうしてあなたとも再会できて、婚約までできたのだし」
フィラスは身体を少し離し、マルヴィナの顔を覗き込む。
「マルヴィ、一人の国民として、あなたをとても誇りに思います。これからも、その強い意志をもって、我が国を導いて下さい」
「重い言葉ね。……でも、やってみる。まずは、ラトーンをレオニス女公が在学している時以外も男女共学にしないとね」
「共学、ですか?」
「未来のレオニス女公のためよ。わたしにはラティーシャがいるけど、やっぱり女の子の友達がいないと、寂しいじゃない。それに、女性の高等教育の機会も、もっと増やしたいし。あ、同じくらい重要なことがもうひとつ! 寮の食事を、もっと充実させたい!」
フィラスは噴き出すのを堪えるように、口元を押さえた。
「……まあ、一生のうち数年くらい、貧しい民の立場に立って食事を取るのも悪いことではないと思いますが」
「それよりも、民の生活水準を上げるべきよ」
マルヴィナが熱っぽく反論すると、フィラスは笑みをたたえたまま、じっとマルヴィナを見つめた。
「あなたなら、きっとできます」
「ありがとう」
マルヴィナは晴れやかな笑顔で、フィラスの宝石のような瞳を見つめ返した。
二人はそうして長いこと見つめ合っていたが、やがて身体を離すと、手を取り合って歩き出した。フィラスがマルヴィナに顔を向ける。
「これからお昼まで、何をしましょうか?」
「そうね。じゃあ、離れにいきましょうよ。きっと、リオが寂しがっているわ」
「そうですね。二人でたくさん、遊んでやりましょう」
「ええ」
二人で離れへと足を向けながら、マルヴィナは空を見上げた。競技場の上に広がる、雲ひとつない深い色合いの青空を眩しく見つめながら、マルヴィナはこれからのことに思いを馳せた。
様々なことがあるだろう。今まで経験した以上に困難なことも待ち構えているに違いない。けれど、今、手を繋ぎ、隣を歩くフィラスと、ここで出会った友人たちがいれば、乗り越えられないことはない。
(わたしは、彼らに恥じないような女王になろう)
マルヴィナはそう決意すると、空からフィラスへと視線を戻した。ほほえみ合って前を向くと、遠くにラトーンの学舎と寮、それに離れが見えた。
「さあ、帰りましょう」
「はい、マルヴィ」
二人は固く手を握り合ったまま、離れに向けて歩き出す。おもちゃの家のように小さく見える離れが、陽光を受けて白く光っていた。
『未来の女王陛下、初恋の君と再会する』完
本編はこれで完結ですが、このあとに前後編の番外編があります。
登場人物のその後が描かれていますので、よろしければ、もうしばらくお付き合い下さい。




