四十八 出立
明日、シュツェルツがマレへ帰国する、という知らせをマルヴィナが耳にしたのは、春休みも終わった四月下旬の夜のことだ。
「どうして? わたし、シュツェルツ殿下から、何も聞いていないわ」
その知らせをもたらしたフィラスに、マルヴィナは思わず詰め寄った。
「シュツェルツ殿下のご希望だったのです。別れが辛くなるから、出発ぎりぎりまで、女公殿下には知らせないで欲しい、と……」
フィラスは年上らしく、なだめるように告げた。マルヴィナは力なく、握っていた拳を下ろす。
「そう……殿下には気を遣わせてしまったわね……。見送りはできる?」
「はい。女公殿下と、わたしと兄とイーニアスならば、見送りにきていい、と、シュツェルツ殿下はおっしゃっていました。少々、素直ではない気もしますが……」
「でも、彼らしい」
マルヴィナが評すると、フィラスも「確かに」と頷いて笑った。
マルヴィナとフィラスの婚約が決まってから、セオンは気を利かせて、二人きりにしてくれることが増えた。今も、マルヴィナは離れへと、フィラス一人に送ってもらう途中である。
ちなみに、二人が婚約したことは、特に発表してはいないのだが、どうやらラトーン中の人間が知っているらしい。噂が広まるのは早いものだ。
フィラスとおやすみの挨拶をしたあとも、マルヴィナはシュツェルツに何を贈ろうか、頭を悩ませた。
急なことだから、プレゼントは贈れない。代わりに、どんな餞の言葉を贈ろうか考えているうちに、ベッドに入ったマルヴィナは眠りに落ちた。
*
翌朝の日曜日に、マルヴィナは、フィラス、セオン、スピリアンと連れ立って、シュツェルツの見送りに向かった。
マレの王室、シフ王朝の紋章である竜とグリフィンが描かれた馬車が、学院寮の前に止まっている。
マルヴィナはシュツェルツの姿を捜した。アウリールは既に馬車の前に立っていて、マルヴィナたちに気づくと、目礼した。やがて、彼の視線が動き、学院寮の扉が開いた。中から、シュツェルツとエリファレットら護衛騎士が現れる。
「ルズ!」
マルヴィナがスカートを持ち上げて駆け寄ると、シュツェルツは笑顔になった。
「マルヴィ、それに、みんなもきてくれたんだね」
「きて欲しいとおっしゃっていたのは、殿下でしょう」
マルヴィナの隣まで歩いてきたフィラスが指摘すると、シュツェルツがやり返す。
「僕は、『きていい』と言ったんだ。そこらへん、間違えないで欲しいね」
「全く、特別な日だというのに、二人は相変わらずだな」
「ほんと、ほんと。もう、この光景が見られないのかと思うと、何だか寂しいな」
マルヴィナとフィラスの横に並んだ、セオンとスピリアンが肩をすくめた。
マルヴィナはくすくす笑っていたが、真顔に戻り、シュツェルツに尋ねる。
「ねえ、ルズ。昨日、ようやく思い出したのだけど、暗殺未遂事件があったあの日、あなたはわたしに何を言おうとしていたの? ずっとごたごたしていたから、すっかり忘れていて……ごめんね」
シュツェルツは視線をさまよわせ、頬を掻いた。
「えー、今更、恥ずかしいな……」
「何? 気になる!」
シュツェルツは、みんなに目をやった。特に、フィラスの顔を長めに見やる。
「……じゃあ、言うよ。僕ね、マルヴィのことが好きだったんだ」
「え……!?」
思いがけない言葉に、マルヴィナは目と口を大きく開き、ただただ驚いた。
「本当に、今までお気づきにならなかったのか……」
「生徒たちも、ほとんどが気づいていると思うんだけどなあ」
「女公殿下の鈍さも大したもんだな。よく、フィラスと婚約まで漕ぎ着けたもんだ」
隣で、フィラスとセオン、スピリアンが感想を口々に語りあっている。マルヴィナは赤面しながらうつむいて、上目遣いにシュツェルツを見る。
「……その、ごめんね、ルズ。気づいてあげられなくて……好きになってくれてありがとう」
「いいんだよ。僕だって、今更フィラスとの仲を裂いてまで、君とどうにかなろうなんて、考えてないし」
「……本当?」
「うん。でも、ひとつだけわがままを言ってもいいかな? マルヴィが嫌なら、やめておくけど」
「何?」
マルヴィナが小首を傾げると、シュツェルツはそっと耳打ちした。マルヴィナは隣のフィラスを見上げ、先程シュツェルツに言われた内容を囁く。フィラスは一瞬、難しい表情になったが、「まあ、いいでしょう。餞だと思えば」と結論した。
シュツェルツに向き直ったマルヴィナは、彼に告げた。
「わたしもフィラスも構わないわ」
シュツェルツは、しばらくもじもじしていたが、一分程経過した頃、勢いよくマルヴィナを抱き締めた。
今まで気づかなかった。出会ったばかりの頃、シュツェルツは自分とあまり変わらない身長だったのに、ずいぶん背が伸びた。
しばらくしてマルヴィナから身体を離したシュツェルツの目には、涙が滲んでいた。
「手紙、書くね」
「ええ」
答えるマルヴィナも、もらい泣きしそうになり、涙を堪えながら笑顔を作って見せた。
「ルズ、背が伸びたのね」
「うん、そうみたい。そのうち、僕、フィラスよりも背が高くなるかもね」
「勘弁して下さい。あなたに見下ろされるなど、ぞっとしない」
フィラスがしかめっ面で口を挟んだ。シュツェルツが彼にしては珍しく、声を立てて笑う。
「じゃあね、今までありがとう。機会があれば、また会おう」
みんなの顔を見回してそう言うと、シュツェルツは歩き出す。それから思い出したように振り返ると、にやりと笑った。
「フィラス、マルヴィを泣かせたら承知しないよ。その時は、僕が彼女を迎えにいくからね」
「その必要はありません。女公殿下のことは、わたしが大切にします」
すかさずフィラスが言い返したので、マルヴィナは何だか恥ずかしくなってしまった。
シュツェルツのあとを追おうとするアウリールに、マルヴィナは声をかける。
「アウリール殿、暗殺未遂事件の時はありがとうございます。今、わたしがここにいられるのは、あなたの言葉のお陰です。……あの、どうかお幸せに」
「それは良かった。女公殿下もどうかご壮健で。幸運を祈っております」
胸に右手を当て、アウリールは生まれながらの貴族のような優雅さで頭を下げた。
「エリファレット卿も、色々とありがとうございました」
アウリールのうしろに続くエリファレットにマルヴィナが言葉をかけると、彼もまた、笑顔でお辞儀をしてくれた。
アウリールたちをつき従え、シュツェルツは馬車の扉の前で立ち止まった。一度だけ振り返り、馬車に乗り込む。
御者がかけ声を上げると、シュツェルツとアウリールを乗せた馬車が動き出す。馬に乗ったエリファレットたち護衛騎士に守られながら、馬車は遠ざかり、校門を出ていった。
マルヴィナたちは、馬車が見えなくなったあとも、しばらくの間、その場にたたずんでいた。




